千島艦事件訴訟指揮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 16:41 UTC 版)
「ウィリアム・カークウッド」の記事における「千島艦事件訴訟指揮」の解説
その後、カークウッドは、1892年(明治25年)に起きた千島艦事件で日本政府から訴訟指揮を依頼され、英国汽船会社P&O(ペニンシュラ・アンド・オリエンタル)を相手に85万ドルの損害賠償訴訟を提起した。P&Oは10万ドルの支払いを求めて反訴したため、審理は反訴を認めるかどうかから始まった。一審英国領事庁は却下したが、P&Oは控訴し、二審上海・英国高等裁判所は一審を破棄し、今度は日本政府が英国枢密院に上告し、英国枢密院は反訴を却下した。本訴に入る前に英国のカーズン外務次官が加藤高明駐英公使を介して6000ポンドの賠償による和解を打診した。カークウッドは2万5000ポンド(約25万円)賠償と訴訟費用支払いを条件とするよう提案し日本政府はその通りに打診。P&O側は1万ポンド(約10万円)を再提示したため、カークウッドは1万ポンドを受け入れ、訴訟費用(1万2000円)を払わせることで日本側の「勝訴」を印象づけることを助言。日本政府はその通り返答し、和解が実現した。事件後、日本政府は費用込みで2万3750円をカークウッドに支払った。
※この「千島艦事件訴訟指揮」の解説は、「ウィリアム・カークウッド」の解説の一部です。
「千島艦事件訴訟指揮」を含む「ウィリアム・カークウッド」の記事については、「ウィリアム・カークウッド」の概要を参照ください。
- 千島艦事件訴訟指揮のページへのリンク