えんたいりゃく〔ヱンタイリヤク〕【園太暦】
園太暦〈自筆本/応長元年二月、三月〉
主名称: | 園太暦〈自筆本/応長元年二月、三月〉 |
指定番号: | 431 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1966.06.11(昭和41.06.11) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | 1311 |
検索年代: | |
解説文: | 中園太政大臣洞院公賢の日記で、南北朝時代の根本史料として尊重されてきたが、原本は早く散逸し、自筆本としては本巻を存するのみである。料紙は具注暦を用い、記事はあるいは紙背に及び、あるいは補紙を挿入して書き継ぐなど、公賢が日々の記録に遺漏なきを期した跡をとどめている。 |
古文書: | 周防国阿弥陀寺領田畠注文 唐招提寺文書 善通寺伽藍并寺領絵図 園太暦 堂供養記 塔寺八幡宮長帳 多田神社文書 |
園太暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:22 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動『園太暦』(えんたいりゃく)は、“中園太政大臣”と称された南北朝時代の公卿・洞院公賢の日記。『中園相国記』とも。南北朝時代における基本史料。
著者の洞院公賢は、太政大臣という高官に就き、また有職故実に通じていたために、天皇や公卿からの相談も多く、この時期における朝廷の動きについて詳細に記している。記載時期は、延慶4年(1311年)2月から延文5年(1360年)3月にわたり、123巻から成る。大半は散逸したものの、自筆原本も一部現存している(重要文化財)。また、甘露寺親長や三条西実隆(親長の甥)による抄本も残されている。
公賢没後、子実夏より三代を経て公数に至り家門断絶となったが、公数在世中に家の記録を順次売却して家計を維持していた。『園太暦』も文明14年(1482年)元月に中院通秀へ1000余疋をもって譲渡された。その通秀の日記『十輪院入道内府記』によると、当時の現存状況は次の通りであった。
- 延慶4年(1311年)2、3月
- 康永3年(1344年)春、夏、秋
- 貞和元年(1345年)春、夏、秋、10月、11月
- 貞和2年(1346年)春、4月、5月、秋、冬
- 貞和3年(1347年)四季
- 貞和4年(1348年)四季
- 貞和5年(1349年)春、夏、秋、11月、12月
- 観応元年(1350年)四季
- 観応2年(1351年)四季
- 文和元年(1352年)四季
- 文和2年(1353年)春、夏、秋
- 文和3年(1354年)冬
- 文和4年(1355年)四季
- 延文元年(1356年)四季
- 延文2年(1357年)四季
- 延文3年(1358年)春、夏、秋
- 延文4年(1359年)四季
- 延文5年(1360年)春(内1巻は公賢弟公敏の『公敏卿記』)
刊本は、1930〜40年代に大洋社から第4巻まで出版され、その後、1970年代以降、史料纂集の一部として全8巻が刊行されている。
参考文献
- 林屋辰三郎『内乱のなかの貴族: 南北朝と「園太暦」の世界』(角川選書、1991年) ISBN 4-04-703220-4
- 太田藤四郎編纂『園太暦』太洋社、1936-1940年(国立国会図書館デジタルコレクション 第2巻 第3巻 第4巻
- 斎木一馬ほか校訂『園太暦』(史料纂集)続群書類従完成会、1971-1986年 ISBN 4797103140 ISBN 4797103558 ISBN 4797103566
外部リンク
- e国宝 園太暦 自筆本 応長元年二月三日
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