分裂後期
後期(1933 - 1939年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 15:07 UTC 版)
「大同電力」の記事における「後期(1933 - 1939年)」の解説
大同電力は、落合発電所建設以来自社発電所の建設を中断していたが、後述の会社更生計画の一環として1933年(昭和8年)に自社開発の再開に踏み切り、1935年(昭和10年)に9年ぶりの自社発電所を完成させた。開発の対象となったのは木曽川・矢作川双方である。 木曽川について見ると、前述の通り1921年2月の大同電力発足時には9地点、すなわち大桑第一・大桑第二・読書・賤母・落合・大井・笠置・錦津・今渡の各地点における水利権が許可済みであったが、1925年4月に支流王滝川・西野川に計3地点(王滝川第一・王滝川第二・西野川)の水利権を追加で獲得した。開発にあたっては水利地点の分割・改称が頻繁に行われ、1932年には王滝川における貯水池(三浦貯水池)の建設も許可されており、許可当初とは変更点が多々ある。自社電源開発再開の後、木曽川では1939年(昭和14年)までに笠置発電所・寝覚発電所および傍系会社の手による今渡発電所が完成し、三浦貯水池も着工された。 一方矢作川では最終的に、中流部に3地点、支流段戸川に1地点、計4地点の水利権を保有し、それぞれ水力発電所を運転した。うち串原水力(串原発電所)は前述の通り木曽電気興業からの引き継ぎであるが、残りの時瀬・笹戸・旭の各地点は傍系会社尾三電力の合併に伴い1928年(昭和3年)に継承した地点である。尾三電力からの3地点は、同社によって時瀬・旭両発電所が建設済みで、笹戸水力のみ未開発のままであったが、自社電源開発再開後に笹戸発電所が建設された。 また、1938年(昭和13年)5月の千早川水力電気の合併により、出力100kW前後の小水力発電所4か所を継承した。
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後期
「後期」の例文・使い方・用例・文例
- 一年間を前期と後期の2つに分けます
- 彼が前・後期の試験を受験します
- 被保険者となる方には、1人に1枚後期高齢者医療制度の保険証を交付します。
- 後期の品物が用意できしだいすぐに連絡します。
- 今妊娠後期です。
- 私たちの大学の博士課程は前期と後期に分かれています。
- 後期逸すべからず。
- 彼の後期の絵はすべて傑作とみなされた。
- 10代後期で[の], ハイティーンの.
- チューダー朝建築様式 《英国ゴシック式最後期の建築様式で, 特に垂直様式の最末期》.
- 後期カンブリア紀.
- この土器は縄文時代後期のものである.
- (医者の)後期試験
- 後期印象派
- 後期へ繰り越す
- 残高を後期へ繰越す
- 残額は後期へ繰越す
- 19世紀後期に、エンジンは前部、中央部、そして、後部に置かれた
- 最も美しく、たそがれのメランコリーがある、かすかにロマンチックな19世紀後期のフランスのオペラ
- カンブリア時代の2つの境界の後期に形成された
後期と同じ種類の言葉
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