ひみこ
《「ヒミコ」と書く》ビッグバンから8億年後の宇宙初期に形成された、巨大なガス雲。距離約129億光年。水素のライマンα線を発し、大きさは銀河系の半分程度とみられる。2009年にすばる望遠鏡で発見された。2013年にハッブル宇宙望遠鏡とアルマ望遠鏡による観測から、三つの星の集団が軽元素主体のガスで包まれ、星形成が激しく進んでいるものと推測されている。名称は邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼にちなむ。
ひみこ【卑弥呼】
卑弥呼
卑弥呼
卑弥呼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/03 20:18 UTC 版)
| 卑弥呼 | |
|---|---|
| 女王 | |
| 在位 | 中平5年(188年)頃 - 正始8〜9年(247年〜248年) |
|
|
|
| 出生 | 建寧3年(170年)頃 |
| 死去 | 正始8〜9年(247年〜248年) |
| 子女 | 台与(宗女) |
| 王朝 | 倭国 |
| 宗教 | 鬼道 |
卑弥呼(ひみこ、旧字体: 卑彌呼、建寧3年(170年)頃 - 正始9年(248年))は、『魏志倭人伝』等の古代中国の史書に記されている倭国の女王[1]。
史書の記述
『後漢書』
『三国志』
『魏志倭人伝』によると卑弥呼は邪馬台国に居住し(女王之所都)、鬼道で衆を惑わしていたという(事鬼道、能惑衆)。魏志倭人伝で「輒灼骨而卜、以占吉凶」(骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う)とあるように卜術をよく行う巫女(シャーマン)であり、儒教の反迷信(鬼神信仰)的視点から「鬼道」と記された可能性が高い。
本人は人前に姿を現さず、弟だけにしか姿を見せなかった。既に年長大であり、夫はいない(年已長大、無夫婿)、弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある(有男弟佐治国)。王となってから後は、彼女を見た者は少なく(自為王以来、少有見者)、ただ一人の男子だけが飲食の給仕や伝言を伝えるなどする[2]とともに、彼女のもとに出入りをしていた(唯有男子一人、給飲食、伝辞出入)。宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた(居処宮室・楼観、城柵厳設)。
- 後漢桓帝・霊帝の頃 - 倭国で男性の王の時代が続いた(80年間程度か)が、その後に内乱があり(6年間程度か)、一人の女子を立てて王とした。その名を卑弥呼といい(卑弥呼の即位)、ほどなく成人(十五歳から十八歳か)となっていた。配偶者は持たなかった。1,000人の侍女が仕えていた。
- 景初二年(238年)6月 - 卑弥呼が派遣した難升米らが帯方郡に到着。同年12月、魏首都洛陽で天子の明帝(239年説の場合、新帝となった少帝曹芳、斉王芳)から親魏倭王の金印と銅鏡100枚を与えるとの帝詔を受けた。[注釈 1]。
- 正始元年(240年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬、采物一式を奉じて倭王に拝受させた。
- 正始四年(243年)12月 - 倭王は大夫の伊声耆、掖邪狗ら八人に返礼を托して魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。『魏志倭人伝』以外の箇所では、「巻四 魏書四 三少帝紀第四」にも正始四年に「冬十二月倭国女王俾弥呼遣使奉献」とある。
- 正始六年(245年) - 難升米に黄幢を授与[注釈 2]。
- 正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、当時、卑弥弓呼(卑弥弓呼、ひみここ、ひみくこ)が治める狗奴国との戦いを報告した。魏は、帯方郡張政を倭に派遣し、難升米に詔書、黄幢[注釈 3] を授与。
