近代化改装後
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1980年代の改装時に5インチ38口径両用連装砲を6基12門まで減らし、既存の対空火器の撤去をした上でトマホーク(装甲ボックスランチャー)・ハープーン・ファランクス・SRBOC・Nixieの設置が行われた。 当初はシースパロー(Mk29 8連装ランチャー)の設置も検討されたが、主砲射撃時の爆風にシステムが耐えられないことが判明したため断念され、代わりにスティンガーの配備が行われた。 Mk.16 ファランクス CIWS BGM-109 トマホーク RGM-84 ハープーン Mk.36 SRBOC AN/SLQ-25 Nixie
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近代化改装後
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「キアサージ (戦艦)」の記事における「近代化改装後」の解説
キアサージは1909年9月4日、フィラデルフィア海軍造船所で予備役になり、近代化改装に入った。前檣および後檣を籠マスト化して装いも新たになり、1915年6月23日に再就役した。 再就役すると、大西洋岸に沿って9月17日まで作戦活動に従事し、その後フィラデルフィアを出航、メキシコのベラクルスに海兵隊の部隊を運んだ。キアサージは1915年9月28日から1916年1月5日までベラクルスに留まり、海兵隊員を乗せルイジアナ州ニューオーリンズに帰還した。その後フィラデルフィアで1916年2月4日に大西洋予備役艦隊に編入され、キアサージはアメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦するまで、マサチューセッツ州とメイン州の海軍州兵を訓練した。 その後マサチューセッツ州ボストンからフロリダ州ペンサコーラまで、東海岸に沿って機関員と武装警備員の練習航海を行った。1918年8月18日の夜にキアサージは、ドイツのUE2型潜水艦U117によって沈められたノルウェーのバーク型帆船「Nordhav」の生存者26人を救出し、彼らをボストンまで送り届けた。 キアサージは機関員の練習艦としての任務を1919年5月29日まで行った後、海軍兵学校の士官候補生を乗せて西インド諸島巡航の練習航海を行った。士官候補生は8月29日にメリーランド州アナポリスで下艦した。キアサージはフィラデルフィア海軍造船所へ向かい、1920年5月10日退役し、起重機船(クレーン船)へと改造された。1920年8月5日には新たな船番号「AB-1」が与えられた。
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