西インド諸島およびメキシコ湾岸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:33 UTC 版)
「アメリカ独立戦争」の記事における「西インド諸島およびメキシコ湾岸」の解説
西インド諸島では多くの戦闘が行われ、特に小アンティル諸島では何度も支配者が入れ替わることがあった。1782年4月のセインツの海戦でイギリス海軍のロドニー提督がフランス海軍のド・グラス伯爵の艦隊を打ち破り、フランスとスペインの連合軍が目指していたジャマイカなどイギリス植民地奪取の望みを絶った。1782年5月8日、スペイン領ルイジアナ総督であったベルナルド・デ・ガルベス伯爵が、バハマのニュープロビデンス島にあったイギリス海軍基地を占領した。このような結果にも拘らず、フランスが占領したトバゴ島の小さな島を除いて、1783年の休戦後は西インド諸島での支配関係を開戦前の状態に戻すことで合意された。 メキシコ湾岸では、ガルベスが1779年にマンチャックの戦い、バトンルージュの戦いおよびナチェズの戦いでミシシッピ川沿いにあったイギリスの基地を占領した。ガルベスは続いて1780年にモービルを占領し、1781年にはペンサコーラのイギリス軍基地を降伏させた。この結果、スペインは1783年の休戦時に東フロリダと西フロリダを獲得できた。
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