しょ‐どう〔‐ダウ〕【書道】
書道
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書道(しょどう)または書(しょ)とは、書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術である。カリグラフィーの一種。中国が起源であり従来より漢字作品があるが、日本語圏においては漢字から派生した仮名、朝鮮語圏(朝鮮の書芸)ではハングル、ベトナム語圏(ベトナムの書法)では同じく漢字から派生したチュノムやローマンアルファベットを使用するクォック・グーなどでも創作活動が行われている[1]。2009年に中国の書道が、ユネスコの無形文化遺産に登録された。
- ^ “ベトナムの伝統的文化の一つである書道”. ベトナムの声放送局. ベトナム国営放送VOV (2022年2月13日). 2024年4月30日閲覧。
- ^ a b 藤原鶴来(緒論)
- ^ 古谷稔 P.3
- ^ 角井 P.4
- ^ 西川(辞典)P.69
- ^ 萱 P.140
- ^ 飯島(辞典)P.372
- ^ 木村卜堂 序
- ^ a b c d e f 牛窪梧十 P.148
- ^ 日本の書論#米庵墨談を参照
- ^ 中西慶爾 p.1014
- ^ 飯島(辞典) p.861
- ^ 西川(辞典) p.57
- ^ 開明墨汁 ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア
- ^ 平成26年度東京学芸大学教育学部組織の再編について(予定) (PDF) [リンク切れ]
書道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:16 UTC 版)
「都留文科大学の人物一覧」の記事における「書道」の解説
安藤豊邨 - 書家。日本刻字協会理事長、豊田書道連盟理事長、愛知教育大学非常勤講師。
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書道
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詳細は「日本の書道史」、「日本の書流」、および「禅林墨跡」を参照 書道では、平安時代に藤原行成が創始した世尊寺流はしだいに公家社会で衰え、かわって宋・元の書風が伝えられたのを受けて鎌倉時代末に伏見天皇の第6皇子で京都青蓮院 の尊円入道親王 が青蓮院流をひらいた。青蓮院流は、和様(世尊寺流)をもとに宋(とくに南宋の張即之)の書風をとり入れたもので、江戸時代には朝廷・幕府・諸藩の公文書に採用され、御家流と称された。庶民間でもひろく普及し、習字の手本などにもなっている。有名な『鷹巣帖』は、同じ持明院統で兄後伏見天皇の孫にあたる後光厳天皇のために、尊円が漢字と仮名で詩歌を一巻に書きついだものである。
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書道
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もともと菅谷は乱筆であった。黄檗山の機関誌編集をしていた頃、ある料亭で集まった全員が寄せ書きをする機会があったという。その際、菅谷も一筆入れたが、誘った印刷会社の社長から翌日に謝られた。「あんな下手な字を書かせて、恥をかかせてしまった」という理由である。乱筆の自覚がなかった菅谷は、社長がなぜ謝っているのか、すぐに理解できなかったという。そして「でも、松岡先生だって変な字書いとったね」と、同じ場に居合わせた書道家・松岡について評価した。松岡は隷書の達人と呼ばれていた人物である(菅谷は当時、隷書を知らなかった)。 菅谷は文学で身を立てることを目指していたが、順調には進まなかった。そんな折、知人の女性に勧められ、気が進まないままに八卦の占いを受ける。八卦見は菅谷に対して「文学は趣味にすべき。仕事にするなら書道である」と述べた。その後数人の八卦見による占いを受けたが、やはり全員の答えが「書道をすべき」であった。ある男の八卦見は、菅谷の顔を見るなり「書道で一生を送る人でんな」と告げた。 書道を始めた菅谷が師事したのは、当時日本春秋書芸院の総裁であった西田王堂である。当時、全国の小中学校における習字の教科書の字体は、すべて王堂が書したものだったという。
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書道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 01:41 UTC 版)
詳細は「日本の書道史#平安時代」を参照 空海・嵯峨天皇・橘逸勢は三筆と称された。 『風信帖』:空海の書。
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書道
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書道
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「どぉーだ!Presents タカトシ牧場」の記事における「書道」の解説
2010年9月12日放送。様々な材料でオリジナルの筆・半紙・墨(墨汁)を一から制作し、書が書かれた。
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書道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/16 14:05 UTC 版)
日本史上最高の能書帝とされ、大覚寺統の後醍醐天皇と共に宸翰様(しんかんよう、禅僧の禅林墨跡を交えた書風)を代表するだけではなく、上代様など様々な書風を使いこなした。多くの宸翰(しんかん、天皇の直筆文)が重要文化財に指定されている。 歴史物語『増鏡』「裏千鳥」では、「御手もいとめでたく、昔の行成大納言にもまさり給へる、など時の人申しけり。やさしうも強うも書かせおはしましけるとかや」と、「三蹟」の藤原行成以上の書の腕前を持っていたと評され、さらに様々な書風をこなしていたことがわかる。「やさしうも強うも」云々は、草書と楷書も使い分けたという解釈や、上代様も宸翰様も使い分けた、などの解釈がある。伏見天皇の書を称える話は『正徹物語』下巻冒頭などにもある。 書道史研究者の小松茂美は、天皇という範囲に限定せず、「現代の書道史においても歴朝随一と言うにはばからぬ」と評している。美術史・古文書研究者の羽田聡は、「魔法使いのような変幻自在ぶり」「書聖」と評している。 代表的作品は、上代様によって書かれた『紙本墨書伏見天皇宸翰御願文(正和二年二月九日)』(重要文化財、京都国立博物館蔵)。室町時代の公卿三条西実隆は「希代之鴻宝」と評し、羽田は、深い学識を豊かで流麗に表現した「名品中の名品」と評している。その他の代表作には、正和5年の願文や、「筑後切」などがある。 皇子の尊円法親王が創始した御家流は、近世には標準的書風の一つとして広まった。
