西インド艦隊での衛生改革(1781年 – 1782年)
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「ギルバート・ブレーン (初代準男爵)」の記事における「西インド艦隊での衛生改革(1781年 – 1782年)」の解説
18世紀のイギリス海軍は艦船上の衛生管理が悪く、熱病や感染症による死亡率が高かったほか、壊血病がはびこっており、軍事行動が壊血病の流行という理由だけで失敗することも多かった。このような状況において、ロドニーは従軍医師に艦船ごとの疾病率と死亡率を記録するよう命じ、ブレーンはこれらの記録を疾病分類学(英語版)に基づく分析を行い、統計の手法も取り入れた上で1781年10月13日に海軍本部に覚書を提出、改革を提言した。この覚書によれば、西インド艦隊では1年間で7人に1人(約14%)が病死したといい、食事にワインや新鮮な果物を提供することで壊血病を防ぎ、感染症対策としては衛生管理をより厳しく行うべきだとした。ブレーンの改革案は西インド艦隊で施行され、ブレーンが1782年7月16日に提出した覚書によれば1年間の死亡率が20人に1人(5%)に低下した。ロドニーも「艦隊が常に敵軍を攻撃できる状態にあるのは彼(ブレーン)の知識と手配による」と評し、「私の艦船であるフォーミダブルでは船員900人がいたが、6か月間1人も埋葬されなかった」ともしている。ほかの士官もブレーンの貢献を称え、海軍本部がブレーンに褒賞を与えるべきと訴えたため、ブレーンは西インド艦隊での貢献により年金を与えられた。 ブレーンはこれらの経験から「治療より予防を」の結論を出し、著作Observations on the Diseases Incident to Seamen(1785年初版、1790年第2版、1803年第3版)で「清潔と規律は健康の不可欠かつ基本な方策である」(cleanliness and discipline are the indispensable and fundamental means of health)と述べた。
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