- 正始八年(247年) - 卑弥呼が死去。倭人は径百余歩(この時代も、中国の歩(ぶ)は、六尺、約1.5メートル)の冢(盛り土した塚)を作り、奴婢百余人が徇葬したとされている
- 正始八年(247年)以降 - 男王が立ったが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ。卑弥呼の宗女「壱与(台与、いよ、とよ)」13歳を王に立てると国中が遂に鎮定した。倭女王壱与は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5,000孔、青大句珠2枚、異文雑錦20匹を貢いだ。
『晋書』
『三国史記』新羅本紀
『三国史記』于老列伝
- 233年 - 倭軍が新羅の東方から攻め入った。新羅の伊飡の昔于老[注釈 6] が沙道(地名)で倭軍と戦った。昔于老は火計をもって倭軍の船を焼いたので倭兵は溺れて全滅した。
- 249年 - 倭国使臣が新羅の舒弗邯の昔于老[注釈 7] を殺した。
以下、後代正史に記事はあるが、いずれも倭国の歴史の回顧である。史料としての価値は低い。
『梁書』
『隋書』
『北史』
名称と発音
『三国志』魏書東夷伝、『後漢書』の通称倭伝(『後漢書』東夷列伝 第七十五 「倭」)、『隋書』の通称倭国伝(『隋書』 巻八十一 列伝第四十六 東夷 「俀国」)、(『梁書』 巻五十四 東夷諸戎 「倭」)では「卑弥呼」、『三国史記』新羅本紀では「卑弥乎」、『三国志』魏書 帝紀では「俾弥呼」と表記されている。
現代日本で「ひみこ」と発音されるが、Bentley[6]は上古の日本語発音を再建し、卑弥呼は「*pe-mehɔ」と発音されたとしている(→「邪馬台国の言語」を参照)。
卑弥呼の出自
卑弥呼が登場する史書には、出身地、出自に関する記述はない。福岡県糸島市の平原遺跡から八咫の鏡と同じ直径の大型内行花文鏡5枚を始め大量の玉類や装身具が出土したことや、『魏志倭人伝』における伊都国の重要な役割から、卑弥呼は伊都国に繋がる系統の巫女であった可能性がある(#主な比定古墳も参照)。上田宏範は「「皆女王国を統属す」と読めば、立場は逆になり歴代の王権はさらに強力だったと考えられる」としている[7]。高島忠平は、卑弥呼はヤマト王権の大王と同様に、女王居処ではなく出身地に葬られたとし、平原遺跡が卑弥呼の墓である可能性が高いとして[8]、伊都国の出身である可能性を示した。
寺沢薫は卑弥呼が「夫婿なし」として、夫をもたなかったことは神聖性を保持するためだけではなく、女王の夫と子供が王位継承に関わることを回避するためであり、裏を返せばこの時代に部族的国家王たちの間で子に王位を世襲させる継承がすでにあった可能性を指摘している[9]。
また、寺沢は、弥生時代の北部九州の王墓を分析した経験から、それまでの部族的国家であれば、弟は本来、男系王統の王位につくべき人物で、姉の卑弥呼は弟の王権を保証する国家的祭祀を執り行う女性最高祭司(祭主)だったのではないかと述べている。またこの姉と弟はある部族的国家の王統であるとした[10]。
卑弥呼の統治形態
卑弥呼の行った「鬼道」とはシャーマニズムのことであろうと推測されており[11]、未開社会においては王がシャーマンの役割を兼務していた可能性もあるが[12]身分制が確立してくるとシャーマンと祭司は分化し、祭司は上層に、シャーマンは下層になることが多い[13]。また部族社会では祭司の家系は部族の創始者、すなわち世界=社会の創造者に由来し、祭司=王であることも多いという[14]。
琉球研究の泰斗である鳥越憲三郎は、卑弥呼と男弟の統治形態を見て卑弥呼の統治形態を琉球国の聞耳大君と琉球国王のような祭政二重主権の統治形態であると判断した。これを見た漢人がその独特な統治形態を理解できずに「女王国」だと報告したのだという[15]。これは古代社会に広くみられるヒメ・ヒコ制の男女二重主権であると思われる[11]。
