き‐かん【旗艦】
【旗艦】(きかん/はたぶね)
Flagship.
艦隊の指揮官(と幕僚)が乗り込んで指揮を執る艦艇。
帆船の時代、艦隊司令官が乗艦のマストに信号旗を掲げて指示を送っていた事を語源とする。
性質上、敵から集中攻撃を受けやすく、伝統的に「艦隊で最強の艦」が選ばれる事が多かった。
また、多数の参謀と各種資料・器具がペイロードを大きく圧迫するため、小型艦では任を果たせなかった。
大艦巨砲主義が衰退を迎える以前、主力艦隊の旗艦には戦艦をもって充てるのが海軍の常識であった。
しかし、無線通信機器が投入された第二次世界大戦以降の戦訓により、状況は変化した。
戦艦という艦種が過去のものとなったのに合わせ、旗艦は戦闘能力を度外視してC4Iに特化されるようになった。
また、無線越しの情報だけで十全に指揮を執る事が可能になったため、交戦海域に進出する事も希になった。
指揮機能を地上施設に移し、旗艦の制度そのものを完全に廃止した海軍もある。
軍事史全体を通じて「将軍が最前線に赴く」のはほぼ常に愚策とされる。
戦死すれば混乱によってC3Iが麻痺し、戦線に甚大な衝撃を与える事になるからだ。
指揮官が自ら戦場に赴く必要があるのは、そこに居なければ指揮が不可能である場合のみに限られる。
情報技術が発達した現代、「旗艦」の存在意義は完全に消えたか、残っていても希少なものであろう。
関連:ブルー・リッジ 三笠 大和(超ド級戦艦) あきづき(海上自衛隊・初代) 長門 大淀(軽巡洋艦) 香取(練習巡洋艦)
旗艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 03:04 UTC 版)
旗艦(きかん、 英: flagship; フラグシップ)とは、司令官(司令・司令長官などを含む)やその幕僚が座乗し、指令・命令を発する艦を指す海軍用語[1]。海上自衛隊では
概要
複数の海軍艦艇からなる部隊(艦隊もしくは戦隊)の指揮官が座乗する艦または艇には指揮官旗 (flag) が掲げられることから、指揮官座乗の艦を旗艦と呼ぶようになった[1]。なお、旗旒信号(きりゅうしんごう)は signal である。
旗艦には通信手段を用いて、艦隊の指揮統制を行なうことが求められており、そのために近代以降では通信設備の充実は当然のこと、司令部要員の居住設備や情報処理設備の充実も行われてきている[1]。
変遷
元々旗艦が誕生する背景には、海戦において戦術的な艦隊が形成し始めた「艦隊戦」の登場による。そして使用される艦種は時代と共に変遷した。
木造帆船時代
司令官とその幕僚を乗せて、艦隊に指示を出す高いマストを有する艦、すなわち艦隊で最大の戦列艦が旗艦とされた。後方の各艦に指示を出すため旗艦は先頭に位置し、それゆえに被害も大きかった。旗艦が指揮不能となった場合は2番艦が、2番艦が指揮不能となった場合は3番艦が代わった。旗艦には司令官たる大将/admiralが、2番艦には次席たる中将/vice admiral、3番艦には三席たる少将/rear admiralが座乗した。後に大将・中将・少将の呼称は階級となり、艦隊内の職務とは分離するが、艦隊の副司令官は旗艦とは別の艦に座乗し、旗艦が指揮不能となった際に備える仕組みは踏襲される。
トラファルガーの海戦に勝利したネルソン提督の旗艦「ヴィクトリー」が有名であり、情報収集用の見張り台と通信用の旗流信号用ヤードが設けられていた[1]。
前弩級艦時代
無線による意思疎通が始まった時期であるが、重要な命令は旗によった[1]。戦闘では司令官は艦隊を率いる先頭艦に座乗する。そこで木造帆船時代と同様、最大最強の艦たる戦艦を旗艦とした。一方で速度性能はあまり重視されない。これは旗艦が最速の艦であると、他の艦が旗艦に追随できず取り残されるからである。また巡洋艦や駆逐艦は、必要に応じて艦隊旗艦よりも先行し、偵察・索敵・夜襲などの任務をこなしたため、旗艦を追い越す高速が要求された。最新最強の戦艦を旗艦とすることによって、艦隊の戦艦の中で旗艦が最速になる事は往々にしてあった。
