史書における娑蘇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 06:39 UTC 版)
『三国遺事』巻五「感通第七」条には以下の記述がある。 神母本中國帝室之女。名娑蘇。早得神仙之術。歸止海東。久而不還。父皇寄書繫足云。隨鳶所止為家。蘇得書放鳶。飛到此山而止。遂來宅為地仙。故名西鳶山。神母久據茲山。鎮祐邦國。靈異甚多。神母の名は娑蘇とよばれ、彼女は中国の帝室の娘である。神仙の術を得て、海東(朝鮮)に来て住みついて長く帰らなかった。父の皇帝が鳶の足に手紙をむすびつけて「鳶が止まるところに家を作って住みなさい」と伝えた。娑蘇が手紙を読んでから鳶を放ったところ、仙桃山(慶州の西岳)に飛んでいってそこに止まったので、娑蘇はそこに住み地仙となった。その山は西鳶山と名づけられ、娑蘇神母は久しくこの山を根拠地として国を鎮護し、霊異が非常に多かった。 — 三国遺事、巻五、感通第七条 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。三國遺事/卷第五#仙桃聖母隨喜佛事 『三国遺事』巻五「感通第七」条には以下の記述がある。 其始到辰韓也。生聖子為東國始君。蓋赫居閼英二聖之所自也。故稱雞龍雞林白馬等。雞屬西故也。嘗使諸天仙織羅。緋染作朝衣。贈其夫。國人因此始知神驗。(娑蘇は)はじめ辰韓にきて、聖子を生み、東国の最初の王となった。たぶん、赫居世と閼英の二聖を生んだことであろう。それで鶏竜・鶏林・白馬(など)の称があるが、(これは)鶏が西がわ(西方)に属するからである。あるとき(娑蘇が)諸天の仙女たちに、羅うすものを織らせ、緋色に染めて朝服を作り、彼女の夫に贈った。国の人がこのことによってはじめてその神験を知った。 — 三国遺事、巻五、感通第七条 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。三國遺事/卷第五#仙桃聖母隨喜佛事
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