ヒメ・ヒコ制の男女二重主権のヒメは奈良時代まで続いたと見られ、ヒコは5、6世紀に父系的政治社会に転換したとみられる[11]。ヒメ・ヒコ制の例は神武紀の宇佐の兎狭津彦・兎狭津媛や景行紀十八年の阿蘇国の阿蘇都彦・阿蘇都媛、『播磨国風土記』の吉備比売、吉備比古、景行紀十二年の神夏磯媛など九州に多く見られ、直木孝次郎は神功皇后もその一例だろうと述べている[16]。
先述のとおり、寺沢薫も弥生時代の北部九州の王族の墓を分析した経験から、それまでの部族的国家であれば、弟は本来、男系王統の王位につくべき人物で、姉の卑弥呼は弟の王権を保証する国家的祭祀を執り行う女性最高祭司(祭主)だったのではないかと述べている[17]。
また伊勢神宮には未婚の皇女が天皇の代替わりごとに派遣されて祭祀をする斎宮の制があったが、これも古代以来のヒメ・ヒコ制の伝統であると言われている[18]。なお戦後の神宮祭主も全て皇族出身の女性が就任している。
ただし、記紀の伝えるように世襲王権である天皇家と血縁よりも呪術力を重視していた卑弥呼では王権の次元が異なることには留意すべきである[19]。
卑弥呼の死
魏志倭人伝では、卑弥呼の死の前後に関し以下の様に記述されている。
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和,遣倭載斯、烏越等詣郡說相攻擊狀。遣塞曹掾史張政等因齎詔書、黃幢,拜假難升米為檄告喻之。卑彌呼以死,大作冢,徑百餘步,徇葬者奴婢百餘人。
| 「 | 倭の女王卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ)とは平素から不仲であった。それゆえ倭国は載斯烏越(さしあえ)らを帯方郡に派遣して狗奴国との戦闘状況を報告させた。これに対し(魏の朝廷は)塞曹掾史の張政らを派遣した。邪馬台国に赴いた張政らは証書と黄幢を難升米(なしめ)に授け、檄文を作って諭した。卑弥呼が死んだので大いに冢を作った、径は100余歩である、殉葬された奴婢は100余人である。 | 」 |
誤解の多い247年(正始8年)は、実際には卑弥呼の死没年ではなく、帯方郡の新太守王頎の着任年である。したがって、卑弥呼の死没年は事実上不明である。卑弥呼の死没年については何の記載もなく、一年の内に起こったとは考えにくい量の記述がある為、卑弥呼の死が247年か248年、あるいはさらに後の嘉平年間とする学者もいる。特定することは困難である。
「以死」の訓読についても諸説あるが、以下の根拠から「死するを以て」あるいは「すでに死す」と訓んで「卑弥呼がすでに死んでいた」と解釈するのが通説である。南宋の鄭樵が編纂した『通志』の「四夷伝(194巻4巻)」において、現行の通行本魏志倭人伝に「卑弥呼以死」とある箇所が、「卑弥呼已死」と表記されていることが判明した [20]。これは現行倭人伝の成立前後の類書の編者である鄭樵が、倭人伝本文を「正始八年時点で卑弥呼がすでに死んでいた」と解釈していたことの直接的な証左である。
ところで、一部の邪馬台国九州説論者が卑弥呼の死と日食を結びつけようとしたが、正確な計算によると皆既日食は日本付近において、247年の日食が朝鮮半島南岸から対馬付近まで、248年の日食が隠岐付近より能登半島から福島へ抜ける地域で観測されたと考えられ、いずれの日食も邪馬台国の主要な比定地である九州本島や畿内の全域で(欠ける率は大きいが)部分日食であり[21]、部分日食は必ずしも希な現象ではないことから、日食と卑弥呼の死の関連性は疑問視されている。
卑弥呼の墓
卑弥呼の墓がどれであるのかは諸説あり、九州説の場合、平原1号に比定する場合があるが、平原1号は、土器編年では下大隈式期の2世紀末(柳田2000)で半世紀にも及ぶ顕著な乖離が認められる。また九州説では最も卑弥呼の墓に近いと言われてきた祇園山古墳においても、久住猛雄が今世紀に入り久住編年ⅡC期に編年し、4世紀初頭頃の年代が与えられることとなり、九州説における卑弥呼冢の候補は再考を迫られるか、その候補さえ喪失した。
