万人坑とは? わかりやすく解説

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万人坑(ワンインカン)

作者山田風太郎

収載図書奇想小説
出版社講談社
刊行年月1995.3
シリーズ名大衆文学


万人坑

作者山田風太郎

収載図書怪談部屋 怪奇篇―山田風太郎ミステリー傑作選 8
出版社光文社
刊行年月2002.5
シリーズ名光文社文庫

収載図書山屋敷秘図 切支丹異国小説集山田風太郎妖異小説コレクション
出版社徳間書店
刊行年月2003.12
シリーズ名徳間文庫

収載図書奇想小説
出版社講談社
刊行年月2004.9
シリーズ名講談社文庫


万人坑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 05:19 UTC 版)

万人坑(まんにんこう)とは、日本軍の満洲・中国本土への進出時、満洲を中心とする中国各地に存在した日本人経営の鉱山や工事現場等で多数の中国人労働者の遺骸が捨てられ、ときには使い物にならなくなった労務者が生きたまま遺棄あるいは生き埋めにされたり、日本軍の要塞建設等で完成後に口封じのために殺された者もいたと伝えられる場所で、「ヒト捨て場」として表現されることもある[1][2]。字義からは、単なる共同埋葬場あるいは、せいぜい死体の捨て場といった意味合いでとらえることも可能だが、中国語の坑は、穴や坑道の意味だけでなく生き埋めの意味もあり、当時の過酷な植民地支配の実態や日本本土においてもタコ部屋が横行していた時代背景から、この言葉自体がしばしば虐待やリンチ、口封じのための殺害のイメージと結びついて理解されたり、語られることも多い。


注釈

  1. ^ 平凡社『大百科事典』(1985年 - )[18] 項目筆者は田中宏
  2. ^ 教師用指導書は「中国の旅」「中国の日本軍」を参考資料とする[19]
  3. ^ 1927年入社、1948年引き揚げ
  4. ^ 延辺博物館教授
  5. ^ 「1940年の同社の統計資料」という
  6. ^ 老頭溝炭鉱は撫順炭鉱の分鉱 米国国会図書館所蔵
  7. ^ 老頭溝の1940年のこの年の出炭量は12万7500トン。
  8. ^ 本多のルポは、炭鉱が防疫の名の元に惨殺したというもの。そのとき防疫に従事した関係者は十余人の連名で、「先の朝日新聞の本多記者が書いたコレラ事件は誠にでたらめであり、自信を持って否定するものであります。実際とかけはなれた荒唐無稽なもので抗議します」と記している(勤務経験者でつくる『龍鳳会』文集)[79]
  9. ^ 昭和18年のコレラ発生は、北京付近で発生したものが華北方面で流行し、撫順に飛び火、という経路をたどっている。華北にある大同炭鉱と満洲川にある撫順炭鉱は同じ流行下にあった[82]

出典

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  2. ^ 中嶋嶺雄 2006, p. 116.
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