軍事史
軍事史
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1871年9月 東北鎮台隷下の陸軍歩兵第5連隊、青森に駐屯。 1896年 陸軍第8師団、弘前に駐屯。 1899年8月 大湊水雷団創設。 1902年1月 歩兵第5連隊第2大隊、八甲田山雪中遭難。 1902年11月 大湊要港部が設置。 1905年 第8師団が日露戦争に従軍、黒溝台会戦で死傷6300人。 1922年6月13日 第8師団がシベリア出兵。 1941年11月 大湊要港部、警備府へ昇格。 1945年7月 青森、八戸、三沢、大湊など空襲、青函連絡船7隻沈没、青森市での死傷者1769名。 9月 米第七艦隊、大湊に入港(8日)。米陸軍、旧日本海軍三沢飛行場を接収して三沢基地に。 1953年9月 保安庁警備隊大湊地方隊が編成。 1956年12月 陸上自衛隊第9混成団が編成(1962年8月第9師団に改編)。 1957年 海上自衛隊大湊地方隊八戸航空隊が編成(1961年第2航空群に改編)。 1958年8月 三沢に航空自衛隊北部航空方面隊が編成。 1985年2月 米空軍三沢基地にF-16戦闘機配備。 1997年7月 第9師団第5普通科連隊のレンジャー訓練中、八甲田山中で二酸化炭素ガス中毒事故。 2002年6月 大湊基地の護衛艦「せとぎり」がインド洋派遣(テロ対策特別措置法)。 9月 第9師団が東ティモール派遣(国連平和維持活動)。 2003年8月 第9師団がゴラン高原派遣(国連平和維持活動)。 2004年8月 第9師団がイラク派遣(イラク特措法に基づく)。 2006年5月 大湊基地でミサイル艇誤射事件。 6月 航空自衛隊車力分屯基地に米軍Xバンド・レーダー・システムを配備。 2009年10月 大湊基地の護衛艦「はまぎり」がアフリカ・ソマリア沖派遣(海賊対処法)。 2010年2月 第9師団、第2航空群がそれぞれジブチ(ソマリア沖)派遣 (海賊対処法)。 2010年8月 第9師団がハイチ派遣(国際緊急援助隊)。
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軍事史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:21 UTC 版)
アメリカ合衆国の南北戦争において用いられた装甲艦の「モニター」は、もっとも初期の半潜水艇であると考えられており、乾舷が非常に低く推進機関と燃料と乗員設備の全てを水面下に備えていた。小さな操舵席と円筒形の砲塔と煙突だけが甲板上に突き出していた。しかし、バラスト水を注排水することによって深さを調節することはできなかったため、モニターは真の半潜水艇とはいえない。 スピュイテン・デュイヴィル(USS Spuyten Duyvil)は、タンクに注水して潜水することで低い外形をもつ外から見えづらい攻撃艦となり、モニターと同じように指向・伸展可能で再装填できる外装水雷を装備するなど多くの革新的な特徴を持った兵器システムとして、真の半潜水艇であった。 第二次世界大戦において、イギリスはフロッグマンを輸送するための半潜水艇としてウェルフレイター(Welfreighter)を開発・設計した。大日本帝国陸軍も五式半潜攻撃艇を開発しているが、実戦には参加していない。 水面上に露出する断面積が小さいことは、艦の安定性向上に有効である。また、潜水艦は艦首で波を作らないので、水面下で活動するためには潜水艦が非常に効率的であると考えられた。この考えに基づき、2つの潜水艦のような水面下の構造物と、上部構造物を支える流線型のパイロンで構成された船が提案され、試作が行われた。半没水型双胴船と呼ばれるこの船は、荒れた海で船のサイズで規定される限界までの高い効率と安定した運用を可能にする。英語ではSmall Waterplane Area Twin Hullの略でSWATHと呼ばれる。 ロッキードはシー・シャドウという多くの点で上述のSWATHに似た船を設計し建造した。ただし、パイロンの上に上部構造物を載せるのではなく、船体と上部構造物は連続的な構成になっており、側面を傾斜させることでレーダーに映りにくいステルス構造となっている。
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軍事史
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軍事史では、大量破壊兵器と無差別大量虐殺を特徴とする戦争の時代が、「現代」と見なされている。この場合、第二次世界大戦以後が「現代」と見なされている。 普仏戦争や日露戦争や第一次世界大戦など、第二次世界大戦前の「近代」の戦争は、戦車や戦艦などの最新鋭の兵器が使用されたが、殺傷する/殺傷される対象は戦闘員(=軍人)に限定されていた。 ところが、第二次世界大戦では、殺傷する/殺傷される対象は非戦闘員にまで拡大され、非戦闘員を狙った無差別爆撃や、大量破壊兵器の一種である核兵器の使用も実施された。そして、第二次世界大戦以後は、核兵器のような大量破壊兵器が「戦争抑止力」や「開戦の口実」として国際社会を動かしている。 関連書籍 『岩波小事典 現代の戦争』前田哲男著
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軍事史
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トゥキディデス (Thucydides, 460 BC - 395 BC) - ギリシアの歴史家。ペロポネソス戦争を実証的な立場から著した『戦史』の著者 クセノポン (Xenophon, 430 BC - 355 BC) - ギリシアの軍人・作家。トゥキディデスから引き継いで『ギリシア史』を完成 ハンス・デルブリュック (Hans Delbrück, 1848 - 1929) - ドイツの軍事史研究家であり、『政治史の枠組における戦争術の歴史』 コーネリアス・ライアン (Cornelius Ryan, 1920 - 1974) - アメリカ人ジャーナリスト。第二次世界大戦の戦史に関する著作がある ジョン・キーガン (John Keegan, 1934 - ) - イギリスの軍事史家 ヤヌツ・ピカルキヴィッツ (Janusz Piekalkiewicz,1925 - 1988) - ポーランド生まれの軍事史家。ドイツ語で著作。第二次世界大戦と諜報戦に関する著作が多い。「クルスク大戦車戦」が加登川幸太郎により、日本語版へ翻訳されている。 パウル・カレル (Paul Carell, 1911 - 1997) - ドイツの軍人・軍事史家。「バルバロッサ作戦」の著作で有名な研究者 マイケル・ハワード(Michael Eliot Howard, 1922 -)- イギリスの軍事史家 伊藤正徳(1889年-1962年)日本の作家・軍事史家。「連合艦隊の最後」、「帝国陸軍の最後」などの著者。 平間洋一 戸高一成 半藤一利
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