現在、最有力と考えられているのは奈良県桜井市纒向の箸墓古墳である。箸墓古墳は最初の定型化前方後円墳であり、後円部と魏志倭人伝の記載の径百余歩(144m)がほぼ一致している。また、各種の年輪年代法などの理化学的測定法や、土器編年、銅鏡編年によって、徐々に時代が古くなっていった。箸墓古墳を卑弥呼の墓とする考えは、畿内説を採る学者であっても強く否定する者が多かった(代わりとして、纒向石塚古墳、纒向勝山古墳などを挙げる例が多い[22])。
ところが、纒向遺跡の大型建物ABCDが発見され、卑弥呼の居館と目される超大型建物Dが、庄内3式期に廃絶されたことが分かると、魏尺の真南二里に位置する布留0古相の箸墓古墳とを結びつける学者が増え、現在では半ば定説化しつつある。
規模と形状
卑弥呼は径百余歩の墓に葬られたとする。一歩の単位は、ほぼ一定して、一歩六尺とされ、魏代では約1.44メートルと言われている。(いわゆる「長里」)従って、冢は、直径約144メートルの円形となるように見える。 一方、倭人伝の記事から、倭韓地方では「長里」とは別の単位(短里「周髀算経・一寸千里法の一里(=約77m)」)を使用していたとの仮説があり、これは、一里を三百歩と概算して、一歩を0.3メートルと概算し、冢は、直径約30メートルとする説であるが、正史史料に明記されていない。
「径」という表現から一応円墳とされるが、弥生時代の築造から楕円墳や方墳である可能性もないではないとされる。なお、卑弥呼がヤマト王権の女王であるとする近畿説によって前方後円墳をその冢と見る説もあるが、「径」の表記から異論が多い。また、倭人伝には、大人の冢は、軽微な盛土で封土すると明記されているので、墳丘墓に当たらないとする意見もある。
「大作冢」の大は作に掛かるので「大に作る」と訳され、大に作るとは大きな冢を作るものとされている。 一説では、敢えて、「多数の冢」と解して、「徑百余歩 徇葬者奴婢百余人」は、径百余歩の範囲に徇葬者、奴婢が百余人と読んだ上で、卑弥呼の死によって、径百余歩の範囲に100人の「殉死者」の冢が作られたと読むとしている。つまり、「卑弥呼以死 大作冢 徑百余歩 徇葬者奴婢百余人」の記述は、卑弥呼の「冢」に付いての記述ではなく、卑弥呼の死によって引き起こされた事の記述であるとの意見もある。この場合「卑弥呼は既に死んでいたので、径100歩余りの範囲に徇葬者の奴婢が100人余りにより多くの冢が作られた」と読み替えている。
造成時期
卑弥呼の死んだ時期は西暦247年であり、一般に弥生時代の終末期、あるいは弥生時代から古墳時代への移行期とされる。日本書紀による近畿ヤマト王権の年代観では、崇神天皇治世の少し前となる。
埋葬の特徴
魏志では、徇葬者であるが、一説では、殉葬者と読み替えて、「奴婢百餘人」と記述されている。 卑弥呼の墓を「古墳」と見て、徇葬者ならぬ、殉死者と解釈したために、以下、苦吟して、古墳に埴輪が導入される以前だったと考えている。『日本書紀』垂仁紀には、野見宿禰(のみのすくね)が日葉酢媛命の陵墓へ殉死者を埋める代わりに土で作った人馬を立てることを提案したとあり、これを埴輪の起源とするためである。ただし森将軍塚古墳など墳丘に埴輪棺を埋葬した例が有り、殉葬の可能性も指摘されている。
また主体部については「有棺無槨」とされており、槨の無い石棺墓か木棺墓、甕棺墓と考えられる。
従って、手短に掘り下げた地下に「甕棺」を埋葬して、後日の改葬に備えて薄く盛り土するのであり、壮大な墳丘の盛り土の内部に石棺を収めるのではないと思われる。
主な比定古墳
邪馬台国が畿内にあるとすれば卑弥呼の墓は初期古墳の可能性があり、畿内説では箸墓古墳に比定する説などがある。かつては九州説から平原1号墓[23] や石塚山古墳[24][注釈 8]、祇園山古墳などを卑弥呼の墓とする説があったが、まず平原1号が下大隈式期の2世紀末(柳田2000)、石塚山古墳が久住ⅡC期で3世紀末〜4世紀初頭と土器編年が固まったことで、これらの古墳は卑弥呼の墓の候補から外れる。
- 箸墓古墳
- 邪馬台国畿内説では、奈良県桜井市の箸墓古墳を卑弥呼の墓とする説がある。宮内庁は箸墓古墳の被葬者を倭迹迹日百襲姫命に比定しており、卑弥呼を倭迹迹日百襲姫命とする説の根拠の一つとなる(#倭迹迹日百襲姫命説参照)。
