本国艦隊
本国艦隊(1852年)
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「ポーハタン (蒸気フリゲート)」の記事における「本国艦隊(1852年)」の解説
ノーフォーク海軍工廠で1847年8月6日起工、1850年2月14日進水、1852年9月2日就役。 ノーフォークでの慣熟訓練を終了した後、ポーハタンは米国本国艦隊の旗艦として、ジョン・T・ニュートン代将の指揮のもと、ニューヨークへ航海し、ケネディ海軍長官の観閲を受けた。1852年10月16日にニューヨークを出港、メキシコのベラクルスへ向かい、ハバナ、ペンサコーラに寄港して11月27日にノーフォークに戻った。
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本国艦隊(1869–1886)
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「ポーハタン (蒸気フリゲート)」の記事における「本国艦隊(1869–1886)」の解説
1869年から1886年までは本国艦隊に所属するが、1869年9月15日から1870年12月30日までと1877年7月4日から1879年12月10日まで旗艦となった。本国艦隊所属中に、キューバ水域に5回派遣されている。 1886年6月2日に退役、7月30日に売却され、1887年8月5日に解体された。
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本国艦隊
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「サラトガ (スループ)」の記事における「本国艦隊」の解説
ノーフォーク海軍造船所で修理されたサラトガは、1847年に再び新たな任務を与えられ、デヴィッド・ファラガット中佐が艦長となり、本国艦隊所属となった。3月29日にチェサピーク湾口のヘンリー岬(Cape Henry)を回航して沿岸を進み、メキシコ湾に入って、4月26日にベラクルス沖でペリー代将が率いる本国艦隊に合流した。3日後、サラトガは、150マイルほど離れたトゥスパン(Tuxpan)の封鎖を命じられた。トゥスパンには4月30日に到着し、7月12日にベラクルスに向けて出発するまで、そのまま現地に留まった。2週間ほど後、通信を運んでタバスコへ急派され、河口の港に1日留まっただけで、8月11日にはベラクルスに帰還した。9月1日にはトゥスパンの封鎖をデカター(Decatur)から引き継ぎ、途中で乗員に黄熱病が広まる事態となったにもかかわらず2ヶ月にわたって現地に留まってからベラクルスへ帰還した。さらにひと月ほど経ってから、サラトガは、病人を上陸させ、補給を行うために、フロリダへと出発した。1848年1月6日にペンサコーラの海軍造船所に入り、重症の病人を基地の病院に入院させてから、1月末に出港して北上した。2月19日にニューヨークに到着し、翌週任を解かれた。 1848年4月に新たな任務を与えられたサラトガは、翌週、4月17日にニューヨークを出港し、バージニア州ノーフォークを経て西インド諸島で本国艦隊の任務についた。サラトガは、1849年11月27日にバージニア州ハンプトン・ローズに帰還し、ノーフォーク海軍造船所で11月30日に任を解かれた。
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