近代化改装とは? わかりやすく解説

近代化改装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 09:43 UTC 版)

セントー (空母)」の記事における「近代化改装」の解説

1956年から1958年にかけて、蒸気式カタパルトアレスティング・ワイヤーアングルド・デッキ6度)などを追加する広範囲な近代化改装を受け、ホーカー シーホークデ・ハヴィランド シーベノムなどのジェット機運用能力獲得した1960年には、デ・ハビランド シービクセンスーパーマリン シミターなどの第二世代遷音速戦闘爆撃機運用するための最小限改装ポーツマス行われた。完全な改装受けたハーミーズ比較するセントー飛行甲板狭くシミター大きすぎて運用は危険であると判断されシービクセンのみ搭載されたが、MiG-17MiG-19MiG-21脅威に対して十分に対抗できず、マレーシア建国におけるインドネシアとの対立の際も投入されなかった。

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近代化改装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 23:38 UTC 版)

ヴァスコ・ダ・ガマ (装甲艦)」の記事における「近代化改装」の解説

竣工後の1900年から本艦イタリアオルランド社にて近代化改装を受けた改装要目機関換装砲郭部の撤去に伴う火砲更新船体延長工事などの大規模なであった機関換装に伴う航続性能の向上により、旧来の帆走設備廃止され艦容近代化された。改装前同じく水面下衝角の付く艦首から両脇船橋持ち上部露天見張り所を持つ密閉型箱形艦橋新設されその後部に上部探照灯台・中部に見張り台設けられ単脚式の前檣が立つ。砲郭部のあった部分張り出しスポンソン)に変わり、そこに主武装として「アームストロング 1895年型 20.3cm(40口径)単装砲」が防盾の付いた単装砲架で片舷1基ずつ計2基が配置された。船体中央部煙突本数は1本から2本となり、周囲には大小様々な煙管型の通風筒立てられた。 舷側甲板上は艦載艇置き場となり、艦載艇舷側部に2本1組ボート・ダビッドが片舷2組の計4組と、単脚式の後基部付いたジブ・クレーン1基により運用された。後後部後部探照灯台が設置され後部甲板上に副砲として「アームストロング 1895年型 15.2cm(45口径速射砲」が防盾の付いた単装砲架で後向きに1基が配置された。船体後部艦長室壁面新たにスタンウォーク(Stern Walk )が新設された。他に近接戦闘用に「アームストロング 1888年12ポンド:76.2cm(40口径速射砲」が防盾の付いた単装砲架艦首甲板中央に1基、艦首艦尾の両舷側に1基ずつの計5基が配置された。 この武装配置により艦首方向に20.3cm砲2門と7.62cm砲1門が、艦尾方向に20.3cm砲2門と15.2cm砲1門が、左右方向には20.3cm砲1門と15.2cm砲1門と76.2cm砲3門が指向できた。この改装により満載排水量は1千トン近く増大しポルトガル海軍分類では装甲巡洋艦(cruzador-couraçado)に類別変更された。

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近代化改装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:17 UTC 版)

5500トン型軽巡洋艦」の記事における「近代化改装」の解説

1931年昭和6年)から1934年昭和9年)ころ各艦とも近代化改装を施したその後特定修理などの際に小改装施している。主な変更点は以下の通り主缶はすべて重油専焼缶となる。 カタパルト1基を艦後部装備し航空機1機を搭載、後マスト部に航空機上げ下ろし用のデリック装備したこのためマストは3脚としている。艦橋前にあった滑走台は(試作カタパルト装備の艦はそれも)撤去された。滑走台の撤去跡には保式13mm四連機銃が1基装備された(一部の艦は連装機銃を2基装備)。なお大井、北上木曾の3艦は近代化改装後航空兵装を装備しなかった。この理由明らかでないロンドン軍縮条約による練習艦への改造考慮していたのではないか、または重雷装艦改造計画があったため、という説もある。 8cm高角砲を九三式13mm連装機銃交換球磨北上大井を除く)。 探照燈を110cm3基に強化した。(従来は90cm3基) 竣工時は艦橋固定天蓋を持たなかったが、3.5m測距儀装備時に固定部分増え1934年昭和9年)ごろ全艦が完全な固定天蓋持った1938年昭和13年)に阿武隈のみ、魚雷兵装強化従来連装発射管4基を4連装発射管2基と交換している。同時に魚雷61cm九三式魚雷いわゆる酸素魚雷となった同様の改装は他の長良型川内型計画されていたようだが、太平洋戦争開戦前改装完了したのは194041年昭和1516年)の那珂神通だけであった。 また開戦直前1941年昭和16年)、大井、北上の2艦は酸素魚雷の4連装発射管10基を搭載する重雷装艦改造された。 同じく1941年昭和16年)、九三式13mm連装機銃九六式25mm連装機銃交換8cm高角砲残置されていた球磨北上大井もこれを九六式25mm連装機銃交換

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近代化改装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:19 UTC 版)