- しかし箸墓古墳の後円部は約150メートルの巨大な前方後円墳であり、魏志倭人伝の規模「100歩=約30メートル」とは一致しない。全長は漢尺200歩[25]で造られ、築造年代は3世紀第3四半期頃であるとの説があり、卑弥呼の没年とは差があり、有槨の木棺であることが倭人伝の記載と一致しない。
- ホケノ山古墳
- 箸墓古墳と同代もしくは先行して造営されたとされるホケノ山古墳(奈良県桜井市)は、有槨の木棺であることが倭人伝の記述と矛盾し、発掘調査を行った橿原考古学研究所による2008年(平成20年)の発掘調査報告書では、出土遺物の検討から築造年代を3世紀中頃であると結論しつつ[26][27]、木槨木材の炭素年代測定結果の幅が4世紀前半をも含む範囲であることを報告しているため、年代特定を疑問視する意見もある[28]。
人物比定
卑弥呼が『古事記』や『日本書紀』に書かれているヤマト王権の誰にあたるかが、かつて邪馬台国論争に密接に結びついていた。ただしそもそも卑弥呼がヤマト王権の誰かであるということ自体、証明されていない。
古くは『日本書紀』編者による神功皇后説があり、江戸時代には日本の王が中国に朝貢していたと認めない国学者によって九州の女酋と考えられた。近代にいたって、邪馬台国九州説からは各論者の主張する比定地と関連する人物の名が挙げられ、畿内説からは内藤湖南による倭姫命説、笠井新也による倭迹迹日百襲姫命説などが登場した。
登場作品
小説
漫画
- 火の鳥 黎明編(漫画少年版・1954年-1955年、COM版・1967年、手塚治虫)
- 卑弥呼 : まぼろしの女王(1981年、学研まんが人物日本史 16、監修:樋口清之、漫画:ムロタニツネ象)[35][36]
- 少年少女人物日本の歴史2・卑弥呼(1984年、あおむら純)[37]
- 卑弥呼 : 邪馬台国のなぞの女王(1988年、立案・構成:木村茂光、シナリオ:柳川創造、漫画:すがともこ)[38]
- マンガ日本の歴史. 2 (邪馬台国と卑弥呼のまつりごと)(1989年、石ノ森章太郎)[39]
- ナムジ(1989年-1991年、安彦良和)
- 神武(1992年-1995年、安彦良和)
- 卑弥呼 : 邪馬台国のなぞの女王 弥生時代(1995年、あおむら純)[40]
- ねこねこ日本史(2014年-、そにしけんじ)
- 日本のはじまり 旧石器~縄文・弥生~古墳時代(2015年、角川まんが学習シリーズ 日本の歴史 1、監修:山本博文、漫画:岩本佳浩)[41]
- こううんりゅうすい〈徐福〉(2017年-、本宮ひろ志)
- 卑弥呼(2015年、倉科遼、南恵夢)[42][43]
- 卑弥呼(2018年-、リチャード・ウー(長崎尚志)、中村真理子)[44]
映画
特撮
- 仮面ライダーゴースト(2015年 - 2016年、テレビ朝日、声優:関智一)
舞台
テレビアニメ
下記の他、「卑弥呼」をモチーフに創作された「女王ヒミカ」および「邪馬台国」をモチーフに創作された「邪魔大王国」が登場する「鋼鉄ジーグ」(1975年、NET(後のテレビ朝日)、声優:高橋和枝)という作品も存在。
テレビドラマ
テレビ番組
ゲーム
- 無双OROCHIシリーズ (テレビゲーム)
- ドラゴンクエストIII(1988年、エニックス)
- beatmania IIDX16 EMPRESS(2008年)
- 超時空爆恋物語~door☆pi☆chu~ (2010年、声優:大花どん)
- トゥームレイダー(2013年)
- モンスターストライク(2014年)
- 三国志大戦(2010年(第1期)、2018年(第2期)、声優:日高里菜(第2期))
- Fate/Grand Order (2020年、声優:田村ゆかり)
- マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝「ピュエラ・ヒストリア 邪馬台国の跡目編」(2023年)
音楽
- 兼田みえ子「卑弥呼」(1975年、作詞・作曲:吉田健美、山本正之。アルバム『水鏡』収録)
