近代化改装
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1956年から1958年にかけて、蒸気式カタパルト、アレスティング・ワイヤー、アングルド・デッキ(6度)などを追加する広範囲な近代化改装を受け、ホーカー シーホーク、デ・ハヴィランド シーベノムなどのジェット機運用能力を獲得した。1960年には、デ・ハビランド シービクセンとスーパーマリン シミターなどの第二世代の遷音速戦闘爆撃機を運用するための最小限の改装がポーツマスで行われた。完全な改装を受けたハーミーズと比較するとセントーの飛行甲板は狭く、シミターは大きすぎて運用は危険であると判断され、シービクセンのみ搭載されたが、MiG-17、MiG-19、MiG-21の脅威に対して十分に対抗できず、マレーシア建国におけるインドネシアとの対立の際も投入されなかった。
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近代化改装
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「ヴァスコ・ダ・ガマ (装甲艦)」の記事における「近代化改装」の解説
竣工後の1900年から本艦はイタリアのオルランド社にて近代化改装を受けた。改装の要目は機関の換装と砲郭部の撤去に伴う火砲の更新、船体の延長工事などの大規模な物であった。機関の換装に伴う航続性能の向上により、旧来の帆走設備は廃止されて艦容は近代化された。改装前と同じく水面下に衝角の付く艦首から両脇に船橋を持ち、上部に露天の見張り所を持つ密閉型の箱形艦橋が新設され、その後部に上部に探照灯台・中部に見張り台が設けられた単脚式の前檣が立つ。砲郭部のあった部分は張り出し(スポンソン)に変わり、そこに主武装として「アームストロング 1895年型 20.3cm(40口径)単装砲」が防盾の付いた単装砲架で片舷1基ずつ計2基が配置された。船体中央部の煙突の本数は1本から2本となり、周囲には大小様々な煙管型の通風筒が立てられた。 舷側甲板上は艦載艇置き場となり、艦載艇は舷側部に2本1組のボート・ダビッドが片舷2組の計4組と、単脚式の後檣の基部に付いたジブ・クレーン1基により運用された。後檣の後部に後部探照灯台が設置され、後部甲板上に副砲として「アームストロング 1895年型 15.2cm(45口径)速射砲」が防盾の付いた単装砲架で後向きに1基が配置された。船体後部の艦長室は壁面に新たにスタンウォーク(Stern Walk )が新設された。他に近接戦闘用に「アームストロング 1888年型 12ポンド:76.2cm(40口径)速射砲」が防盾の付いた単装砲架で艦首甲板中央に1基、艦首と艦尾の両舷側に1基ずつの計5基が配置された。 この武装配置により艦首方向に20.3cm砲2門と7.62cm砲1門が、艦尾方向に20.3cm砲2門と15.2cm砲1門が、左右方向には20.3cm砲1門と15.2cm砲1門と76.2cm砲3門が指向できた。この改装により満載排水量は1千トン近く増大し、ポルトガル海軍の分類では装甲巡洋艦(cruzador-couraçado)に類別変更された。
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近代化改装
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「5500トン型軽巡洋艦」の記事における「近代化改装」の解説
1931年(昭和6年)から1934年(昭和9年)ころ各艦とも近代化改装を施した。その後も特定修理などの際に小改装を施している。主な変更点は以下の通り。 主缶はすべて重油専焼缶となる。 カタパルト1基を艦後部に装備し航空機1機を搭載、後マスト部に航空機上げ下ろし用のデリックを装備した。このため後マストは3脚檣としている。艦橋前にあった滑走台は(試作カタパルト装備の艦はそれも)撤去された。滑走台の撤去跡には保式13mm四連装機銃が1基装備された(一部の艦は連装機銃を2基装備)。なお大井、北上、木曾の3艦は近代化改装後も航空兵装を装備しなかった。この理由は明らかでないがロンドン軍縮条約による練習艦への改造を考慮していたのではないか、または重雷装艦改造計画があったため、という説もある。 8cm高角砲を九三式13mm連装機銃に交換(球磨・北上・大井を除く)。 探照燈を110cm3基に強化した。(従来は90cm3基) 竣工時は艦橋に固定天蓋を持たなかったが、3.5m測距儀の装備時に固定部分が増え、1934年(昭和9年)ごろ全艦が完全な固定天蓋を持った。 1938年(昭和13年)に阿武隈のみ、魚雷兵装を強化、従来の連装発射管4基を4連装発射管2基と交換している。同時に魚雷は61cm九三式魚雷(いわゆる酸素魚雷)となった。同様の改装は他の長良型・川内型に計画されていたようだが、太平洋戦争開戦前に改装が完了したのは1940~41年(昭和15~16年)の那珂と神通だけであった。 また開戦直前の1941年(昭和16年)、大井、北上の2艦は酸素魚雷の4連装発射管10基を搭載する重雷装艦に改造された。 同じく1941年(昭和16年)、九三式13mm連装機銃を九六式25mm連装機銃に交換。8cm高角砲が残置されていた球磨・北上・大井もこれを九六式25mm連装機銃に交換。
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近代化改装