日本海海戦で連合艦隊司令長官東郷平八郎が旗艦とした戦艦「三笠」が、現在も横須賀市にあり一般公開されている。
第一次世界大戦~第二次世界大戦初期
無線による指令・命令が一般的に使用されるようになった。また司令部に属する人員の数も増えたため、旗艦用に特に居住区を設置した艦も作られた。特に駆逐艦で編成された水雷戦隊の場合、元より駆逐艦は居住施設が貧弱であるため、特に旗艦用として居住施設を拡充した嚮導駆逐艦が建造された。また第一次世界大戦時のドイツ海軍においては戦艦についても居住施設が貧弱であったため、旗艦戦艦「フリードリッヒ・デア・グロッセ」は、特に旗艦用として居住区を設けていた。
ただ、艦隊・戦隊の先頭に立って指揮する以上、最強の艦である必要があるという従来の意見も根強く、日本海軍は軽巡洋艦を水雷戦隊の旗艦として、駆逐艦を率いた。
第二次世界大戦中後期

日本海軍の連合艦隊司令部が設置されていた旗艦は、太平洋戦争開戦を挟む1938年12月から1942年2月までが戦艦「長門」、1942年2月から1943年2月まで戦艦「大和」、1943年2月から1944年5月まで戦艦「武蔵」だった。太平洋戦争では、艦隊決戦で連合艦隊司令部が艦隊の先頭に立つような事態は起こらず、後方で全体指揮を取る状態であり日本海軍最強の長門型戦艦、大和型戦艦をむざむざ後方で遊ばせる事態に陥った。
そこで、後部に紫雲水上偵察機(水偵)用の巨大な格納庫ならび大型射出機を装備していた軽巡洋艦「大淀」をアメリカ海軍空母艦載機の空襲で受けた損傷を修理するのに合わせて改造、飛行機搭載設備を縮小して旗艦設備と通信能力を充実させ、1944年5月豊田副武大将が連合艦隊司令長官に就任と共に連合艦隊旗艦とされた。1944年6月のマリアナ沖海戦では豊田司令長官は木更津沖に碇泊中の「大淀」から全軍の指揮を執った。
しかしこの処置は間に合わせのものであり、連合艦隊司令部は陸上にあって後方指揮を取るのが望ましいとされて、同年9月末に日吉台の慶應義塾大学構内(現:日吉キャンパス、参照:日吉寮)の地下防空壕に移ってしまい、連合艦隊旗艦は消滅した。
また、各艦隊においても、従来のように旗艦が艦隊の先頭にあって率いるよりも、通信機によって全体を指揮するものとされ、個艦の戦闘能力より指揮通信能力がより重要視された。レイテ沖海戦で栗田艦隊の旗艦となった重巡洋艦「愛宕」が代表例。しかしながら栗田のこの判断については、旗艦・司令官が先頭に立つ義務を怠ったという批判もあり、従来の旗艦を先頭艦とする意見も根強いものがあった。
一方でアメリカ海軍は通信・指揮能力に優れた艦を旗艦とする方針が確定しており、揚陸指揮艦の建造就役も行われている。未建造に終わるもののモンタナ級戦艦5隻について、3番艦「メイン」のみに艦隊旗艦設備を設ける(言葉を換えると、他の4艦は最大最強の戦艦でありながら艦隊旗艦となる事が無い)予定であった。
第二次世界大戦後〜現代
艦固有の運動力(速力)・攻撃力・防御力よりも指揮・通信能力が最重要視されるようになった。というよりも、戦艦という艦種が消滅へと向かい、それぞれの艦に速度と防御力の差が無くなり、攻撃力についてはそれぞれの艦の任務に由来する時代となった。
アメリカ海軍では戦後は、デモイン級重巡洋艦が多くの艦隊の旗艦を務めた。個艦としての戦闘能力は旧態依然としていたが、指揮・通信能力を拡充するに十分な艦体規模と、他艦と同一行動を取れる速度性能を兼ねており、旗艦任務には最適の艦とされた。この他にも建造が中断されたオレゴン・シティ級重巡洋艦「ノーザンプトン」が、武装撤去や指揮通信設備の大幅増強といった大改装を施した「戦術指揮艦」として運用されている。現代、第6艦隊・第7艦隊旗艦任務を務めているブルー・リッジ級揚陸指揮艦の艦種は「揚陸指揮艦」であり、指揮・通信能力や居住区は十分あるが戦闘能力はほとんど無い。