- パッショナータ「卑弥呼 (Himiko)」(1979年、作詞・作曲:Joe Lemon-Marco Bruno-Michael Khan、編曲:深町純)
- レキシ「HiMiKo」(2007年、作詞・作曲:池田貴史。アルバム『レキシ』収録)
- 中村獅童「むらからくにへ」(2014年、作曲:前山田健一。Eテレ『歴史にドキリ』挿入歌)[53]
- スイちゃん(増田梨沙)、コッシー(高橋茂雄)、サボさん(佐藤貴史)「ひみつのヒミコちゃん」(2018年、作詞・作曲:池田貴史。Eテレ『みいつけた!』挿入歌)
- -真天地開闢集団-ジグザグ「卑弥呼-HIMIKO-」(2019年、作詞・作曲:命。アルバム『慈愚挫愚 壱 〜大殺界』収録)
- 水曜日のカンパネラ「卑弥呼」(2022年、作詞・作曲:ケンモチヒデフミ。EP『ネオン』収録)
絵画
彫刻
その他
脚注
注釈
- ↑ 同三年(239年)の誤記とする説もある
- ↑ ただし帯方郡に付託した状態でありこの段階では倭国にはまだ届けられてはいなかった。
- ↑ この黄幢は正始六年に帯方郡に付託されていたもの。
- ↑ 卑弥呼が即位したのは180年代と推定されるので173年には未だ女王卑弥呼は誕生していないので、この年紀は干支1運60年繰り上がった233年ではないかと考えられる。
- ↑ 192年から194年にかけて、新羅・高句麗・中国で異常気象や飢饉の記録があるので、山本武夫はこの頃東アジア一帯が小氷期に見舞われていたとして、倭人の飢饉もその一環とする説を唱えている。
- ↑ 日本書紀の神功皇后紀に登場する「宇流助富利智干(うるそほりちか)」か。
- ↑ 日本書紀の「宇流助富利智干」は神功皇后に降伏した新羅王として出てくるが「一書曰く」で始まる別伝では、日本に殺される新羅王の話があり、これは『三国史記』の于老の話と筋立てが同じであるから同一の史実に基づくと考えられる。
- ↑ 石原によると、かつて帯方郡のあった朝鮮では、近年まで周尺を基準としており、六尺で一歩(=約1.2メートル)としていた。百余歩は120メートル前後となる。「歩」という単位は元々、右足を踏み出し、次に左足を踏み出した時の起点から踏み出した左足までの長さを言う。また「尺」という文字は、手を広げた際の親指の先から中指の先までの長さを尺とすることに由来している。
- ↑ 背景にある5つの山は阿蘇山の阿蘇五岳とされ、邪馬台国九州説に立った作品とされている[54]。
出典
- ↑ NHK. “卑弥呼~むらからくにへ~ | 歴史にドキリ”. NHK for School. 2022年1月15日閲覧。
- ↑ 小学館 小学生なら知っておきたい もっと 教養366 p136より
- ↑ 新羅本紀第二阿達羅尼師今二十年夏五月 倭女王卑弥乎遣使来聘
- ↑ 新羅本紀第二伐休尼師今十年六月 倭人大饑来求食者千余人
- ↑ 新羅本紀第二奈解尼師今十三年四月 倭人犯境遣伊伐飡利音将兵拒之
- ↑
- John R. Bentley (2008). “The Search for the Language of Yamatai”. Japanese Language and Literature 42 (1): 1-43.
- ↑ 「64 伊都国王の墓はなにを語るか」 松本清張編『邪馬台国99の謎』(産報ブックス、1975年)
- ↑ “第325回 邪馬台国の会 邪馬台国の条件”. 邪馬台国の会. 2024年11月10日閲覧。
- ↑ 「卑弥呼とヤマト王権」中央公論新社 342頁
- ↑ 「卑弥呼とヤマト王権」 中央公論新社 272頁
- 1 2 3 大津透 2017, p. 47.
- ↑ 佐々木宏幹 1992, p. 122.
- ↑ 佐々木宏幹 1992, p. 132‐133.
- ↑ 佐々木宏幹 1992, p. 130.
- ↑ 『倭人・倭国伝全釈』角川ソフィア文庫 2020年7月25日 270‐271頁
- ↑ 大津透 2017, p. 48.
- ↑ 「卑弥呼とヤマト王権」 中央公論新書 2023‐3‐10 272頁
- ↑ 大津透 2017, p. 166.
- ↑ 大津透 2017, p. 53.