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1932年(昭和7年)から1935年(昭和10年)に長良型の各艦は順次近代化改装が行われた。後述する航空兵装の刷新が中心となる。その他に前後マストに見張所を新設などが行われている。 近代化改装後も太平洋戦争開戦までにボイラーの重油専焼化、前部マストの短縮、探照燈の換装、方位測定儀アンテナの換装などが行われている。
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近代化改装
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「レイナ・ビクトリア・エウヘニア (軽巡洋艦)」の記事における「近代化改装」の解説
1938年から1939年にかけて近代化改装を受けた際に、15.2cm速射砲3基と4.7cm高角砲4基を撤去し、代わりに対空火器として「クルップ 8.8cm(45口径)高角砲」を単装砲架で4基と「イソッタ・フラスキニ 2cm(70口径)機銃」を単装砲架で4基を搭載した。1946年に2cm機銃をドイツ製の2cm(65口径)単装機銃4基に更新した。
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近代化改装
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1934年(昭和9年)4月から11月にかけて球磨は舞鶴工作部で 近代化改装を受けた。航空兵装は、5番砲と6番砲の間に呉式二号三型射出機を装備し、同年11月からの潜水戦隊旗艦時には九四式水上偵察機を搭載している。水偵の揚げ降ろし用に後部マストにデリックが設けられ、後部マストは基部が三脚式になった。また作業用に射出機付近のシェルター甲板が右舷側に拡大された。 艦橋は羅針艦橋の側壁と天蓋が固定式となり、ガラス窓が設置された。艦橋上に3.5m測距儀が設置され、艦橋の側面左右に見張所が新設された。なお見張所は球磨より前方に設置され、羅針艦橋前面側壁に傾斜が付くなど、球磨との相違がある。上部艦橋平面(羅針艦橋の1甲板下)は後方に拡大されて士官休憩室や作戦室を設置、旗甲板は羅針艦橋レベルに上げられた。また旗甲板の後方、前部マスト三脚内に無線電信室が新設された。その他に前部マスト中段の測的所の1段上に前部見張所が新設された。 球磨と違い後部マスト三脚部に見張所が設置されず、探照灯も須式90cm1基のままだった。また短艇甲板が後方(後部魚雷発射管上)に延長され、長良型・川内型と同様に7番砲まで甲板が続く形になった。 対空兵装は8cm高角砲が九三式13mm連装機銃に、三年式機砲は留式7.7mm機銃に換装された。 同時に復原性能改善工事も行われている。
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近代化改装
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1932年(昭和7年)9月8日から12月1日にかけて球磨は呉海軍工廠で近代化改装を受けた。主眼の一つは航空兵装の充実で、5番砲と6番砲の間に呉式二号(一型)射出機を装備し、九〇式水上偵察機1機を搭載した。水偵の揚げ降ろし用に後部マストにデリックが設けられ、後部マストは基部が三脚式になった。また作業用に射出機付近のシェルター甲板が右舷側に拡大された。 艦橋は羅針艦橋の側壁と天蓋が固定式となり、ガラス窓が設置された。また艦橋上に3.5m測距儀が設置され、艦橋の側面左右に見張所が新設された。上部艦橋平面(羅針艦橋の1甲板下)は後方に拡大されて士官休憩室や作戦室を設置、旗甲板は羅針艦橋レベルに上げられた。また旗甲板の後方、前部マスト三脚内に無線電信室が新設された。その他に前部マスト中段の測的所の1段上に前部見張所が新設された。 後部マスト三脚部に須式90cm探照灯2基(従来は1基)が装備され、その下に見張所も設置された。その他に短艇甲板が後方(後部魚雷発射管上)に延長され、長良型・川内型と同様に7番砲まで甲板が続く形になった。
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近代化改装
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「フォッシュ (空母)」の記事における「近代化改装」の解説
1987年に近代化改装を受け、100mm単装砲のうち左舷後部と右舷前部の4基を降ろし、クロタル短SAM8連装発射機2基とミストラル近SAM6連装サドラル発射機2基を装備した。 フォッシュ The Meuse refueling the Foch Foch Dragon Hammer '92 サン・パウロ(São Paulo), ex-Foch
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近代化改装
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「クレマンソー (空母)」の記事における「近代化改装」の解説
1985年に近代化改装を受け、冷戦時代末期におけるアメリカ軍以外の空軍力底上げに大きく貢献すると共に、冷戦期の始まりから終わりまでを現役で戦い抜き、最終的にはソビエト連邦を初めとする東側諸国にNATO率いる西側諸国が勝利する事に無視できない功績を残した。この改装で100mm単装砲のうち左舷後部と右舷前部の4基を降ろし、クロタル短SAM8連装発射機2基を搭載した。 ユーゴスラビア紛争後に原子力空母「シャルル・ド・ゴール」と交替する形で退役した為、21世紀の対テロ戦争には参加する事はなかった。
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