ビスマルク政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 05:10 UTC 版)
オットー・フォン・ビスマルク政権のドイツは、対外的にはヨーロッパの覇権調整の要として機能していた。その一方でイギリスとの親善外交、三帝同盟や三国同盟、再保障条約などで対仏包囲網を形成し、フランスに対する強い牽制を行った。これにより、同盟による戦争の予防が完成し、これをビスマルク体制と呼ぶ。しかしこの体制下では軍拡が行われやすくなり、これが第一次世界大戦の遠因にもなった。 内政においては皇帝ヴィルヘルム1世の下、宰相であるビスマルクに強大な権限が与えられており、半ば独裁的な政治が行われ、立法府である議会はほぼ形骸化した。また、この時期には中央政府に敵対する政治的勢力の排除も顕著に見られた。社会主義思想も厳しく取り締まられ、1878年には社会主義者鎮圧法が制定された。南ドイツを中心に勢力が残っていたカトリック系の宗教勢力も一掃された。
※この「ビスマルク政権」の解説は、「ドイツの歴史」の解説の一部です。
「ビスマルク政権」を含む「ドイツの歴史」の記事については、「ドイツの歴史」の概要を参照ください。
- ビスマルク政権のページへのリンク