- ↑ 浙江大学オンライン図書館、リンク先150ページ(『通志』·一百九十四巻 鄭樵)、(邪馬台国新聞16巻6号「文献上における卑弥呼死亡時期の確定~通志の倭人伝解釈~」岡上佑)
- ↑ NASAによる241~260年の皆既・金冠日食。一般の天文シミュレータでも確認可能。
- ↑ 『『論争邪馬台国 宮本一夫編』』株式会社雄山閣、2025年8月25日、全部頁。
- ↑ 奥野正男『邪馬台国は古代大和を征服した』、糸島平原遺跡の研究 など。
- ↑ 石原洋三郎『邪馬台国』 2019年10月 第一印刷 P.50-54
- ↑ 柴原聡一郎「前方後円墳の墳丘長の規格性」『東京大学考古学研究室研究紀要』第33巻、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部考古学研究室、2020年3月、155-182頁、doi:10.15083/00079715、hdl:2261/00079715、 ISSN 18803784、 CRID 1390009224603755904。
- ↑ 岡林, 水野 & 北山 2008, pp. 289–291.
- ↑ “ホケノ山古墳と箸墓古墳”. 橿原考古学研究所附属博物館. 2019年10月28日閲覧。
- ↑ “『ホケノ山古墳の年代について』 平成12年3月28日 新聞各紙の報道”. 邪馬台国の会. 2023年6月13日閲覧。
- ↑ “『女王 卑弥呼』(三枝 和子,森 まゆみ):講談社文庫 製品詳細 講談社BOOK倶楽部”. 講談社BOOK倶楽部. 2025年2月10日閲覧。
- ↑ “鬼道の女王卑弥呼 上 | NDLサーチ | 国立国会図書館”. 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ). 2025年2月10日閲覧。
- ↑ “鬼道の女王卑弥呼 下 | NDLサーチ | 国立国会図書館”. 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ). 2025年2月10日閲覧。
- ↑ 宮本信生. “邪馬台国女王 卑弥呼の生涯”. Amazon.com. 2024年10月8日閲覧。
- ↑ “『日御子』(帚木 蓬生) 製品詳細 講談社BOOK倶楽部”. 講談社BOOK倶楽部. 2025年2月10日閲覧。
- ↑ 『朝日新聞出版 最新刊行物:書籍:卑弥呼とよばれた少女』。
- ↑ “卑弥呼 : まぼろしの女王 : 原始時代 ムロタニ ツネ象(著/文) - 学習研究社”. 版元ドットコム. 2025年2月10日閲覧。
- ↑ “卑弥呼 まぼろしの女王”. NTTソルマーレ. 2025年2月11日閲覧。
- ↑ “学習まんが少年少女人物日本の歴史 2”. amazon.com. 2025年6月18日閲覧。
- ↑ “学習漫画 日本の伝記 集英社版 〔4〕 卑弥呼 邪馬台国のなぞの女王”. トーハン. 2025年2月11日閲覧。
- ↑ 石ノ森, 章太郎 (1989-12-01). マンガ日本の歴史 2. Tōkyō: 中央公論新社. ISBN 978-4-12-402802-7
- ↑ “卑弥呼 : 邪馬台国のなぞの女王 弥生時代 (小学館版学習まんが. ドラえもん人物日本の歴史 ; 第1巻) | NDLサーチ | 国立国会図書館”. 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ). 2024年6月30日閲覧。
- ↑ “角川まんが学習シリーズ 日本の歴史 1 日本のはじまり 旧石器~縄文・弥生~古墳時代: 本・コミック・雑誌 | カドスト | KADOKAWA公式オンラインショップ”. store.kadokawa.co.jp. 2025年1月20日閲覧。
- ↑ “世界女帝列伝 卑弥呼 1 (レジェンドコミック)”. Amazon.com. 2025年2月11日閲覧。
- ↑ “世界女帝列伝 卑弥呼 2 (レジェンドコミック)”. Amazon.com. 2025年2月11日閲覧。
- ↑ “リチャード・ウー氏+中村真理子氏 新連載『卑弥呼 ヒミコ』開幕!! – 小学館コミック”. shogakukan-comic.jp (2018年9月4日). 2025年2月10日閲覧。
- ↑ “日輪”. jmdb.ne.jp. 2025年1月21日閲覧。
- ↑ “花組公演 『邪馬台国の風』『Santé!!』”. 宝塚歌劇公式ホームページ. 2025年1月21日閲覧。
