せんじゅう‐みんぞく〔センヂユウ‐〕【先住民族】
読み方:せんじゅうみんぞく
「先住民」に同じ。
先住民
(先住民族 から転送)
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先住民(せんじゅうみん)とは、ある土地に元来住みついている人間集団のことである[1]。とくに、外来の侵略者や植民者から区別して呼ぶ場合に用いられる[1]。原住民とも。歴史的には、とくに大航海時代(「地理上の発見」)以降、主としてヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオセアニアの地域で初めて接触した諸民族を指すことが多い[1]。
- ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- ^ “知ってなるほど 明治・大正・昭和初期の生活と文化 | 台湾原住民族 ~日本の調査にみるその文化~”. www.jacar.go.jp. 2022年1月18日閲覧。
- ^ International Day of the World's Indigenous People 国際連合(英語)
- ^ “インドの孤立部族、米国人宣教師を殺害か 北センチネル島”. AFP (2018年11月21日). 2018年11月22日閲覧。
- ^ “アマゾンの孤立部族を保護へ、ブラジル政府”. ナショナル ジオグラフィック (2018年5月27日). 2018年11月22日閲覧。
先住民族
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「フランス領ルイジアナ」の記事における「先住民族」の解説
人口統計学者のラッセル・ソーントンによれば、1500年頃の北アメリカの先住民族人口は約700万人であった。16世紀以降、この人口が急減した。主にヨーロッパから持ち込まれた疫病によるものであり、インディアンは免疫力が無かった。17世紀の末に、ローワー・ルイジアナに住むインディアンは10万人から20万人程度に過ぎなかったと推測される。公的には禁じられていたものの、18世紀の初めから少数のインディアンが奴隷として雇われていた。これらの奴隷は敵対種族との戦闘で捕らえられたものであった。フランス人植民地人に売られたインディアンは西インド諸島のサン=ドマングや時にはカナダに送られた者もいた。ルイジアナの農園経営者はアフリカ人の奴隷を使うことを好み、インディアンは従僕として使われることがあった。
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先住民族(ネイティヴ)
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「ポストガール」の記事における「先住民族(ネイティヴ)」の解説
舞台となる土地に元々いた民族。日本人風の名前が特徴。今はそれほどではないものの、昔は人間扱いされないほどの酷い差別を受けていた。
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先住民族
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「デスヴァレー国立公園」の記事における「先住民族」の解説
現在のデスバレー国立公園地域には、紀元前8000年頃からアメリカ先住民が居住していたことが知られており、時代ごとに大きく4つの民族に分けられる。この地域に最初に人類が定住したのは紀元前7000年頃と推測されており、狩猟採集民族であるネヴァレス・スプリング族が居住していた。当時この地域には、マンリー湖やパナミント湖などの巨大な湖が存在しており、デスバレーやパナミント渓谷は湖面の下に水没していた。当時の気候は比較的温暖であり、狩猟の対象となる動物が数多く生息していた。紀元前3000年頃になると、ネヴァレス・スプリング族に代わってメスキート・フラット族がこの地域に定住を始めた。メスキート・フラット族の文化は、ネヴァレス・スプリング族の文化とよく似ていることが知られている。西暦元年頃になると、高温で乾燥した砂漠へと変化したこの地域に、サラトガ・スプリング族が移住してきた。サラトガ・スプリング族は集団での狩猟技術に優れた民族であり、手工芸に長けていた。デスバレーの谷底には、サラトガ・スプリング族によって作られたと推測される、奇妙な形に配された石が残されている。 1000年頃になると、遊牧民族のティンビシャ(Timbisha)がこの地域に移住してきた。ティンビシャは、以前は「ショショーニ族」(Shoshoni) と呼ばれており、「パナミント」(Panamint) や「コソ」(Koso) という呼び名でも知られている。この地域に移住してきたティンビシャは、狩猟や、豆の一種であるメスキート、松の一種であるピニヨン・パインの実を採集して定住を始めた。この地域では谷底と尾根の気温に大きな差があるため、特に西部の地域において、ティンビシャは季節ごとに高地と低地の移動を繰り返した。冬場は谷底の水源近くに居を構え、気候が温暖になる春から夏にかけて、植物の成長とともに高地へと移動した。そして11月頃になると、尾根の付近で松の実を採集し、谷底へと戻るという生活を営んでいた。かつてはスコッティズ・キャッスルの近くにマアフヌという村落が存在しており、そこに住むティンビシャは、多数の籠を作っていた(現在でもスコッティズ・キャッスルでは、マアフヌのティンビシャが作った籠を見ることができる)。ティンビシャの家系の一部は、現在もデスバレー国立公園内にあるファーニス・クリークの村落に居住している(ティンビシャという名前は、この地域の元々の名前である)。
