西インド諸島とは? わかりやすく解説

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にしインド‐しょとう〔‐シヨタウ〕【西インド諸島】


西インド諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 03:34 UTC 版)

西インド諸島(にしインドしょとう、せいインドしょとう[1][2]英語: West Indiesスペイン語: Indias Occidentalesフランス語: Antilles (Indes occidentales)オランダ語: West-Indië)は、南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海域にある群島である。アメリカ合衆国フロリダ半島南端、および、メキシコユカタン半島東端から、ベネズエラの北西部沿岸にかけて、少なくとも7000の島、小島、岩礁、珊瑚礁がカーブを描くようにして連なる。これらの島々が、大西洋と、メキシコ湾カリブ海の境界線を形成している。




  1. ^ 広辞苑 第四版 岩波書店 1991
  2. ^ 角川外来語辞典 角川書店 1967


「西インド諸島」の続きの解説一覧

西インド諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 00:50 UTC 版)

デヴィッド・ファラガット」の記事における「西インド諸島」の解説

1822年ファラガット海軍大尉昇進した。西インド諸島の海賊に対する作戦実行中だった。カリブ海海賊と戦うために艤装された艦船の「モスキート艦隊」で任務に就いた。昔の艦長であるポーター准将艦隊指揮を執ることを知ると、ポーターの弟であるジョン・ポーター指揮する小艦の1つグレイハウンド乗艦求め認められた1823年2月14日艦隊は西インド諸島に向けて出帆しその後の6か月で、海賊カリブ海から追い出し様々な島の隠れ家から駆逐した。この作戦ではエクスペリメント副艦長になった1824年USSフェレット指揮任され初め指揮するとなった

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西インド諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 00:58 UTC 版)

カレー」の記事における「西インド諸島」の解説

カリー・ゴート(ジャマイカ):カレー粉下味をつけたヤギ肉煮込んだ料理

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西インド諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 04:49 UTC 版)

チャールズ・ノウルズ」の記事における「西インド諸島」の解説

技師として評価獲得しイギリス戻ったノウルズに、ウェストミンスター橋設計書作成についての助言監督役割与えられたこのためノウルズは、パリポンヌフ研究をしに行った1732年には40門艦サザンプトン英語版)の中佐昇進したが、これは実態伴わない階級であり、ダイヤモンド英語版)の指揮官となるまで、艦長副官として仕事をしたのは1737年2月4日になってからであった1739年にはエドワード・ヴァーノン率い西インド艦隊援軍に向かうよう命令受けたジェンキンスの耳の戦争進展していたからである。ノウルズポートロイヤルヴァーノン合流し、西インド諸島へ向か途中で2隻のスペイン船を拿捕した。うち1隻は12スペインドル(かつてのスペイン銀貨)と兵士6000人分衣類積んだレジスターシップであったポルトベロヴァーノン艦隊進めている時は同行できなかったが、11月27日になってノウルズポルトベロ到着しその5後にポルトベロの戦いイギリス勝利したヴァーノンノウルズに、スペインの砦を破壊するよう命令した。砦は頑丈にできており破壊には結局3週間122もの火薬を必要とした。砦を破壊しつくしたのち、イギリス撤退したノウルズ陸上作戦での完璧な指揮は、ヴァーノン強い印象与えた次にヴァーノンは、ノウルズカルタヘナ沖を航海してスペイン軍監視し、彼らへの監視と、敵軍への物資補給禁じるよう命じたノウルズはそこで火船サクセス英語版)に移り、チャグレスの港への攻め口調べるように部下命令した。この任務終え攻撃計画まとめたのち、臼砲艦火船他の小舟指揮して、チャグレス川の河口にある、サンロレンソ砦を徹底的に破壊する任務についた。チャグレスの町と城とは1740年3月24日降伏しノウルズは城の責任者となったヴァーノンまた、砦に集めてあるスペイン輸送予定物品移動させ、何隻かの私掠船沈めるように言ったノウルズは城を取り壊す仕事に取掛かった稜堡の下で地雷いくつか爆発させ、居住部分焼いた。これを終えたのち、3月末ヴァーノン艦隊退却しポルトベロ経由ポートロイヤル戻った

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西インド諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/02 05:49 UTC 版)

ジョシュア・ロウリー」の記事における「西インド諸島」の解説

詳細は「イギリス軍ドミニカ遠征を参照 1760年ロウリーは、准将ジェームズ・ダグラス英語版)と西インド諸島に向かった、そこでロウリードミニカ遠征軍に合流した。この遠征ではアンドリュー・ロロ英語版将軍が、1日戦っただけで島全体征服した1760年6月7日のことだった。同じ年11月ロウリー3等艦24門艦のシュパーブ移ったその年東インド会社の船の護衛加わりその後2隻のフリゲート艦HMSゴスポート英語版)、ダネイ英語版)を連れてイギリス戻った。このゴスポート艦長若き日ジョン・ジャーヴィスだった。ロウリーその後インドと西インド諸島の交易護衛のため西へ向かいフランス軍准将シャルルアンリ=ルイ・ダルサック・ド・テルネ(英語版)から船団守り通した。 しかし彼の指揮は、東インド会社からも、ロンドン西から大いほめられインド商人たちは、彼に素敵な銀のイパーン(英語版)と皿を贈呈する。 — 数年ドミニカ過ごしたのち、1776年ロウリーモナーク乗艦し、1778年始めにジブラルタルへの船団護衛した

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西インド諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 15:37 UTC 版)

デンマークによるアメリカ大陸の植民地化」の記事における「西インド諸島」の解説

デンマーク=ノルウェー王国探検者(主にノルウェー人)、科学者商人(主にデンマーク人)および開拓者が、17世紀と18世紀デンマーク領西インド諸島今日アメリカ領ヴァージン諸島)を領有した1672年ヴァージン諸島セント・トーマス島1683年セント・ジョン島での植民地化を始めた。ただし、セント・ジョン島の場合は1718年までイギリス領ヴァージン諸島形成していたイギリスとの領有論争があった。また1733年にはフランスからセント・クロイ島買収した18世紀カリブ海ヴァージン諸島2つ領土分かれていた。1つイギリス領、もう1つデンマーク=ノルウェー領だった。デンマーク=ノルウェー領の諸島1755年まで「デンマーク西インドおよびギニア会社」が運営していたが、その後デンマーク=ノルウェー王室買い上げた。 18世紀と19世紀初期奴隷労働使ったサトウキビ栽培諸島経済振興させた。デンマーク製造者アフリカ奴隷購入し、それを西インド諸島で売却し砂糖デンマーク送られるという三角貿易形態採られたが、ナポレオン戦争敗北以降海上貿易不振となった1803年奴隷貿易廃止されたが、奴隷制自体自由なイギリス領諸島への大量の奴隷逃亡奴隷抗議続いた後、1848年になって廃止された。デンマークヴァージン諸島海賊基地としても使われた。この諸島ではイギリスオランダ開拓者達が奴隷使わない大きな集団成長した彼等言語支配的となったので、デンマーク政府1839年奴隷の子供が英語による学校入学することを義務付けた。1840年代から1850年代その人口はピーク達したが、その後経済不況のために出国する者が増え人口減少した。この傾向アメリカ合衆国がこの諸島買収した後まで続いた1880年人口34,000人だった。 1868年島民アメリカ合衆国にその植民地売却することを投票決めたが、その提案拒絶された。1902年にはデンマークアメリカ合衆国買収提案拒否した1917年アメリカ合衆国奴隷制廃止以降経済傾いていたヴァージン諸島パナマ運河に対するドイツ帝国からの防衛拠点とする為に買収した

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