重雷装艦とは? わかりやすく解説

重雷装艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 13:56 UTC 版)

重雷装艦(じゅうらいそうかん)とは太平洋戦争中の日本海軍で建造・運用された艦艇である[1]。なおこれらは新規に建造されたものでは無く既存の艦艇を改装したものであり、重雷装艦という名称も日本海軍が実際に使用したが[2]、公的に定められていたわけではない。法令上は、改装された艦艇の本来の呼称(この場合は二等巡洋艦=軽巡洋艦)がそのまま使用された。


  1. ^ 戦史叢書91 1975, pp. 548a-549第二着作業の全面発動 ― 船舶第三次徴傭
  2. ^ #経過概要(4)S17.11(下) pp.12-13(昭和17年11月19日)〔 現行昭和十七年度帝国海軍戰時編制中一部改定ニ就テ(中略)三.第九戰隊ノ解隊ニ就テ 第九戰隊ハ現在重雷装艦タルC×2(北上、大井)編制サレテヰル処現作戰情況ニ於テハ特ニ重雷装部隊トシテ纏メテ使用スル必要モ比較的減ジ此ノ司令部人材ヲ他方面ニ有効ニ使用スル為之ヲ解隊單艦トシテGFニ附属セシムルコトトセリ 〕
  3. ^ 戦史叢書91 1975, p. 548b.
  4. ^ #戦藻録(1968)61頁
  5. ^ #戦藻録(1968)67頁
  6. ^ #戦藻録(1968)68頁
  7. ^ #戦隊行動調書 p.16(昭和18年、16S)〔 七.一 16Sヨリ名取ヲ除キ大井、北上ヲ編入 〕
  8. ^ #戦隊行動調書 p.17(昭和19年、16S)〔 七.一九 大井被雷沈没|七.五 一八)大井 敷波「スラバヤ」「マニラ」間移送 〕
  9. ^ #戦隊行動調書 p.17(昭和19年、16S)〔 一一.一一 (将旗)ヲ北上ニ移揚(於佐世保)/一一.一五 16S解隊 〕


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重雷装艦

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球磨型軽巡洋艦」の記事における「重雷装艦」の解説

詳細は「重雷装艦」を参照 1941年昭和16年当時日本海軍旧式球磨型軽巡洋艦有効活用すべく、九三式61㎝魚雷酸素魚雷四連発射管10基を装備した重雷装艦への改造決定佐世保海軍工廠北上改造担当した海軍技術大尉によればアメリカ艦隊輪形陣夜陰乗じて紛れ込み両舷の敵主力艦にむけ全40本を一挙に発射する計画だったという。生還可能性はほとんどなかった。同年9月北上同年12月大井改造完了したが、結局2隻が最前線投入される事はなかった。

※この「重雷装艦」の解説は、「球磨型軽巡洋艦」の解説の一部です。
「重雷装艦」を含む「球磨型軽巡洋艦」の記事については、「球磨型軽巡洋艦」の概要を参照ください。

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