ビスマルク作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/07 03:19 UTC 版)
ビスマルク作戦(ビスマルクさくせん)は、太平洋戦争で日本軍が実施した南方作戦内の作戦の一つ。陸海軍中央協定で定められた作戦名称はR作戦[1]。
計画
南方作戦陸海軍中央協定でビスマルク作戦はグアム作戦と合わせて作戦目的、作戦要領を指示されている。中央協定は「グアム島及「ビスマルク」諸島に対する作戦目的は、先づグアム島を攻略し、次で「ビスマルク」諸島の航空基地を占領して、南洋群島方面に対する敵の脅威を封殺するに在り。」と定め、陸海軍協同して「ラバウル」を占領し航空基地を獲得することを指示している[2]。
経過
記載時間は日本時間。
第四艦隊主力は、ウェーク島作戦後、各攻略部隊の編成を解き、トラック島に集結してビスマルク島攻略作戦を準備した。日本海軍は1942年1月4日からラバウルに対する航空攻撃を開始し、第四艦隊、南海支隊は協同して23日ラバウルに上陸、同日中に東、西飛行場地区を占領し、2月6日までに掃討を完了。また、第四艦隊の一部は1月23日カビエンを占領した[3]。
出典
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ビスマルク作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 01:36 UTC 版)
詳細は「ラバウルの戦い」を参照 1942年1月23日に南海支隊はオーストラリア委任統治領のニューブリテン島ラバウルに上陸した。ラバウルはトラック島の日本海軍基地を防衛し、アメリカとオーストラリアとの連絡を妨害する上での重要拠点であった。守備隊のオーストラリア軍は2月6日までに降伏した。 アメリカ軍は空母機動部隊によるマーシャル諸島などへの散発的な空襲を行っていたが、日本軍のラバウル進攻を察知し、空母レキシントンを基幹とする機動部隊を派遣し、一撃離脱に限定した空襲を計画した。しかし2月20日に日本軍に発見され攻撃を受けたことから、作戦継続を断念して引き返した(ニューギニア沖海戦)。 詳細は「ウェーク島の戦い」を参照 アメリカ領ウェーク島は中部太平洋におけるアメリカ軍の重要拠点のひとつであった。12月11日、日本軍の攻略部隊はウェーク島へ砲撃を開始したが、反撃により逆に駆逐艦「疾風」と駆逐艦「如月」が撃沈され、上陸作戦は中止となった。21日、ハワイから帰投中の機動部隊の一部を加えて攻撃が再開され、アメリカ海兵隊は激しく抵抗したものの23日に降伏した。
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