カスター中佐による虐殺とは? わかりやすく解説

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カスター中佐による虐殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 10:22 UTC 版)

ウォシタ川の戦い」の記事における「カスター中佐による虐殺」の解説

一方アメリカ軍ミズーリ方面軍指揮官フィリップ・シェリダン将軍は、もはやインディアン相手和平交渉不可能であるとして、交戦派のインディアン集落そのものに対して焦土作戦を行うと決めた冬季作戦深刻な兵站問題直面するが、また決定打となる可能性もあった。もしインディアン住居食料および家畜破壊する捕獲ししまえばインディアンたちは白人配給縋るしかなく、降伏以外の何者残されなくなると算段しのであるシェリダンは、テキサス州の回廊地帯真東にあるインディアン冬季野営地3つの部隊合流させる作戦立てた。1隊はコロラドライアン砦から、1隊はニューメキシコ準州のバスコム砦から、もう1隊はインディアン準州内に造られ保留地インディアン年金支給所である「支給基地」から出撃させることとした。その頃カスター中佐指揮する第7騎兵隊がウォシタ川沿いインディアン達を見付けた1868年11月27日カスター配下オーセージ族斥候が、インディアン戦士隊通った跡を見つけたカスター隊は夜になるまで終日休みなくこの跡を辿った夜になったときに小休止取っただけで、月明かり頼り追跡続けた最終的にカスター隊はブラック・ケトル・バンドの野営到着したカスターはその部隊4つ分けそれぞれの隊が夜明けとともに同時に野営襲撃できるよう手配した夜明け各部隊襲撃始めた米兵進軍ラッパ目覚めたダブルウルフが銃を発砲したため、インディアンたちは米軍襲撃知った。ダブルウルフはこの米軍襲撃で、最初の犠牲者となったインディアン達は慌ててティーピー離れて樹木や深い谷の陰に身を隠したカスター直ぐに野営制圧したが、生き残った戦士たち皆殺しにするにはてこずった。 突然の白人襲撃に、ブラック・ケトルはもはや逃げようとはしなかった。「サンドクリークの虐殺」を経て白人はここに再び和平協定破った。その妻メディシン・ウーマン・レイターとともに自分ティーピーのそばで射殺された。ブラックケトルの頭の皮を、オーセージ族斥候剥いだカスターブラック・ケトルたちの虐殺終えた後で間もなく自分危険な立場におかれていることを知った襲撃下火になり始めたときに、カスターは大集団騎馬インディアン近くの丘の上集まっていることに気付いたカイオワ族やアラパホー族、シャイアン族がブラック・ケトル・バンドの危機察して救援駆け付けたのである。 ここで初めカスターは、ブラック・ケトル・バンドの野営は、川沿い野営している多くインディアン部族野営のなかの1つに過ぎないことを理解したのであるカスター救援隊攻撃恐れて急いで部隊防御体制をとり、また殺したシャイアン族インディアン所持品や馬を収奪するよう命じた運べないと判断され物品破壊され200頭の馬やポニーシャイアン族捕虜一緒にまとめた。 カスター襲撃前に動きすいよう部隊兵厚地オーバーコート脱いでおけと命じていた。後方置いた食料コートのために、少数見張りをつけたが、インディアン救援隊の数があまりに多かったので見張り逃げてしまった。この見張りインディアン救援隊捕まってしまった。 カスターインディアン救援隊恐れ日暮れ時によそのインディアン野営地向けて撤退始めた周囲野営していたインディアン達は、カスター隊が近づいて来るのを見て、ブラック・ケトル・バンドの二の舞避けて逃げた。こうしてカスター隊はうまく輜重隊まで撤退できた。かくしてウォシタ川の大虐殺終わったカスター11月28日シェリダン将軍宛てた最初報告では、「戦闘後実際注意深い精査により、戦士103名の死体見つかった」としている。「支給基地」にいたシェリダンはこの数字オウム返しに、翌日W・Aニコルズ名誉少将のもとに伝えた実際の戦場死体数えることは行われなかった。カスター挙げた数字戦闘翌日夜にその士官達に尋ねたことに基づいており、兵士達が「支給基地」に戻る行軍中に野営地造った後のことだった。カスター隊にいた文民推計値もかなり少ないものだったうえ、カスターまた、無差別に殺した無抵抗の子供、幼児の数は一切報告しなかった。 アメリカ陸軍軍事史センターによる近年集計拠れば、ウォシタ川の虐殺で第7騎兵隊21人の士官と兵士戦死し13名が負傷したインディアンはおそらく50名が戦死しさらに多く負傷したことになっている戦死した兵士内の20名はジョエル・エリオット少佐率いた小さな分遣隊一部であり、エリオット自身戦死者入っていた。エリオット率いていた3個中隊と分かれており(明らかにカスター承認無しで、「ここには名誉か死かしかない」と叫んだ)、ブラック・ケトル・バンドの避難民たちを追いかけていた。エリオット部下達は、川の上流側の野営から救援にやってきたシャイアン族カイオワ族およびアラパホー族戦士混成隊の中に突入し戦死していた。戦士達は1回突撃でその小さな部隊圧倒したカスターエリオット安否確かめもせずに突然撤退し騎兵失ったことは、軍隊同格の者達の中でカスター評判落とし、第7騎兵隊の中で癒えることのない深い不満を残した。しかしこの働きに関してウィリアム・シャーマン将軍シェリダン将軍からお褒め言葉を賜っている。

※この「カスター中佐による虐殺」の解説は、「ウォシタ川の戦い」の解説の一部です。
「カスター中佐による虐殺」を含む「ウォシタ川の戦い」の記事については、「ウォシタ川の戦い」の概要を参照ください。

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