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書道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 14:24 UTC 版)
詳細は「書道」および「中国の書道史」を参照 書聖として王羲之、顔真卿、北宋の徽宗帝の名が挙げられる。
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書道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:41 UTC 版)
弘一の書道の早期生まれ変わること魏碑、筆勢変化に富んでいる、逸宕ひらめき。後期は自成型一体、朴野清淡。
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書道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/19 14:15 UTC 版)
日本書芸院に登録されている会派に21派から成る【漢字会派】、17派から成る【かな学会】、【篆刻会派】の篆社がある。
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書道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 22:34 UTC 版)
小野道風・藤原佐理・藤原行成が三蹟と呼ばれた。11世紀にはかな書道の古典とされる高野切が制作され、12世紀まで多様なかなの書風が展開した。
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書道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/18 09:16 UTC 版)
「en:Persian calligraphy」および「イスラームの書法」も参照 ウィリアム・ダラントというアメリカの歴史家によれば「古代イラン語は36文字あり、粘土板ではなく羊皮紙にペンで記述した」という。かなりはやくから羊皮紙を使用し、また書が重んじられたらしい。陶芸作品や金属の壺、さらに歴史的建築物などには必ずといっていいほど書による装飾が施されている。 装飾写本、ことにクルアーンのほかシャー・ナーメ(王書)、ディーワーネ・ハーフェズ(ハーフェズ詩集)、ゴレスターン(薔薇園)、ブスターン(果樹園、サアーディ作)等の作品は、その繊細な書でもきわめて貴重なものと認識されている。それらは多量に流布し、世界中の博物館・美術館や個人コレクションに所蔵されている。ロシア・サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館、アメリカ・ワシントンD.C.のフリーア美術館などで実物を見ることができる。 書体の種類 シェカステ体(ペルシア語版) ナスタリーク体 ナスク体 モハッカク体
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書道
出典:『Wiktionary』 (2021/11/01 09:38 UTC 版)
発音
名詞
- (芸術) カリグラフィー(wp)(広義)の一種。東洋発祥のカリグラフィー。
- a. [本義] 書くことで文字の美を表そうとする、中国起源の視覚芸術(wp)。「書法」ともいう。古代より東アジア(wp)で広く行われる。伝統的・基本的に、毛筆と墨液を使って書く。
- b. [狭義] 語義1aのうち、特に、日本の毛筆書道。
- c. [広義1] 書くことで文字の美を表そうとする日本の視覚芸術の総称。毛筆書道と硬筆書道があり、前者は語義1aと同類(語義1bと同義)であるが、後者は「書道」の本義とは違い、ペン(硬質の筆記具)で書く「カリグラフィー(狭義のカリグラフィー)」の一種である。
- d. [広義2] 書くことで文字の美を表そうとする東洋の視覚芸術。「書法」ともいう。中国起源の書道(語義1a)と、日本で「アラビア書道」と呼ばれることの多いイスラームの書法(wp)が代表的。
- (日本史, 教育) 日本律令制(wp)の大学寮(wp)において、書道について教えた学科。
類義語
熟語
関連語
翻訳
- イタリア語: (1a)calligrafia (it) cinese (it)(wp)
- 英語: (1a)Chinese calligraphy (en)(wp), (1b)Japanese calligraphy(wp), (1c) -
- 中国語]] : (1)書法/书法, (1a)東亞書法/东亚书法(wp), (1b)書道/书道, 日本書道/日本书道, (1c) -
- ドイツ語: (1a)chinesische (de) Kalligrafie (de)(wp), (1b)japanischen Kalligrafie
- フランス語: (1a)calligraphie (fr) extrême (fr)-orientale (fr)(wp) 女性, (1b)calligraphie japonaise (fr), (1c) -
「書道」の例文・使い方・用例・文例
- 私は茶道はもちろんのこと,書道,踊りそれにお花を習った
- くつろぐ方法のひとつとして書道を始めた
- 彼は熱狂的な蔵書道楽家だ。
- 私は小学4年生から書道を習っている。
- 近くに本格的な書道教室がない。
- 近所に本格的な書道教室がない。
- 私は、書道教室に毎週木曜日に通っています。
- 私の伯母は書道をやっています。
- 私は書道が上手になりたい。
- 私は書道に行きました。
- 書道部に所属しています。
- 書くことが好きなので、書道家になりたいです。
- 書道の先生になりたい。
- 私は今から書道をやります。
- 私は20年以上書道をやっていました。
- この書道作品は彼女が書いた。
- 私は家で書道を教えています。
- 私は小さい頃から書道を習っている。
- 私は書道とそろばんと水泳と柔道を習っています。
- 私は書道を習っている。
書道と同じ種類の言葉
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