たいめん‐てつどう〔‐テツダウ〕【泰緬鉄道】
泰緬鉄道
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泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、太平洋戦争中にタイとミャンマーを結んでいた鉄道。旧日本陸軍によって建設・運行されたが、戦後英国軍が日本軍捕虜に命じて部分的に撤去され、現在はナムトックサイヨークノイ停車場で途切れている[1]。日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。英語名称は「Thai-Burma Railway(またはBurma Railway)」だが、大量の死者を出した過酷な建設労働から、英語圏ではむしろ「死の鉄道 (Death Railway) 」の名で知られる[2]。存置部分はタイ国有鉄道南本線ナムトック支線として運行されている。深い自然の中を通っているため風光明媚であり、「チョンカイの切り通し」「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」など見所も多いため、観光客に人気の路線となっている。
- 1 泰緬鉄道とは
- 2 泰緬鉄道の概要
泰緬鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:15 UTC 版)
詳細は「泰緬鉄道」を参照 タイ・ビルマ国境のテナセリム丘陵(英語版)北部のビラウクタウン(英語版)サブレンジには、イギリスによる鎖国政策のため、鉄道はおろか満足な道路も整備されていなかった。日本軍は補給ルート確保を目的として山脈を越える全長約400キロの鉄道を計画し、建設工事は1942年6月から開始された。工事の指揮は鉄道第5連隊および第9連隊が取り、作業員として捕虜62,000人、募集で集まったタイ人数万人、ビルマ人18万人、マレー人8万人、蘭印人4万人が参加した。日本軍は人海戦術による突貫工事を要求し、雨季の間も強引に工事を進めた。作業現場ではコレラが流行し、約半数とも言われる大量の死者を出した。こうした犠牲のうえに、鉄道は1943年10月に開通した。
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