士官候補生
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士官候補生(しかんこうほせい)とは、士官の候補者として教育を受けている者をいう。広義には次のようなものがある。
- 1 士官候補生とは
- 2 士官候補生の概要
士官候補生(Fähnrich)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/15 14:34 UTC 版)
「国家人民軍の階級」の記事における「士官候補生(Fähnrich)」の解説
候補生学校生徒を除く士官候補生は肩に候補生記章を着用した。 士官候補生(Fähnrich)本部上級候補生(ドイツ語版)Stabsoberfähnrich戦車本部候補生(ドイツ語版)Stabsfähnrich工兵上級候補生(ドイツ語版)Oberfähnrich降下猟兵候補生(ドイツ語版)Fähnrich国境警備隊候補生学校生徒Fähnrichschüler航空軍W-4 W-3 W-2 W-1
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士官候補生(Fähnriche)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/15 14:34 UTC 版)
「国家人民軍の階級」の記事における「士官候補生(Fähnriche)」の解説
候補生学校生徒を除く士官候補生は肩に候補生記章を着用した。 士官候補生(Fähnriche)本部上級候補生Stabsoberfähnrich本部候補生Stabsfähnrich上級候補生Oberfähnrich候補生Fähnrich候補生学校生徒Fähnrichschüler2年生W-4 W-3 W-2 W-1
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士官候補生
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「幹部候補生 (日本軍)」の記事における「士官候補生」の解説
1887年(明治20年)に初めて定められ、陸軍幼年学校を卒業するか中学校などから志願のうえ試験に合格して陸軍士官学校で各兵科現役将校となる教育を受ける者が士官候補生であった。1920年(大正9年)以降は陸軍士官学校の予科、1937年(昭和12年)からは陸軍予科士官学校を卒業した者が士官候補生とされ、陸軍士官学校あるいは1937年に当初分校として開校した陸軍航空士官学校(航空兵科のみ)で本科教育を受けた。また1935年(昭和10年)より陸軍経理学校の予科を卒業した者は経理部士官候補生とされ、引き続き同校で本科教育を受けた。 士官候補生は、いわゆる「職業軍人」となる現役将校を補充する点が、はじめから予備役将校の補充を目的とする幹部候補生とは根本的に異なり、修業期間も幹部候補生より長く設定されていた。現役将校は少尉候補者など士官候補生以外からも補充されたが、事実上陸軍将校の本流は士官候補生出身者のみといえる。
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士官候補生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:07 UTC 版)
神から召命を受け、生涯を奉仕に捧げる士官となるために士官学校(=神学校)に在学中の神学生。
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士官候補生
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50期 1937年10月1日入校(当時は所沢分校) 58名 陸軍士官学校予科を卒業し隊附勤務を終え、市ヶ谷の陸士本科ですでに航空兵科士官候補生として1年1か月の教育を受けていた1938年6月29日卒業(当時は豊岡分校) 53名 操縦53(偵察16戦闘6軽爆12重爆19)戦没者25名 大佐:西尾常三郎(2階級特進)・新海希典(2階級特進) ※階級は最終階級、以下同 少佐:石川貫之(空将、航空幕僚長)・河内山譲・倉澤清忠・黒江保彦(空将補) 51期 1937年10月1日入校(当時は所沢分校) 90名 陸軍士官学校予科を卒業し隊附勤務半年を終え入校1939年4月27日卒業 95名(卒業延期の50期5名を含む) 操縦84(偵察15戦闘30軽爆15重爆24)通信11 昭和天皇行幸戦没者57名 中佐:南郷茂男(2階級特進) 少佐:白川元春(空将) 52期 1937年11月16日入校(当時は所沢分校) 128名1939年9月7日卒業 127名 操縦101(偵察15戦闘40軽爆17重爆29)技術12通信14 昭和天皇行幸(座間にて陸軍士官学校と合同の卒業式)戦没者73名 少佐:吉田穆 53期 1938年6月1日入校(当時は豊岡分校) 370名1940年6月21日卒業 357名 