士官と兵士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 03:44 UTC 版)
「フランス領カナダの防衛軍」の記事における「士官と兵士」の解説
時が経つにつれて、カナダ生まれの士官が徐々に増えて行った。彼らは貴族であった。当時、兵士から士官層への昇進は存在せず、個々の階級にも年俸の差があった 。カナダ生まれの若者は士官候補生(カデット)に任命されたり、あるいは総督を介して任官されたり、士官への就任を許可されたりした。貴族や現役の士官の子息は、優先的に士官の地位を得られるのが普通だった。任務に就く士官候補生の少年や青年は、将来の士官となるために鍛錬された。士官たちは、より多くの食料と俸給を手に入れるために、時にはわずか5歳の少年を入隊させ、士官たちの仲間入りをさせた。1717年、14歳以下の少年の入隊は認められなくなったが、このシステムの私的利用は続いた。 兵士たちは戦闘で鍛えられ、熟練したブッシュファイター (現在ではゲリラ、または非正規兵と言う呼び方が一般的)となっていった。ルイブールでは、「キャノニエ=ボンバルディエ」(砲撃手と爆撃手)部隊(大砲部隊)が1743年に創設された。それぞれの部隊からルイブール駐屯隊に兵が選抜され、大砲の点火と砲撃を主に砲術係陸曹から鍛えられた 。この特別な鍛錬と任務の結果、砲撃手はひと月の俸給に6リーブルが上乗せされた。これは、彼らが他の兵のように砦などの建設に関われなかったことへの代償であり、いい射撃術への褒美金であった。ルイブール砲術隊は13人の砲撃手、12人の爆撃手、1人の鼓手と2人の伍長、2人の軍曹から成り立っていて、指揮官は大尉と中尉であった。
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