台湾沖航空戦とは? わかりやすく解説

台湾沖航空戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 05:13 UTC 版)

台湾沖航空戦(たいわんおきこうくうせん)は、第二次世界大戦太平洋戦争)中、フィリピンのレイテ島への上陸作戦の布石として、台湾から沖縄にかけての日本軍航空基地を攻撃したアメリカ海軍空母機動部隊に対し、日本軍の基地航空部隊が迎撃したことで発生した航空戦。アメリカ軍の損害は軽微なものであったが、日本軍は大戦果と誤認した。


  1. ^ 戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 307-309頁
  2. ^ 戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 290頁、戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで309-310頁
  3. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで321頁
  4. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで209-210頁
  5. ^ カール・ソルバーグ『決断と異議』P94
  6. ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 688頁
  7. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで620頁
  8. ^ サミュエル・エリオット・モリソン『モリソンの太平洋海戦史』光人社310頁
  9. ^ 『決断と異議』P93
  10. ^ 柳田邦男『零戦燃ゆ』5巻P205
  11. ^ #捷号作戦はなぜ失敗したのか59頁
  12. ^ #捷号作戦はなぜ失敗したのか61頁
  13. ^ 大井篤『海上護衛戦』学研M文庫、p.333
  14. ^ Dan van der Vat (1992). Pacific Campaign: The U.S.-Japanes Naval War 1941-1945. Simon & Schuster. p. 349. ISBN 978-0671792176 Google Booksで閲覧可能な当該ページ
  15. ^ Ronald H. Spector (2012). Eagle Against the Sun: The American War with Japan. Free Press. p. 425. ASIN B009NG1PYC Google Booksで閲覧可能な当該ページ
  16. ^ #捷号作戦はなぜ失敗したのか77頁
  17. ^ #捷号作戦はなぜ失敗したのか130頁
  18. ^ 「大本営参謀の情報戦記」 182-183頁。
  19. ^ 『指揮官たちの太平洋戦争』光人社NF文庫339頁
  20. ^ a b 戦史叢書45巻 大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 448頁、『指揮官たちの太平洋戦争』光人社NF文庫339頁
  21. ^ a b c d e 戦史叢書45巻 大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 448頁
  22. ^ 戦史叢書45 大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 448-449頁
  23. ^ 戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 721-722頁
  24. ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 722頁
  25. ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 713頁
  26. ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 715頁
  27. ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 716頁
  28. ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 728頁
  29. ^ NHK製作テレビ番組『幻の大戦果 大本営発表の真相』インタビュー
  30. ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 726頁
  31. ^ 戦史叢書45巻大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 447頁
  32. ^ 「大本営参謀の情報戦記」 160頁-164頁
  33. ^ 「大本営参謀の情報戦記」 171-172頁
  34. ^ 「大本営参謀の情報戦記」 186頁
  35. ^ 戦史叢書37海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで712頁
  36. ^ 戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期545-547頁
  37. ^ 門司親徳『回想の大西滝治郎 第一航空艦隊副官の述懐』光人社25頁
  38. ^ 『指揮官たちの太平洋戦争』光人社NF文庫338頁
  39. ^ 『モリソン戦史』(History of United States Naval Operations in World War II),柳田邦男『零戦燃ゆ』5巻P223


「台湾沖航空戦」の続きの解説一覧

台湾沖航空戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 03:26 UTC 版)