操縦307(偵察68戦闘90軽爆60重爆89)技術27通信23 東條英機航空総監臨席戦没者234名 中佐:尾崎中和(2階級特進) 少佐:檜與平 大尉:岩本益臣(戦死) 中尉:佐藤行通 54期 1938年11月21日入校(当時は豊岡分校) 409名1941年3月28日卒業 395名 操縦298(偵察66戦闘82軽爆60重爆90)技術37通信36偵察24 昭和天皇行幸戦没者254名 大尉:進藤浩康(戦死) 55期 1939年11月15日入校 646名 短期間の隊附を実施1942年3月27日卒業 636名 操縦340(司偵49軍偵20戦闘140軽爆55重爆76)技術132通信125偵察39 昭和天皇行幸戦没者317名 中佐:笹川勉(2階級特進) 大尉:曽我邦夫(戦死)・根木基夫(戦死)・吉田好雄・生田惇・寺山欽造・古賀忠良(マニラ迎撃戦で戦死、没後進級)・竹田五郎(空将、統合幕僚会議議長) 56期 1941年6月2日入校 638名 陸軍予科士官学校を卒業し約二ヶ月の隊附を経た後の入校 他に満州国陸軍軍官学校候補生1期15名1943年5月26日卒業 618名 操縦408(司偵45軍偵19戦闘200軽爆46重爆47襲撃31航法20)技術120通信90(うち気象10)戦没者357名 少佐:広森達郎(2階級特進)・敦賀真二(2階級特進)・石川廣(2階級特進)・遠藤栄(2階級特進)・山本達夫(2階級特進) 大尉:藤山二典(没後進級)・安藤浩(没後進級) 中尉:尾形憲(法政大学名誉教授) 57期 1942年7月13日入校 634名 予科士官学校在校中に航空士官学校へ約2か月の派遣教育 他に満州国陸軍軍官学校候補生2期15名1943年1月7日編入 120名 陸軍士官学校で教育を受けていた歩兵等の士官候補生が航空科に転科1944年3月20日卒業 751名 操縦537(司偵45軍偵19近戦210遠戦89軽爆45重爆79襲撃35航法15)偵察16爆撃8技術100通信90(うち気象8)少尉候補24期前期、特別志願将校学生4期と合同の卒業式 昭和天皇行幸1944年7月1日少尉任官戦没者337名 大尉:猫橋芳朗(2階級特進)・堀内清松(没後進級、戦死(終戦後、軍命遂行中)) 中尉:天野三郎(2階級特進)・柴田禎男(2階級特進)・西村正英(2階級特進)・藤井信(2階級特進)・宮田淳作(2階級特進)・森本秀郎(2階級特進) 58期 1943年12月14日入校 1200名 予科在校中に約20日間の集団隊附勤務を含む航空士官学校へ約50日間の派遣教育 他に満州国陸軍軍官学校候補生3期30名1945年3月20日卒業 1176名 操縦790(司偵79戦闘525単襲31双襲45重爆110)航法20爆撃16偵察39整備144通信158気象9 航空総監阿南惟幾大将臨席1945年7月1日少尉任官戦力となる以前の錬成訓練課程中に終戦となったため戦没者の詳細は不明であるが、操縦分科は強引ともいえる速成教育、経験不足の教官の増加、飛行練習に使用する燃料の粗悪化により事故が多発し在校中の殉職者だけでも6名が確認される。 中尉:板垣正 少尉:山本卓眞・生田目修(空将、航空幕僚長) 59期 1944年3月29日入校 1608名 他兵科より約半年繰り上げて3月17日に予科士官学校を卒業 他に満州国陸軍軍官学校候補生4期30名1944年4月22日 兵長に進級1944年6月11日 以後20日間の隊附教育1944年6月17日 伍長に進級1944年8月17日 軍曹に進級1945年8月終戦により復員(終戦後に特別に卒業資格を付与) 軍曹:梶山静六(政治家) 青木日出雄(航空自衛隊後、航空、軍事評論家) 60期 1945年3月27日入校 3004名 うち1499名が1月28日予科士官学校卒業前に一次生としてすでに派遣 他に満州国陸軍軍官学校候補生6期30名1945年6月18日伍長に進級1945年8月終戦により復員 矢部廣武(陸将)・等松岑夫・森繁弘(空将、統合幕僚会議議長) 61期 未入校 予科士官学校で航空科を指定された生徒 中村守雄(陸将)
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士官候補生
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「東京ボーイズ (インド国民軍)」の記事における「士官候補生」の解説
ラメシュ・サハラム・ベネガル、- Maha Vir Chakra、Ati Vishisht Seva Medal、インド空軍。ウィング・コマンダー バリンドラ・カルマカル、- 東京・上北沢にあった「興亜同学院」にて日本語を学習 スクビル・シン・ニンドラ、- 「興亜同学院」」で日本語を学習、後に陸軍士官学校へと進んだ。終戦後に米軍に引き渡され翌年釈放された
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「士官候補生」の例文・使い方・用例・文例
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