海上自衛隊の護衛艦「あきづき」は自衛艦隊旗艦になる際にMk.108対潜迫撃砲を撤去している上に、「たちかぜ」に関しては護衛艦隊旗艦になる際に、わざわざ2番砲塔を撤去して司令部施設を設けている。
また、通信機能の発達により、第二次世界大戦中の連合艦隊が示した通り、艦隊に対する総指揮は後方の陸上基地によって執り行うことが可能となってきており、旗艦の任務は限定的、あるいは象徴的なものとなっている。
アメリカ海軍は本国から離れた艦隊は指揮能力の高い旗艦を配備しているが、第2・第3艦隊は陸上にあるアメリカ艦隊総軍が指揮を行っている。
海上自衛隊は、群司令が乗艦する旗艦[2]を自衛艦隊や護衛艦隊に置くなど旗艦の任務を重要視していた時期もあった[1]。しかし、1963年(昭和38年)3月に自衛艦隊司令部は陸上に移り自衛艦隊旗艦は廃止された。2010年6月に退役した護衛艦「さわかぜ」を最後に護衛艦隊でも旗艦運用は廃止され、その後、海上自衛隊護衛艦隊旗艦は存在しない[1]。ほかに、旗艦と呼ばれる艦には第1・第2・第3・第4の各護衛隊群旗艦もあったが、2008年3月の護衛隊の改編に伴い群旗艦も廃止された。
旗艦を艦隊の指揮を執る実戦用の艦としてよりも、象徴的な存在として扱う例は多く、例えばイギリスにおいて1946年に竣工した戦艦「ヴァンガード」は1955年まで本国艦隊旗艦を勤めたものの、その任務は「王室専門ヨット」と言うべきものであった。アルゼンチン・ブラジル・チリの南米3国の海軍は、長らく保有する戦艦を旗艦として運用したが、それらが限界に達して退役した後は、アメリカからブルックリン級軽巡洋艦を購入して、海軍の象徴的存在として扱った。しかし実戦用の艦としては明らかに旧式化しており、フォークランド紛争においてアルゼンチン海軍の「ヘネラル・ベルグラノ」が、何ら実戦の役に立つ事なく撃沈される事態となった。
著名な旗艦
日本
アメリカ
台湾
イスラエル
転用
ヒンデンブルク号は飛行船であるがツェッペリン社が有する最大の飛行船であったため旗艦と呼ばれた。
また、他の多くの海軍用語と同様、「旗艦」「フラッグシップ(表記揺れでフラグシップとも)」もほかの用途に転用されて、日常的な用語として使われる。この場合、集団やグループの最も重要な位置付けにあるものを指すが、この最も重要な位置付けとは、通常、ステータス性を持つものや戦略的に重要なものとしての位置づけである。
たとえば、会社の利益を支える主力製品、あるいは会社の技術の粋を尽くしてつくられた最高価格製品を「旗艦製品」「フラッグシッププロダクト(フラグシップ-)」と呼んだり、会社の中で最大の設備・規模を有する中核店舗、あるいは先駆的な試みをする位置付けの店舗を「旗艦店」「フラッグシップショップ」「フラグシップストア」と呼んだりする。
フィクションにおける描写
『スタートレック』シリーズにおける USS エンタープライズ号は、その他の多くの宇宙艦に乗船している高位の階級の部隊指揮官は座乗していないが、惑星連邦の旗艦としてしばしば紹介される。
『宇宙戦艦ヤマト』シリーズにおいては、旗艦の艦長が艦隊司令を兼ねるといった、(実在の水上艦隊がモデルとするなら)間違った描写がなされた。リメイク作品の『宇宙戦艦ヤマト2199』以降の作品では改められている(ただし、『宇宙戦艦ヤマト2202』の山南修のような例外もある)。
『銀河英雄伝説』のOVA版では、各艦隊や司令官クラスの重要キャラクターごとに一般的な艦艇とはフォルムが異なり機能も強化された多様な旗艦級戦艦が描写されている。これは作品中に数多く居る艦隊司令官のキャラクターの個性付けやメカ描写の多様化など、作品の重要なアクセントの一つとなっている。
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脚注
