連合軍エースとの空戦とは? わかりやすく解説

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連合軍エースとの空戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:08 UTC 版)

一式戦闘機」の記事における「連合軍エースとの空戦」の解説

連合軍トップクラスエース相手とした一式戦による確実戦果としては主に以下の事例存在する1944年3月5日ニューギニア戦線において、飛行77戦隊三苫軍曹青柳軍曹操縦一式戦が、21撃墜を誇るニール・カービィ大佐操縦のP-47Dを確実撃墜1944年初期当時21撃墜ニール・カービィ大佐P-47操縦)は24撃墜リチャード・ボング大尉P-38操縦)とアメリカ軍トップ・エースの座を巡り争っており、カービィ大佐は第348戦闘航空指揮官(群長・司令)として新鋭P-47操縦し1943年10月には同戦線にて第64戦隊初代戦隊長歴任したベテランである第14飛行団長寺西多美弥中佐操縦一式戦撃墜するなど戦果多数記録していた。しかし3月5日僚機のP-47D 2機を率いて飛行208戦隊九九式双軽爆撃機3機を攻撃中のところを77戦隊一式戦5機が奇襲し三苫軍曹機・青柳軍曹機が低空低速でもがきまわるカービィ大佐機の操縦席機関砲射撃しこれを撃墜。ただちに部下のP-47Dが駆けつけたもののカービィ大佐戦死した一式戦損害は1機が被弾不時着のみ。 1945年1月7日フィリピン戦線において、飛行54戦隊杉本明准尉操縦一式戦飛行71戦隊福田瑞則軍曹操縦四式戦が、P-38 4編隊遭遇38撃墜を誇るアメリカ全軍第2位エースであるトーマス・マクガイア少佐操縦のP-38L、僚機ベテランのジャック・リットメイヤー中尉のP-38Jが未帰還(戦死)。不意の遭遇戦で4機のP-38遭遇し劣位から応戦した杉本准尉機は離脱成功する被弾不時着成功した地上ゲリラ射殺された。杉本機の空戦目撃し現場駆けつけ福田軍曹機は対進戦でP-38 1機を撃墜福田機は残ったP-38 2機(エド・ウィーバー大尉機、ダグ・スロップ中尉機)の追撃回避生還する機体被弾多数により廃棄福田軍曹空戦時はマラリア高熱により意識朦朧状態あり、か落下タンクと100kg爆弾搭載したままであった。本空戦乱戦であり、マクガイア機は杉本機または福田機に撃墜されたとする説、低空低速で無理な機動試みたことにより失速・墜落たとする説があり、詳細明らかでないいずれにせよ日本陸軍との戦闘アメリカ軍両名戦死したことは事実である。 詳細は「トーマス・マクガイア#経歴#最期」を参照

※この「連合軍エースとの空戦」の解説は、「一式戦闘機」の解説の一部です。
「連合軍エースとの空戦」を含む「一式戦闘機」の記事については、「一式戦闘機」の概要を参照ください。

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