ニヒル
「ニヒル」とは・「ニヒル」の意味
「ニヒル」とは、虚無感を指す言葉であり、虚無的な笑みを意味する「ニヒルな笑い」という表現で使用される場合も多い。ラテン語で「虚無」を意味する「nihil」が語源である。そして、ニヒリズムに関する用語として使用されることが多い。ニヒリズムとは、この世の全ての物事に価値がないと考える主義や思想のことである。そのニヒリズムに基づいた虚無感が、ニヒルである。全ての物事に価値がないと考える人は、他者に対して冷たい態度を取ったり、ネガティブな考え方をしたりすることが多い。そのことから、冷たい性格や、どこか影のある様子を表現する言葉として、ニヒルが使われることもある。ニヒルはしばしば、クールで格好良いという意味合いで使用される。しかし、ニヒルは原則として、ネガティブな意味しか持たない言葉である。そのため、クールや格好良いといった、ポジティブな意味で使用するのは誤用だ。ただ、日本では、影がある人や、他者に冷たく接する人を、格好良いと捉える場合がある。そして、映画やドラマなどで、ニヒルを代名詞とする、魅力的なキャラクターが数多く登場した。そのことが原因で、誤用ではありながらも、クールや格好良いという意味が一般的に定着した。
「ニヒル」の熟語・言い回し
ニヒルな性格とは
「ニヒルな性格」は、自暴自棄であったり、暗い影があったり、冷たい性格をしていたりする人の性格を表す表現である。
ニヒルな人とは
「ニヒルな人」は、虚無的な考え方をしている人を指す言葉だ。また、ニヒルな性格をしている人を、ニヒルな人と表現することもある。
ニヒル顔とは
「ニヒル顔」は、どこか影のある、暗い顔を指す言葉である。感情を表に出さない、無表情を指すことが多い。
ニヒル笑いとは
「ニヒル笑い」は、笑ってはいるものの、どこか冷たさを感じる表情を指す言葉だ。大抵のニヒル笑いは、口角は上がっているものの、目が笑っていない。また、嘲笑するように鼻で笑うことを、ニヒル笑いと表現することもある。
ニヒルな感じとは
「ニヒルな感じ」とは、ニヒルな性格をしている人が纏っている雰囲気のことである。暗い影があったり、冷たい対応をしたりする様を、ニヒルな感じと表現することが多い。
ニヒリストとは
「ニヒリスト」は、虚無主義者を意味する言葉である。全てのものごとに価値がないという考えの、ニヒリズムを信奉する人を指し、自称と他称の両方で使用される。
「ニヒル」の使い方・例文
「ニヒル」は、虚無的であったり、暗い考え方をしたりする、人の性格や特徴を指すために使用することが多い。例文にすると、「彼はすぐに自暴自棄になってしまう、ニヒルな性格をしている」「私はニヒルな性格であると自覚している」「私は彼女を、見た目からニヒルな人だと決めつけてしまっていた」といった形だ。そして、実際に虚無感を抱いているかどうかに関係なく、表情を指す表現で用いられることも多い。その場合の例文は、「実は私は、大勢の人から、ニヒルな笑顔をしていると言われることを気にしている」「待ち合わせは、ニヒルな笑いをしている銅像が目印だ」「彼は自分のことを話す際、ニヒルな表情をしがちである」といった形になる。
また、人に影があって、格好良い様を表すために、ニヒルが使用されることも多い。例文だと「彼は、ニヒルな笑顔で大勢の人の心を掴んでいる」「この映画の主人公は、ニヒルであるのが格好良い」といった使い方となる。あくまでも誤用だが、慣用的に使用される例は数多くある。
思想のひとつであるニヒリズムを、「ニヒルな思想」と表現することも可能だ。その場合の例文は、「幼少期のトラウマが原因で、ニヒルな思想を抱くことが多い」「あの時代は、ニヒルな思想を持っている人が大勢いた」という風になる。
ニヒル【(ラテン)nihil】
ニヒル
ニヒリズム
(ニヒル から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/17 01:34 UTC 版)
ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism、独: Nihilismus)は、今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場のこと。名称はラテン語: nihil(無)に由来する。
概要
ニヒリズムという語は、1733年にドイツ人フリードリヒ・レブレヒト・ゲッツ (Friedrich Lebrecht Goetz)が De nonismo et nihilismo in theologia caeterisque eruditionis partibus obviot というラテン語の書で、ラテン語で用いている。文学的な意味付けであり、連続論に対置された原子論の意味だった。フリードリヒ・ニーチェは、今まで最高の価値と人々がみなし、目的としていたものが無価値となる事態のことをニヒリズムと呼んだ[1]。
