フィリピン航空戦とは? わかりやすく解説

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フィリピン航空戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:08 UTC 版)

一式戦闘機」の記事における「フィリピン航空戦」の解説

1944年後期マリアナ沖海戦勝利しサイパン攻略したアメリカ軍は、フィリピン奪回のため同年10月レイテ島上陸レイテ島の戦いレイテ沖海戦)。ここに「比島決戦」と称され陸海空大兵力が投入されることになるフィリピンの戦い勃発しルソン島ビサヤ諸島ネグロス島等)には日本陸海軍航空部隊集結していたことからレイテ中心に苛烈航空戦繰り広げられた(フィリピン航空戦)。この大規模航空戦陸軍第16飛行団筆頭四式戦本格的に大量投入(ほか三式戦投入)、また海軍多数従軍、さらにアメリカ軍陸海軍機が入り交じる混戦であるため戦果損害照合特定は困難となる。 このフィリピン航空戦に海軍10月下旬陸軍11月12日時点特別攻撃隊初実戦投入し以降数々特攻隊編成し敵艦攻撃運用している。陸軍特別攻撃隊一式戦によるフィリピンでの確実な特攻主要戦果としては、11月27日八紘隊が戦艦コロラド」、軽巡洋艦セントルイス」、軽巡洋艦モントピリア」に突入し損害与え駆潜艇「SC-744」を撃沈11月29日靖国隊が戦艦メリーランド」、駆逐艦「ソーフリー」、駆逐艦オーリック」に突入し損害与えた1945年1月9日一誠とされる一式戦戦艦ミシシッピ」に突入。このほか軽巡洋艦ナッシュビル」(12月13日一宇隊)などにも一式戦突入した可能性がある。なかでも戦艦メリーランド」に突入した靖国隊の一式戦は、の中から現れ急降下で同艦に突入する寸前に、機首上げて直急上昇してまたに入ると、1秒後には太陽を背にして真っ逆さま急降下状態で全く対空射撃浴びことなく40.6cm砲(16インチ砲)を備える第2主砲塔命中している。その見事な操縦見ていた「メリーランド」の水兵は「これはもっとも気分のよい自殺である。あのパイロット一瞬の栄光輝きとなって消えたかったのだ」と日記書き、その特攻一式戦曲芸飛行見ていた「モントピリア艦長も「彼の操縦ぶりと回避運動見上げたものであった」と感心している。主砲塔損害受けたメリーランド」は大破炎上し修理のため翌1945年3月まで戦列離れている。 決戦先駆け7月一式戦装備部隊としては第30戦隊第31戦隊進出第31戦隊はもとは襲撃戦隊)。9月空母機動部隊艦載機交戦し第31戦隊撃墜多数戦果報じたが、第30戦隊大損害を受け早くも戦力回復のため日本一時帰還している。10月11日26戦隊・第204戦隊22日20戦隊23日24戦隊30日独立飛行24中隊31日には第33戦隊それぞれ一式戦部隊が同方面進出フィリピン戦において日本軍当初ルソン島での決戦意図していたが、台湾沖航空戦レイテ沖海戦虚構戦果影響され急遽レイテ島での決戦変更。そのため10月末よりルソン島配置していた地上部隊多数船団輸送によりレイテ島移送する多号作戦開始され日本軍航空部隊はその上掩護にあたっていた。11月1日マニラからのその増援たる第1師団乗せた船団オルモック到着人員物資揚陸中の翌2日に第49戦闘航空群のP-38飛来し直掩の第33戦隊・第26戦隊・第20戦隊一式戦および飛行52戦隊飛行200戦隊四式戦などが交戦断続的に続いたこの空戦で6機(一式戦4機・四式戦2機)を喪失するも5機(P-38 5機、第8戦飛行隊第9戦飛行隊)を撃墜し、この防空戦により第1師団レイテ上陸成功終わった多号作戦#第2次輸送部隊)。 船団掩護一方で日本軍航空部隊アメリカ軍上陸船団輸送船レイテ島アメリカ軍飛行場対し撃滅戦を重点的に行っており、4日未明には戦闘機および九九襲数機・九九双軽7機がタクロバン飛行場と沖に停泊中の輸送船攻撃。この攻撃によってP-38 2機を地上破壊、その他39機が損傷を受け第345爆撃航空群の要員100名以上が戦死した一式戦クラスター爆弾であるタ弾搭載しタクロバン飛行場対し少数機で夜間未明低空爆撃繰り返して大きな戦果挙げている(#戦闘爆撃機)。 しかし4日6日には一式戦配備されていたネグロス島ファブリカ飛行場攻撃を受け壊滅、第20戦隊・第33戦隊機体受領のためマニラ後退した10日には北方方面たる千島列島から第54戦隊一式戦装備)が進出。翌11日船団掩護のため出撃した第54戦隊一式戦8機がP-38 2機と交戦し、P-38J 1機(第12戦飛行隊ラッセル中尉機)を撃墜。しかしオルモック湾上空船団直掩ではアメリカ海軍SBD護衛するF6F相手とする低位戦により、戦隊長以下5名が戦死した同日、第20戦隊一式戦3機がF6F 2機(空母ワスプ艦載機)と交戦、1機を撃墜(第81海軍戦闘機隊)。 一連のレイテ航空戦日本軍航空部隊急速に消耗するも、1945年1月7日には第54戦隊一式戦1機および飛行71戦隊四式戦1機が、アメリカ全軍第2位エースであるトーマス・マクガイア少佐のP-38Lないし、その僚機のジャック・リットメイヤー中尉のP-38Jを協同撃墜している(一式戦1機喪失P-38 2機撃墜、#連合軍エースとの空戦)。 9日にはルソン島アメリカ軍上陸ルソン島の戦い)。陸軍1月下旬までは戦闘機補充し空戦行っていたもの同月末には作戦可能機は十数機にまで落ち込み、フィリピン航空戦は一方的な敗北終わった壊滅した第4航空軍飛行部隊後退進められたが、ニューギニア航空戦と同様に後退手段無くなった飛行部隊地上勤務者・空中勤務者の多く地上戦巻き込まれ戦死担当戦域無くなった第4航空軍自体2月28日廃止されている。1月上旬戦力回復終えルソン島戻っていた第30戦隊は、一部とどまり4月上旬まで奇襲攻撃行っているがこれも5月台湾へ後退した

※この「フィリピン航空戦」の解説は、「一式戦闘機」の解説の一部です。
「フィリピン航空戦」を含む「一式戦闘機」の記事については、「一式戦闘機」の概要を参照ください。

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