参考図書
関連項目
- 司令部
- 大日本帝国海軍の将旗
- 海上自衛隊の指揮官旗
- Z旗
- 指揮艦、嚮導艦、揚陸指揮艦 - 指揮機能を高めた艦種
- 楼船 ‐ 古代中国で艦隊の指揮を執るために建造された高い楼を持つ大型艦
- 安宅船
旗艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 15:46 UTC 版)
「ナッシュビル (軽巡洋艦)」の記事における「旗艦」の解説
5月14日、ナッシュビルは第8任務部隊の旗艦となり、アリューシャン列島防衛に向かった。5月26日にダッチハーバーに到着したナッシュビルは、2日後に任務部隊の他の艦艇に合流するためコディアック島に移動した。6月3日から4日にかけて、ダッチハーバーは日本海軍第四航空戦隊(司令官角田覚治少将)の空母龍驤および隼鷹から飛来した艦上機による空襲を受けたが、ナッシュビル以下の任務部隊の各艦は濃霧のため日本艦隊に接触することができなかった。同時期に行われたミッドウェー海戦の敗北により、連合艦隊司令長官山本五十六大将はアリューシャン方面からアッツ島、キスカ島両占領部隊を除いて一時的に兵力を引揚げさせた。これを見て、ナッシュビルは6月から11月にかけて北太平洋方面を哨戒。8月7日、重巡洋艦インディアナポリス (USS Indianapolis, CA-35) 、重巡ルイビル (USS Louisville, CA-28) などともにキスカ島に対する艦砲射撃を行った。この艦砲射撃による日本側の被害は水上戦闘機1機破損、戦死者2名であった。 ナッシュビルは11月22日に真珠湾に帰投し、12月24日に出港してフィジーに向かった。エスピリトゥサント島に到着後、ナッシュビルはウォルデン・L・エインズワース少将が率いる第67任務部隊 (Task Force 67) の旗艦となり、終局を迎えつつあったガダルカナル島攻防戦に参加する。ガダルカナル島への輸送船団を護衛したあと、第67任務部隊は中部ソロモン諸島に向かう。折しも日本海軍の第十一航空艦隊と第八艦隊が、ニュージョージア島のムンダと、コロンバンガラ島ヴィラ・スタンモーア地区に飛行場を造成し、拡張工事をおこなっていた。1943年(昭和18年)1月4日夜、ナッシュビル(旗艦)は軽巡へレナ (USS Helena, CL-50) 、軽巡セントルイス (USS St. Louis, CL-49) および駆逐艦2隻とともに、ニュージョージア島ムンダの日本軍航空基地に対して艦砲射撃を敢行した。だが支援部隊と合流して避退中、ブインから飛来した九九式艦上爆撃機と零式艦上戦闘機の空襲を受ける。軽巡ホノルル (USS Honolulu, CL-48) が至近弾3発を受け、ニュージーランド海軍の軽巡アキリーズ (HMNZS Achilles) が直撃弾をうけて戦線離脱を余儀なくされた。 次の数ヵ月間、日米両軍はニュージョージア島とコロンバンガラ島を巡って戦い、ナッシュビルもこの攻撃に加わった。5月18日夜、ナッシュビルはコロンバンガラ島のビラ飛行場に対して艦砲射撃を行っていたが、前部砲塔で装薬が爆発し、18名が戦死して17名が負傷した。ナッシュビルは後退し、5月22日にエスピリトゥサント島を出港して本土に向かい、メア・アイランド海軍造船所に到着して修理と近代化改装を行った。 8月6日にサンフランシスコを出港し、8月12日に真珠湾に到着すると機動部隊に合流し、2ヵ月後の南鳥島とウェーク島への攻撃に加わった。10月25日、ナッシュビルはエスピリトゥサント島に到着し、7ヵ月間にわたりニューギニア島とアドミラルティ諸島への攻撃に加わり、さらにブーゲンビル島、ニューブリテン島グロスター岬への上陸作戦で砲撃を行った。1944年(昭和19年)4月21日と22日にウェーク島への攻撃を行った後、再びニューギニア方面に転戦。