奴隷制度廃止運動への影響
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「ゾング号事件」の記事における「奴隷制度廃止運動への影響」の解説
グランビル・シャープはこの事件への関心を高めるためキャンペーンを行い、新聞社、海軍本部のアドミラルティ・ボード(海軍本部委員会)の委員、当時のイギリス首相第3代ポートランド公爵に手紙を認めた。だが、海軍本部委員からもポートランド公爵からも返信はなかった。ロンドンのある新聞社が唯一1783年3月のゾング号第一審について報じたが、事件の詳細を報道するに留まった。1783年3月の新聞記事がゾング号事件について公表した最初のものだったが、この記事が出た時点で既に事件から18カ月近くが経過していた。1787年以前にゾング号事件について印刷されたものはこれ以外にほとんど存在しなかったとされている。 このように失敗もあったが、シャープの努力はいくつかの成果を得た。クエーカーのウィリアム・ディルウィンは証拠が奴隷貿易にとって重大なものか確認するよう頼んでおり、シャープは1783年4月にディルウィンへと事件の記事を送った。キリスト友会ロンドン年次集会(英語版)は直ちに奴隷反対運動を開始すると決断し、同年6月17日に273名のクエーカーが署名した奴隷貿易廃止の請願書が議会に提出された。シャープはイングランド国教会の司教と牧師、既に奴隷制度廃止運動に共感している人々にも手紙を送った。 ゾング号が世論に及ぼした短期的な影響は小さく、奴隷廃止運動の研究者シーモア・ドレシャー(英語版)いわく初期の奴隷廃止運動家が直面した課題を示していた。だが、シャープの取り組みの後、ゾング号事件は奴隷制度廃止運動家の文献では重要な題材となり、トマス・クラークソン、オトバ・クゴアーノ(英語版)、ジェームズ・ラムゼイ(英語版)、ジョン・ニュートンの著作で議論されている。これらの著書ではしばしば船と船長の名前は省かれており、Srividhya Swaminathanの言葉を借りれば「ミドル・パッセージのあらゆる船を描写することができる虐待の肖像」を創り出すことになった。 この事件は奴隷貿易の恐ろしさを伝える強力な実例としてイギリスにおける奴隷廃止運動の発達を促し、1780年代後半の英国で奴隷廃止運動はその規模においても、また影響力の面でも劇的な拡大をみせることになり、1787年には奴隷貿易廃止協会(英語版)が設立された。 1788年、奴隷貿易に反対する多数の請願が議会に届き、議会は調査を行った。奴隷船を視察したウィリアム・ドルベン準男爵(英語版)の強力な支持により、奴隷貿易を規制する初の法律ドルベン法(英語版)が承認された。過密と劣悪な衛生状態の問題を軽減するため、この法律は輸送する奴隷の数に制限をかけた。奴隷船に積載する奴隷の人数は船舶3トンあたり5人、つまり1トンあたり約1.6人と定められた。1794年の改正では奴隷にかける保険の補償範囲が制限され、「その他あらゆる危険、損失、災難」のような一般的な条項は違法となった。なお、このような包括条項はゾング号の保険証券にも記載されていた。この改正により、自然死や投げ荷などは補償の対象外とされた。この法律は毎年の改正が必要であり、ドルベンはこれらの取り組みを主導し、しばしば議会で奴隷制度に反対する演説を行った。1799年にはこれらの条文を恒久的なものにする議員立法が可決された。 奴隷廃止運動家、特にウィリアム・ウィルバーフォースは奴隷貿易を廃止させるため努力し続けていた。1807年の奴隷貿易廃止法(英語版)では大西洋の奴隷貿易が禁止され、海軍はアフリカを封鎖した(英語版)。アメリカ合衆国も1808年に大西洋奴隷貿易を禁止し、主に1842年以降、海上での違法な奴隷船の拿捕に協力した。 1823年、大英帝国全体での奴隷廃止を目標に掲げた反奴隷制協会(英語版)が設立され、1833年の奴隷廃止法によりこの目標は達成された。19世紀の奴隷廃止運動家の著作では、ゾング号事件がしばしば例示されている。例えば、1839年に出版されたトマス・クラークソンの『History of the Rise, Progress, and Accomplishment of the Abolition of the African Slave Trade』には奴隷殺害についての記述がある。 クラークソンの著作は画家のターナーに多大な影響を及ぼし、ターナーは1840年に王立芸術院の展示会で『奴隷船(英語版)』という題名の絵画を展示した。この絵画には拘束され船から海へと投げ捨てられた奴隷がサメに食い殺される様子が描かれている。奴隷の枷など、この絵画の細部はクラークソンの著書の挿絵の影響を受けているように思われる。この絵が展示された展示会が開催されたのは、ロンドンで初の世界奴隷制反対会議(英語版)が開催される1ヶ月前のことであり、世界規模の奴隷廃止運動において重要な時期であった。この絵画の所有者となったジョン・ラスキンも『奴隷船』を称賛していた。20世紀の評論家Marcus Woodは、この絵画を大西洋奴隷貿易を描いた西洋の美術作品の中でも数少ない真に優れた描写の1つだと評価した。
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