長良型軽巡洋艦」の記事における「近代化改装」の解説

1932年昭和7年)から1935年昭和10年)に長良型の各艦は順次近代化改装が行われた。後述する航空兵装の刷新中心となるその他に前後マスト見張所を新設などが行われている。 近代化改装後太平洋戦争開戦までにボイラー重油専焼化、前部マスト短縮探照燈換装方位測定アンテナ換装などが行われている。

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近代化改装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 14:20 UTC 版)

レイナ・ビクトリア・エウヘニア (軽巡洋艦)」の記事における「近代化改装」の解説

1938年から1939年にかけて近代化改装を受けた際に、15.2cm速射砲3基と4.7cm高角砲4基を撤去し代わりに対空火器として「クルップ 8.8cm(45口径高角砲」を単装砲架で4基と「イソッタ・フラスキニ 2cm70口径機銃」を単装砲架で4基を搭載した1946年2cm機銃ドイツ製の2cm65口径)単装機銃4基に更新した

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近代化改装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:53 UTC 版)

多摩 (軽巡洋艦)」の記事における「近代化改装」の解説

1934年昭和9年4月から11月にかけて球磨舞鶴工作部で 近代化改装を受けた航空兵装は、5番砲と6番砲の間に呉式二号三型射出機装備し同年11月からの潜水戦隊旗艦時には九四式水上偵察機搭載している。偵の揚げ降ろし用に後部マストデリック設けられ後部マスト基部三脚になった。また作業用射出機付近シェルター甲板右舷側に拡大された。 艦橋羅針艦橋側壁天蓋固定式となり、ガラス窓設置された。艦橋上に3.5m測距儀設置され艦橋側面左右に見張所が新設された。なお見張所は球磨より前方設置され羅針艦橋前面側壁傾斜が付くなど、球磨との相違がある。上部艦橋平面(羅針艦橋の1甲板下)は後方拡大され士官休憩室作戦室設置、旗甲板羅針艦橋レベル上げられた。また旗甲板後方前部マスト三脚内に無線電信室が新設された。その他に前部マスト中段の測的所の1段上前部見張所が新設された。 球磨違い後部マスト三脚部に見張所が設置されず、探照灯も須式90cm1基のままだった。また短艇甲板後方(後部魚雷発射管上)に延長され長良型川内型同様に7番砲まで甲板が続く形になった対空兵装8cm高角砲が九三式13mm連装機銃に、三年式機砲は留式7.7mm機銃換装された。 同時に復原性改善工事行われている。

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近代化改装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:03 UTC 版)

球磨 (軽巡洋艦)」の記事における「近代化改装」の解説

1932年昭和7年9月8日から12月1日にかけて球磨呉海軍工廠で近代化改装を受けた主眼一つ航空兵装の充実で、5番砲と6番砲の間に呉式二号(一型)射出機装備し九〇式水上偵察機1機を搭載した偵の揚げ降ろし用に後部マストデリック設けられ後部マスト基部三脚になった。また作業用射出機付近シェルター甲板右舷側に拡大された。 艦橋羅針艦橋側壁天蓋固定式となり、ガラス窓設置された。また艦橋上に3.5m測距儀設置され艦橋側面左右に見張所が新設された。上部艦橋平面(羅針艦橋の1甲板下)は後方拡大され士官休憩室作戦室設置、旗甲板羅針艦橋レベル上げられた。また旗甲板後方前部マスト三脚内に無線電信室が新設された。その他に前部マスト中段の測的所の1段上前部見張所が新設された。 後部マスト三脚部に須式90cm探照灯2基(従来は1基)が装備され、その下に見張所も設置された。その他に短艇甲板後方(後部魚雷発射管上)に延長され長良型川内型同様に7番砲まで甲板が続く形になった

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近代化改装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/23 06:15 UTC 版)

フォッシュ (空母)」の記事における「近代化改装」の解説

1987年に近代化改装を受け、100mm単装砲のうち左舷後部右舷前部の4基を降ろしクロタル短SAM8連装発射機2基とミストラル近SAM6連装サドラル発射機2基を装備したフォッシュ The Meuse refueling the Foch Foch Dragon Hammer '92 サン・パウロ(São Paulo), ex-Foch

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近代化改装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/26 15:25 UTC 版)

クレマンソー (空母)」の記事における「近代化改装」の解説

1985年に近代化改装を受け、冷戦時代末期におけるアメリカ軍以外の空軍力底上げ大きく貢献すると共に冷戦期始まりから終わりまでを現役戦い抜き最終的にソビエト連邦初めとする東側諸国NATO率い西側諸国勝利する事に無視できない功績残した。この改装100mm単装砲のうち左舷後部右舷前部の4基を降ろしクロタル短SAM8連装発射機2基を搭載したユーゴスラビア紛争後原子力空母シャルル・ド・ゴール」と交替する形で退役した為、21世紀対テロ戦争には参加する事はなかった。

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