- ↑ “キャストほか | 花組公演 『邪馬台国の風』『Santé!!』”. 宝塚歌劇公式ホームページ. 2025年1月21日閲覧。
- ↑ 『まんが日本史 #02 幻の邪馬台国 -女王卑弥呼- | Hulu(フールー)』。2024年10月8日閲覧。
- ↑ “増山江威子”. 2024年10月8日閲覧。
- ↑ 日本放送協会『古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る - NHKスペシャル』。2025年1月20日閲覧。
- ↑ “邪馬台国:“Nスぺ”で特集 未知の古墳調査や大規模実験で、古代史最大のミステリーに迫る 新事実も紹介”. MANTANWEB(まんたんウェブ) (2024年3月17日). 2025年1月20日閲覧。
- ↑ 女王さま振り向いて!~最新研究!邪馬台国・卑弥呼のヒミツ~ - NHKアーカイブス 2011年10月26日
- ↑ 今回のドキリ★ソング 卑弥呼「むらからくにへ」 - 2024年12月23日閲覧。
- 1 2 3 滋賀県立近代美術館 (2010年9月25日). “秋の常設展「横山大観と仲間たち」の名品から その2”. はてなブログ. 2024年11月10日閲覧。
- ↑ “卑弥呼 | 福沢一郎記念館_Fukuzawa Ichiro Memorial Museum” (2012年3月4日). 2025年6月18日閲覧。
- ↑ “邪馬台国の正体(卑弥呼) | 長野 剛 |【東京イラストレーターズ・ソサエティ(TIS)】Tokyo Illustrators Society”. tis-home.com. 2025年6月18日閲覧。
- ↑ “邪馬台国の正体: 卑弥呼の素顔、「ここまで」わかった!”. amazon.com. 2025年6月18日閲覧。
- ↑ “冨永朝堂「卑弥呼」像”. 晴明会館 (2017年). 2024年11月10日閲覧。
- ↑ “卑弥呼 文化遺産オンライン”. 文化庁. 2024年11月10日閲覧。
参考文献
- 義江明子『つくられた卑弥呼――〈女〉の創出と国家』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2018年(原著2005年)。
- 宝賀寿男「卑弥呼の冢補論-祇園山古墳とその周辺-」『季刊・古代史の海』第26巻、「古代史の海」の会、2001年12月20日、62-96頁、 ISSN 13415522、 NAID 40005104602。
- 岡林孝作、水野敏典、北山峰生「実年代について」『ホケノ山古墳の研究』橿原考古学研究所、2008年11月、289-291頁。 ISBN 9784902777611。 NCID BA89391331。
- 鳥越憲三郎『倭人・倭国伝全釈』東アジアの中の古代日本 角川ソフィア文庫 令和2年7月25日初版(原著2004年「中国正史 倭人倭国伝全釈」中央公論新社)
- 寺沢薫 『卑弥呼とヤマト王権』 中央公論新社 2023年3月10日初版
- 大津透『神話から歴史へ』講談社〈講談社学術文庫〉、2017年12月11日。
- 鳥越憲三郎『倭人・倭国伝全釈』角川文庫〈角川ソフィア文庫〉、2020年7月25日。
- 佐々木宏幹『シャーマニズムの世界』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年12月10日。
関連項目
外部リンク
- 卑彌呼考 内藤湖南、青空文庫
卑弥呼(ひみこ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:35 UTC 版)
「かくりよものがたり」の記事における「卑弥呼(ひみこ)」の解説
カミツヨミドに暮らす御霊の一人。世阿弥同様に元は強力な怨霊だった。全裸で目隠しをして常に池で禊ぎをして過ごし、未来予知で怨霊の襲撃を備える役割をしている。予知能力を発揮する際に奇声を発し、予知内容を伝えるのが役割。千子村正戦以降、厩戸の妨害で未来予知が使えなくなり、深く悩んでいる。また、3体の怨霊たちを失い血迷ったニギが池で禊ぎをしようとした際には動揺していた。
※この「卑弥呼(ひみこ)」の解説は、「かくりよものがたり」の解説の一部です。
「卑弥呼(ひみこ)」を含む「かくりよものがたり」の記事については、「かくりよものがたり」の概要を参照ください。
「卑弥呼」の例文・使い方・用例・文例
卑弥呼と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 卑弥呼のページへのリンク
