千島航空戦とは? わかりやすく解説

千島航空戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:08 UTC 版)

一式戦闘機」の記事における「千島航空戦」の解説

1943年5月アリューシャン列島アッツ島陥落キスカ島からの撤退準備のため、北千島対策迫られ陸軍同年6月一式戦装備の第54戦隊を同方面移動させることを決定7月20日戦隊長以下第54戦隊第2中隊第3中隊一式戦二型23機(第1中隊台湾台北派遣中、1944年2月末にこれは独立飛行中隊改編されるとともに54戦隊は新第1中隊編成)は、幌筵島北東端に位置し占守島を望む北ノ台飛行場全機無事に進出した進出9日後の7月29日キスカ島撤退作戦発動され作戦成功、約5,000名の将兵海軍第五艦隊輸送され8月1日幌筵島上陸している。しかしこの玉砕撤退による西部アリューシャン放棄によって、占守島幌筵島北千島北方方面最前線となった8月12日アメリカ陸軍航空軍第11空軍北千島7月22日以降第3回目爆撃行としてB-24 9機を出撃させた。以後2年「以上」続くこととなるこの千島航空戦の初陣に第54戦隊戦隊長機以下全機邀撃爆撃終え帰還するB-24を攻撃し防御砲火反撃で1機を喪失するも2機を撃墜した(第404爆撃飛行隊撃墜戦隊本部山田成一准尉機・第3中隊榎田正一軍曹機(協同撃墜)、第3中隊第2小隊長岩瀬勲中尉機(単機撃墜)による)。これは「日本本土防空撃墜第1号(および第2号)」である。この空戦には先に千島進出していた占守島第四五二海軍航空隊二式水上戦闘機零式水上観測機加わっているが戦果無く、また幌筵島南端第二八一海軍航空隊零戦離陸自体はしているが戦意無く武蔵飛行場の上警戒終始し防空戦には参加していない(二八一空は当時北千島最大邀撃戦力ありながら千島航空戦に一切寄与することなく転出していった)。 日本陸海軍一式戦水上機高射部隊は春から秋にかけて厚い濃霧発生する戦線来襲するアメリカ軍爆撃機迎撃9月12日空戦ではアメリカ軍はB-24 3機・B-25 7機喪失(7機はソ連カムチャッカ半島不時着)、7機被弾損害被っている。 同時期、戦力強化のため北海道防空の任にあたっていた第63戦隊第1中隊一式戦装備)が幌筵島進出し54戦隊指揮下に入るも、11月戦隊主力ニューギニア航空戦に転出することとなり同第1中隊機材を第54戦隊引渡し主力追随海軍冬季迎えるため10月11月歴戦四五二空水上機部隊)が、また10月から12月にかけて二八一空の零戦が、9月から12月にかけて第七五二海軍航空隊一式陸攻が、重巡洋艦那智」以下の第五艦隊それぞれ南方内地転出。これにより北千島から海軍航空部隊消滅し、同方面防空年明けまで第54戦隊のみが担うこととなった残った54戦隊日本軍航空部隊では初となる厳寒地北千島越冬実施暴風により一式戦トラック吹き飛ばされ、風の無い日は1m以上の積雪記録する条件下で(除雪車故障により)戦隊長以下操縦者含めた戦隊全体雪かき励み整備隊は一晩中エンジン下で焚火行い暖気に努るなどしている。濃霧強風酷寒北千島日本軍のみならずアリューシャン展開するアメリカ軍にとっても最大障害であった大損害を受けた9月12日以降本格的な爆撃控えていたアメリカ陸軍航空軍に代わって海軍航空部隊がこれを実施1944年1月20日以降約4か月にわたり第139哨戒爆撃飛行隊PV-1による夜間偵察爆撃78回を数えた2月4日夜に巡洋艦駆逐艦による艦砲射撃が、同月15日には陸軍航空軍のB-24による爆撃再開している。日本海軍航空部隊異なり夜間出撃夜間飛行夜間戦闘技量単座戦闘機操縦者にも求められる日本陸軍航空部隊において、夜間邀撃は「本来は」可能であったものの、他戦域大きく異な暴風豪雪下の北千島夜間の離着陸危険なためこれは行えなかった。 春となる3月・4月日本陸海軍千島方面航空戦力増強し戦闘・軽爆・重爆襲撃・司偵・艦爆艦攻陸攻偵の各飛行部隊北千島中千島南千島進出。第54戦隊一式戦はこれらの零戦とともに千島航空戦を戦っている(P-40P-38アメリカ陸軍戦闘隊は航続距離不足のため爆撃機掩護行えず、防空戦の相手はB-24やPV-1主体)。しかし同年7月8月マリアナ諸島陥落しフィリピン決戦準備始まったため、再度千島方面飛行部隊一部派遣隊残留隊)を残し主力南方内地転出。第54戦隊予備機5-6機を残し8月中旬札幌移動同地三型改変し9機を北ノ台飛行場帰したのち、10月25日戦隊長以下第54戦隊主力28機はフィリピン航空戦転戦していった。 千島残った54戦隊派遣隊一式戦15機は引き続き防空戦に従軍10月末には同じく残留隊である海軍北東航空隊派遣隊艦攻九七式艦上攻撃機天山、1機のみ残され天山はのち主脚故障により着陸時に損傷廃棄)が駐屯する占守島片岡飛行場に第54戦隊派遣隊合流した戦果としては11月5日一式戦損害無くPV-1 1機を撃墜(第131哨戒爆撃飛行隊)するなどしている。

※この「千島航空戦」の解説は、「一式戦闘機」の解説の一部です。
「千島航空戦」を含む「一式戦闘機」の記事については、「一式戦闘機」の概要を参照ください。

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