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先住民族
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「ウィンチェスター (バージニア州)」の記事における「先住民族」の解説
西暦1000年頃、初期先住民族として、カカポン、オペクォン、ショーニーおよびタスカローラの各種族がいた。中世までに、大アパラチア渓谷の南北の自然の水路があり、カトーバ、チェロキー、デラウェア、イロコイおよびショーニーの各種族がこの渓谷の平原を狩猟場にしてうろついていたので、ウィンチェスターは部族間戦争が起こりそうな場所だった。最初にこの渓谷を実質支配したのはサスケハノック族だったが、その後1600年頃にイロコイ族に襲われ追い出された。イロコイ族は1694年頃から1700年代半ばまで、ショーニー族にショーニー・スプリングスで集落を築いたり一時的宿営地を造ることを許したとされている。これは初期クエーカー教徒と入植者が到着した時代と重なっている。歴史に名高いショーニー族酋長コーンズトークの父はここに居宅を持っていた。
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先住民族
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元々、コロラド準州を構成する土地には主に東部平原のシャイアン族とアラパホ族、およびロッキー山脈のユト族が住んでいた。
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先住民族
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ボリビアの先住民は、2つの民族集団に分かれる。アンデス山脈高地とその谷の地域に住むアンデス山系と、東ボリビア(グランチャコ)の暖かい地域に住む東方リャノ地方の民族文化をもつ集団の2つである。 アンデス山系民族アイマラ人:ラパス県、オルロ県、ポトシ県の高地、あるいは熱帯地方の平地に近い小さな地域に住んでいる。 ケチュア人:ほとんどはコチャバンバ県とチュキサカ県の谷に住んでいるが、ポトシ県やオルロ県などの山地にも住む。ケチュア族は、"Tarabucos"、"Ucumaris"、"Chalchas"、"Yralipes"、"Tirinas"などに分かれている。 東方のリャノ民族グアラニー族: "Guarayos"、"Pausernas"、"Sirionos"、"Chiriguanos"、"Wichí"(en:Wichí)、"Chulipis"、"Tapietes"、トバ族(英語版)(Tobas)、"Yuquis"によって形成される。 Tacanas(言語は基本的にはタカナ語族(英語版)): タカナ族(Tacanas)、"Lecos"、エセエハ族(英語版)(Ese Ejas)、チメイン族 (Tsimané) 、アラオナ族(Araonas)、レイェサノ族(Reyesanos)、"Maropas"によって形成される。 Panos: "Chacobos"、"Caripunas"、"Sinabos"、"Capuibos"、"Guacanaguas"によって形成される。 Aruacos(言語は基本的にはアラワク語族): アポリスタ族(Apolistas)、バウレ族(Baures)、モヘーニョス(英語版)(Moxos, Mojeños)、チャネ族(英語版)(Chané)、モビマ族(Movimas)、"Cayabayas"、"Carabecas"、"Paiconecas"、"Paucanacas"によって形成される。 Chapacuras: "Itenez"、"More"、"Chapacuras"、"Sansinonianos"、"Canichanas"、イトナマ族(Itonamas)、"Yuracares"、"Guatoses"、"Chiquitos"によって形成される。 Botocudos: ボロロ族(英語版)(Bororos)、"Otuquis"によって形成される。 Zamucos: アヨレオ族(英語版)(Ayoreos)によって形成される。
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先住民族
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1600年以前、アイヌ人が居住していたのは確実である。なお、アイヌ人の居住以前に「オホーツク系」とされている民族が先住していたとされている。チャシが建設されていた。さらに、「オホーツク系」とされている民族の前には、縄文文化を持った縄文人が先史時代から居住した。なお「オホーツク系」とされている民族が暮らしていた時代は、考古学上、比較的短期間である。
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「先住民族」の例文・使い方・用例・文例
- アボリジニはオーストラリアの先住民族のひとつだ
- 征服者たちは先住民族を支配下に置いた
- 植民地開拓者は、先住民族を彼ら本来の領土から強制的に移動させた。
- 先住民族でないこと、あるいは先住民族で構成されていないさま
- 米国の人類学者で、アメリカ先住民族の言語の系統的な分類を初めた試みた(1837年−1899年)
- 土蜘蛛という先住民族
- 多くの研究者によると,チリの先住民族の祖先は氷河期にアジアから移動してきたそうです。
- 先住民族のアイマラ族の人々は,彼らの大地の女神に願いごとをかなえてほしいとお願いするときにお供えを燃やします。
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