ザ・サリヴァンズ (駆逐艦)」の記事における「台湾沖航空戦」の解説

ザ・サリヴァンズは10月6日以降台湾沖縄空襲する空母護衛を行う。10月12日多数日本軍機がレーダー捉えられ、台湾沖航空戦の火ぶた切られた。続く6時間、約5060機の日本軍機が空襲行った日没から45分あまり経った後、ザ・サリヴァンズは右舷から低空接近してきた一式陸上攻撃機発見し射撃により炎上させた。続く15分間、ザ・サリヴァンズを含む部隊は3機を撃墜した1856分から1954分にかけてザ・サリヴァンズは5機の撃破報じている。敵機攻撃に対してザ・サリヴァンズは18ノットから29ノット加減速繰り返しながら8度緊急回避行いつつ対空射撃続けた空襲第2波12日21時5分から始まり、翌13日2時35分まで続いた日本軍機は照明弾投下して目標であるアメリカ艦隊を照らす間、レーダー攪乱するために欺瞞紙チャフ)を多用するようになった。ザ・サリヴァンズらは照明弾明かりから艦隊を隠すために煙幕の展開を行ったため、一帯明かり不気味な光景作りだしていた。ザ・サリヴァンズと僚艦22ノットから25ノット合計38回の一斉回頭行いながら、敵機迎撃できるように砲を臨戦態勢に置き続けた13日空母から発進した艦載機台湾空襲成功したものの、重巡洋艦キャンベラUSS Canberra, CA-70)が一式陸攻雷撃損傷したため、ザ・サリヴァンズはキャンベラ援護行った翌日今度軽巡洋艦ヒューストンUSS Houston, CL-81)が雷撃され損傷、ザ・サリヴァンズはすぐにヒューストン護衛加わりキャンベラヒューストン守りながらウルシー後退した後退中の16日にも激し空襲を受け、ヒューストン艦尾部に2度目雷撃を受ける。ザ・サリヴァンズは発砲開始し銀河1機を撃墜した。さらにザ・サリヴァンズとステフェン・ポッターStephen Potter, DD-538)は別の銀河射撃して炎上させ、燃え銀河そのまま軽巡洋艦サンタフェUSS Santa Fe, CL-60)の艦首近く海面突っ込んだ。ザ・サリヴァンズはヒューストンから118名を救助し18日重巡洋艦ボストンUSS Boston, CA-69)へ移乗させた。ザ・サリヴァンズは損傷したヒューストン応急修理用の機材運搬し負傷者への援助行った。このヒューストン対するザ・サリヴァンズによる一連の救援活動功績により、ラルフ・J・バウムRalph J. Baum中佐彼にとって初となる銀星章受章した

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台湾沖航空戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/28 13:21 UTC 版)

ヒューストン (軽巡洋艦)」の記事における「台湾沖航空戦」の解説

一連の空襲により、第38任務部隊台湾にある航空基地片っ端から潰していき、これに対して日本第一航空艦隊寺岡謹平中将)と第二航空艦隊福留繁中将)は攻撃隊を何度も出撃させた。10月12日ヒューストン日本航空攻撃に対して対空砲火撃ち、4機を撃墜。翌13日航空攻撃跳ね返し続けた。しかしこの日、僚艦キャンベラ (USS Canberra, CA-70) に航空魚雷1本が命中しキャンベラ炎上して航行不能陥った10月14日ヒューストン3度攻撃を受け、夕刻1845分ごろの攻撃航空魚雷1本がヒューストン右舷機関室区画付近に命中した航行不能陥ったヒューストンは、早くも総員退艦が令されたが、すぐさまこれは取り消され、ベーレンズ艦長ヒューストン曳航要請しボストン (USS Boston, CA-69) がこれに応えたキャンベラ曳航ウィチタ (USS Wichita, CA-45) に委ねられた。 ヒューストンキャンベラの件で大騒ぎしている頃、ハルゼー妙案思いついた。傍受した日本側のラジオからは大勝利連呼する放送流れ日本側が「アメリカ艦隊全滅」と信じきっていると感じたハルゼーは、日本に対して罠を仕掛けこととした。ヒューストンキャンベラ中心に部隊である第30.3任務群を臨時編成し、これを「敗残アメリカ艦隊」に仕立て上げ、その「敗残艦隊」から適度に離れた場所に2つ任務群を置き、罠に引っかかってお出ましになった日本あらゆる部隊一網打尽にしようと企てたのである真夜中までには、ヒューストンキャンベラ曳航準備整い、両艦は「敗残アメリカ艦隊」の中枢としてウルシー向けて、最高6ノット速力曳航され始めたヒューストンボストンおよび艦隊タグボートパウニー (USS Pawnee, ATF-74) に曳航されていた。10月16日午後台湾からの攻撃隊が「敗残艦隊」を空襲し、そのうちの1機がヒューストン艦尾魚雷命中させた。ヒューストン観測機用の格納庫浸水し被害大きくなった。 ベーレンズ艦長必要な乗組員以外は他の艦船避難させ、ヒューストンには幹部被害対策班だけが残って懸命にヒューストン生かすよう努力し続けた日本側はハルゼー読みどおり、「敗残艦隊」を本物敗残艦隊信じて攻撃加えたが、予想され水上部隊志摩清英中将率い第五艦隊はついに出現しなかった。偵察機発見し大勝利が幻であることを察知し避退したからである。志摩中将艦隊奄美大島向かいその代わりとして攻撃隊が「敗残艦隊」を襲ったハルゼー謀略は、最終的に成功しなかった。ヒューストンキャンベラの「敗残艦隊」は、やがて日本機の勢力圏内を脱し10月27日ウルシー帰投応急修理の後、マヌス島回航され12月20日到着し同地浮きドック修理行った。さらに本格的な修理を行うことが決まったが、西海岸にある施設は、他の損傷受けた艦船修理手一杯であり、手が回らないということで、真珠湾経てブルックリン海軍工廠回航され、1945年3月24日到着した入渠中に戦争終結しヒューストン二度と戦線復帰することはなかった。

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