重雷装艦
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重雷装艦(じゅうらいそうかん)とは太平洋戦争中の日本海軍で建造・運用された艦艇である[1]。なおこれらは新規に建造されたものでは無く既存の艦艇を改装したものであり、重雷装艦という名称も日本海軍が実際に使用したが[2]、公的に定められていたわけではない。法令上は、改装された艦艇の本来の呼称(この場合は二等巡洋艦=軽巡洋艦)がそのまま使用された。
- ^ 戦史叢書91 1975, pp. 548a-549第二着作業の全面発動 ― 船舶第三次徴傭
- ^ #経過概要(4)S17.11(下) pp.12-13(昭和17年11月19日)〔 現行昭和十七年度帝国海軍戰時編制中一部改定ニ就テ(中略)三.第九戰隊ノ解隊ニ就テ 第九戰隊ハ現在重雷装艦タルC×2(北上、大井)編制サレテヰル処現作戰情況ニ於テハ特ニ重雷装部隊トシテ纏メテ使用スル必要モ比較的減ジ此ノ司令部人材ヲ他方面ニ有効ニ使用スル為之ヲ解隊單艦トシテGFニ附属セシムルコトトセリ 〕
- ^ 戦史叢書91 1975, p. 548b.
- ^ #戦藻録(1968)61頁
- ^ #戦藻録(1968)67頁
- ^ #戦藻録(1968)68頁
- ^ #戦隊行動調書 p.16(昭和18年、16S)〔 七.一 16Sヨリ名取ヲ除キ大井、北上ヲ編入 〕
- ^ #戦隊行動調書 p.17(昭和19年、16S)〔 七.一九 大井被雷沈没|七.五 一八)大井 敷波「スラバヤ」「マニラ」間移送 〕
- ^ #戦隊行動調書 p.17(昭和19年、16S)〔 一一.一一 (将旗)ヲ北上ニ移揚(於佐世保)/一一.一五 16S解隊 〕
- 1 重雷装艦とは
- 2 重雷装艦の概要
- 3 類似したコンセプトの艦艇
重雷装艦
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詳細は「重雷装艦」を参照 1941年(昭和16年)当時、日本海軍は旧式の球磨型軽巡洋艦を有効活用すべく、九三式61㎝魚雷(酸素魚雷)四連装発射管10基を装備した重雷装艦への改造を決定。佐世保海軍工廠で北上の改造を担当した海軍技術大尉によれば、アメリカ艦隊の輪形陣に夜陰に乗じて紛れ込み両舷の敵主力艦にむけ全40本を一挙に発射する計画だったという。生還の可能性はほとんどなかった。同年9月に北上、同年12月に大井の改造が完了したが、結局2隻が最前線に投入される事はなかった。
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