ニーチェによれば、ニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて3つある。
- 従来の最高の価値を信じる精神力を失ったために、そうした価値が無意味に感じられるということ[1]。何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、消極的・受動的ニヒリズム)。
- 精神力が高揚し、従来の価値を乗り越えてゆくがために、従来の価値が無意味に感じられるということ[1]。すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、新しい価値を能動的に創造していく生き方(強さのニヒリズム、積極的・能動的ニヒリズム)。
- 絶望すること・能動的になることにもやはり価値はないと考え、弱さのニヒリズム・強さのニヒリズムを否定する。自分では何も考えずに、しかし他者からの干渉も価値がないものだと無視して生きるという、一種の『悟り』のような態度(中心・無関心的ニヒリズム)。
ニーチェは積極的ニヒリズムを肯定し、永劫回帰の思想の下、自らを創造的に展開していく、鷲の勇気と蛇の知恵を備えた「超人」としての道を切り拓くことをすすめた。
ハイデッガーによれば、ニヒリズムの温床は、現実や現世からの超越を主張する形而上学的立場だとされる。したがって「ニヒリズムの超克」という視点は、キリスト教サイドから、それ自身がニヒリズムだとされた。そのため、キリスト教ニヒリズムの克服を主張したニーチェは「ヨーロッパで最初の完全なニヒリスト」とも見なされる。「ニーチェの最も過激な門人」と評されるエルンスト・ユンガーは、現代世界は、ニヒリズムの境界を通過したと言い、ハイデッガーとニヒリズム論を交換している。
コロラド州立大学の哲学者ドナルド・A・クロスビーは、ニヒリズムを5つの類型に分類している[2]。
- 政治的ニヒリズム - 自由を束縛する、あらゆる権力に暴力で反抗するニヒリズム
- 道徳的ニヒリズム - 自己と他者の関係を規定し、社会秩序の基礎とする行動規範としての道徳を否定するニヒリズム
- 認識論的ニヒリズム - 理性の認識能力はごく限定的であり、真理や現実は一定の立場や色眼鏡抜きに掴む事は不可能であるという主張
- 宇宙論的ニヒリズム - 宇宙に意味は無く、人間に宇宙の本質を掴む術はなし。人間が見いだした宇宙の価値と無関係に宇宙は存在するという主張
- 実存的ニヒリズム - 人間存在は無意味であり不条理である。例え何かの意味を見付けたとしても、最終的には死というもの自体は避けられないという考え方
実存的ニヒリズムは上記のように、20世紀に入り哲学や文学で追求された現代的なニヒリズムである。ニーチェは2から5までのニヒリズムを網羅的に追求している。政治的ニヒリズムは19世紀のアナーキストが盛んに主張した論で、当時政治的ニヒリズムを信奉する過激なニヒリストは今日のテロリストと同じく社会問題となり、オスカー・ワイルドの戯曲『ヴェラ、あるいはニヒリスト』やジョゼフ・コンラッドの『密偵』など、文学のテーマともなった[2]。
代表的な人物
脚注
- ^ a b c 小坂国継、岡部英男 編著『倫理学概説』ミネルヴァ書房、2005年、209頁。
- ^ a b 田尻芳樹、海老根宏・高橋和久(編)「『ドリアン・グレイの画像』におけるニヒリズム」『一九世紀「英国」小説の展開』 松柏社 2014年、ISBN 9784775401910 pp.385-388.
参考文献
- 西部邁「80 虚無」『学問』講談社、2004年、261-263頁。ISBN 4-06-212369-X。
- 橋本智津子『ニヒリズムと無』京都大学学術出版会、2004年。 ISBN 4-87698-642-8。
- 頼藤和寛『人みな骨になるならば―虚無から始める人生論』時事通信社、2000年。 ISBN 9784788700765。
関連項目
- 倫理学における虚無主義
- 実存主義
- 超然主義
- 禁断の果実
- ナザレのヨセフ
- 厭世主義
- 反出生主義
- トランスヒューマニズム
- ルバイヤート
- 大藪春彦 - 『野獣死すべし』の伊達邦彦をはじめとして、能動的ニヒリズムに裏打ちされた主人公を多く描いた。
外部リンク
- 『ニヒリズム』 - コトバンク
- ニヒリズム - archive.today(2013年5月1日アーカイブ分) - Yahoo!百科事典
- ニヒリズム - Weblio
- ニヒリズム - インターネット哲学百科事典「ニヒリズム」の項目。
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