ビスマルク狩り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:03 UTC 版)
「アーク・ロイヤル (空母・初代)」の記事における「ビスマルク狩り」の解説
1941年5月18日には、ドイツの戦艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンはライン演習作戦を開始する、これは大西洋に押し入り商船を襲撃するものである。デンマーク海峡海戦で巡洋戦艦フッドを沈め戦艦プリンス・オブ・ウェールズを損傷させ、ビスマルクは追跡を振り払い、フランス大西洋岸に向かった。アーク・ロイヤル、レナウンそしてシェフィールドは駆逐艦フォークナー、フォーサイト、フォレスター、フォーチュン、フォックスハウンド、そしてフューリーに随伴され、5月23日に大西洋に派遣され戦艦を捜索した。5月26日には、アーク・ロイヤルからのソードフィッシュはビスマルクを発見し尾行を開始する、一方本国艦隊が追跡のため動員された。発見時、イギリス艦船は130海里(150マイル、240キロ)離れていたので、ビスマルクがサン・ナゼールに到着する前に捕えられなかった。艦攻ソードフィッシュ15機が雷装し、独艦を遅らせるために送られた。シェフィールドはまたビスマルクを尾行して、アーク・ロイヤルとビスマルクの間にあった。航空機はこのイギリス巡洋艦を間違って攻撃した。魚雷には信頼性の低い磁気雷管が取り付けられていたため、海面接触でほとんどが爆発し、シェフィールドは残りの魚雷を避けた。過ちに気づいた後、パイロットの一人が「ニシンに申し訳ない」とシェフィールドに合図を送った。空母に戻ったソードフィッシュは接触爆発弾頭で再武装し、19:15に2回目の攻撃のために出撃した。日没直前にビスマルクを発見し攻撃した。3本の魚雷が命中し、2本は機関室の前部に当たり軽微な損傷を与え、3本目は左舷の操舵室に当たり舵を左舷15°で固定させてしまった。ビスマルクは実情で合理的に安定したコースを取れるプロペラ速度の組み合わせを見つけるまで、円周を描いて航行することを余儀なくされた。それは風速8と海の状態では、イギリス軍艦に向けて航海することになり、ほとんど操縦能力は無かった。このドイツの戦艦は5月26夜から猛攻を受け、5月27日10時39分に沈んだ。
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