4月下旬からのホーランジアの戦いにおいて、ナッシュビルにダグラス・マッカーサー大将が乗艦し、マッカーサー大将は4月22日と23日のタナメラ湾とアイタペ(英語版)への上陸作戦を観戦した。5月27日からのビアク島の戦いにおいて、ナッシュビルは火力支援部隊に加わった。その途中の6月4日、ナッシュビルはビアク島近海で日本の航空部隊の空襲を受けて損傷した。 エスピリトゥサント島での修理を終えたナッシュビルは、9月中旬からのモロタイ島の戦いで再びマッカーサー大将の旗艦となった。10月16日、ナッシュビルはマッカーサー大将の旗艦としてマヌス島を出撃してレイテ島を目指す。10月20日からのレイテ島の戦いでは火力支援をおこない、橋頭堡構築の支援をおこなう。マッカーサー大将がフィリピン帰還を果たしたときも、本艦は彼の旗艦であった。マッカーサーはレイテ島北東部のタクロバンに総司令部を置き、ナッシュビルと地上を往復して過ごす。10月23日、日本海軍の強力な艦隊がレイテ島を目指して進撃することが明らかになると(両軍戦闘序列)、第7艦隊 (U.S. Seventh Fleet) を指揮するトーマス・C・キンケイド提督は、ナッシュビルを最前線に投入する意向を示した。するとマッカーサーは「自分もナッシュビルに乗って海戦に参加する」と主張して周囲を慌てさせ、キンケイドは「マッカーサーを乗せたナッシュビルを海戦に投じて、総司令官を生命の危険に晒すことはできない。」と説得した。この件ではマッカーサーがキンケイド以下周囲の反対意見を受け入れ、彼がレイテ沖海戦で日本艦隊と直接砲火を交えることはなかった。10月25日未明、西村艦隊は第7艦隊の邀撃によりスリガオ海峡で全滅し、駆逐艦1隻(時雨)だけが逃走に成功した。 レイテ沖海戦が一段落すると、本艦はマヌス島に戻って修理を受けた。ナッシュビルは第78任務部隊(アーサー・D・ストラブル少将)の旗艦として11月28日にマヌス島を出撃し、ミンドロ島の戦いの支援に向かった。進撃途中の12月13日、ナッシュビル以下のミンドロ島攻略部隊はミンダナオ海からスールー海に至る海域を航行中に神風特攻第二金剛隊(零戦3機)および陸軍特攻一宇隊(隼1機)の攻撃を受けた。1機の特攻機がナッシュビルの後方から突入し、5インチ砲砲架付近に命中。爆弾が3メートル四方に炸裂し、ガソリンは撒き散らされて火災を発生させた。ナッシュビルは133名が戦死し190名が負傷したが、133名の戦死者の中にはストラーブル少将の参謀やミンドロ島上陸部隊参謀長、爆撃部隊司令官および海兵隊員28名が含まれていた。ナッシュビルはこの被害にもかかわらず、残る5インチ砲で対空砲火を打ち上げた。しかしストラーブル少将は将旗をナッシュビルから撤収して旗艦を変更。ナッシュビルはサンペドロ湾、真珠湾と後退し、1945年(昭和20年)1月12日にピュージェット・サウンド海軍造船所に到着して大修理を行った。ナッシュビルは3月12日に修理が終わり、訓練の後4月15日にサンディエゴを出港した。 ナッシュビルは5月16日にスービック湾に到着し、第74任務部隊の旗艦となる。大戦終盤の数ヶ月間、ナッシュビルはボルネオの戦いに参加し、ボルネオ島のブルネイ湾上陸支援、バリクパパン攻略戦およびマカッサル海峡での空母護衛などの任務に従事した。7月29日にナッシュビルは日本軍船団を迎え撃つためスービック湾から出撃したものの、最後の戦時任務は取り消されることとなった。
※この「旗艦」の解説は、「ナッシュビル (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「旗艦」を含む「ナッシュビル (軽巡洋艦)」の記事については、「ナッシュビル (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。
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