とさにっき【土佐日記/土左日記】
土佐日記〈藤原定家筆/〉
土佐日記
土佐日記(土左日記)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 04:17 UTC 版)
長年にわたって強固な定説として認知されてきた「紀貫之は、女性に仮託して書いた」という解釈について、完全否定した。 そして、論拠を示した上で、冒頭の一節を「漢字ではなく、仮名文字で書いてみよう」という意思表示を平安前期の仮名文の特性である複線構造を活かして巧みに表現したものだ、とする新しい説を提示した。 「それのとしの」以下の従来の解釈についても、徹頭徹尾間違っていたとして、丹念な検証の上で、新たな解釈を提示した。 この発見については、2007年3月2日付読売新聞に『「土佐日記」冒頭に新説』という記事が掲載された。小松説に対しては、冒頭部の理解を中心に、東原伸明が『日本文学』(第56巻第8号)に書評で、熊谷直春、徳原茂実が論文で批判を加えている。なお、読売新聞の記事は、「仮名」を「ひらがな」とするなど、小松英雄の考え方を正確に報道していない。
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土佐日記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 22:57 UTC 版)
935年「土佐日記」成立。これによって、紀貫之が阿波南部を船で帰京したことがわかる。寄港地には諸説ある。江戸期前半に土佐藩主参勤交代の港として使われ、江戸期を通じて藩の重要な港だった東洋町甲浦港が当てられることが多い。
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