歴史書
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歴史書を記述するのは目的意識を持った、そして多くの場合職業的な歴史家である。執筆の目的は歴史そのものへの興味、過去を後世に伝えるため、独自の史観を表現するためなどさまざまである。為政者の支配の正統性を主張するなど、政治的動機による場合も多い。
時系列に従って事件が記述される。記述される内容は政治史・軍事史を主とすることが多い。基本的なスタイルとして、事項が時系列順に並べられたもの(編年体)と重要な個人の事績を追って記述するもの(紀伝体)の2つがある。
歴史書を記述する歴史家は既存の史料を収集・比較・批判し、ある基準によって取捨選択(史料批判)を行う。この作業がなされない場合は歴史書とは言えず単なる記述にとどまる。また、歴史家の想像はできる限り排除される。想像が勝つ場合は歴史文学となる。例えば『三国志演義』など。
原理的に歴史書は二次史料以下の史料となるが、当時の史料が失われていることも多く、その場合一次史料並みの扱いを受けることもある。
上記の例外として、歴史記述を目的としたわけではない重要事件の記録がのちに歴史書と見なされることも多い。ガイウス・ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』などは、その顕著な例である。
関連項目
史書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:57 UTC 版)
『増鏡』は四鏡の最後の史書で、後鳥羽天皇の即位から1333年に配流となっていた後醍醐天皇が京都に帰還するまでの宮廷社会の動向を記している。『太平記』は後醍醐天皇の即位から細川頼之が管領に就任するまでの南北朝時代を扱っており、軍記物語の性格が強く室町時代から江戸時代にかけて太平記よみと呼ばれる物語僧によって庶民にも語られていた。『梅松論』は足利尊氏の正当性を強調して書かれた史書であるが、成立は太平記よりも早く、資料性は高い。『神皇正統記』は、南北朝時代に南朝の北畠親房が関東で勢力を集めるために南朝の正統性を神代から記した所で、のちの皇国史観に繋がるイデオロギー的性格の強い史書であった。『難太平記』は今川貞世が著した史書で、太平記の誤りを訂正しつつ、今川氏の事績を中心に書かれている。『明徳記』は1391年の明徳の乱の経過が書かれている、『応永記』には1399年の応永の乱や南北朝合体の記述が、『永享記』には永享の乱を中心とした関東の情勢が、『応仁記』には足利義政の治世から応仁の乱の様子が記されている。また、江戸幕府が幕末に編纂した史書として『後鑑』があり、1333年から1597年に至るまでの史実を編年体で記し、各項目に出典となった各種資料を直截採録する形式となっている。 この他、史書ではないが、日記史料としては、洞院公賢の『園太暦』、中原師守の『師守記』、中原康富の『康富記』、山科言継の『言継卿記』などが特に重要である。
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「史書」の例文・使い方・用例・文例
- この歴史書は小説的なスタイルで書かれている。
- 私はノンフィクションの歴史書を読むことが好きです。
- 彼は南北戦争の歴史書を書いた。
- 休日には歴史書か古典を読んで時を過ごしたものだ。
- この歴史書は高校生を対象に書かれている。
- 史書.
- 歴史書の中に.
- 2巻からなる歴史書
- 米国の歴史家で、米国の人々について9巻の歴史書を書いた(1852年−1932年)
- 古事記という歴史書
- 紀伝体という,歴史書の編纂形式
- 雑史を扱った歴史書
- 日本書紀という,日本最初の歴史書
- 史書などの内容に関する,漢詩の題
- 国が編集した歴史書
- 事実をありのままに記した歴史書
- 中国歴代の,最も正統と認められた紀伝体の歴史書
- 史書を読む
- 史書をあみととのえる
- 天子一代の事蹟を書いた,紀伝体の歴史書
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