西インド諸島でのヴィルヌーヴとは? わかりやすく解説

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西インド諸島でのヴィルヌーヴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 01:11 UTC 版)

トラファルガー戦役」の記事における「西インド諸島でのヴィルヌーヴ」の解説

ヴィルヌーヴ5月14日マルティニークフォール=ド=フランス到着し、それから2日間をかけてグラビーナ率いスペイン艦隊合流した。再補給の後、ヴィルヌーヴはこの地に腰を落ち着けてガントームの到着待った、ガントームがいまだにブレスト封鎖されているのをヴィルヌーヴ知らなかった当初は、カリブ海イギリス植民地に、命令のないまま大規模な攻撃仕掛けるのには乗り気でなかったが、ついにマルティニーク総督のルイ・トマ・ヴィラレー・ド・ジョワイユーズ(英語版)に説得されて、2週間もの間停泊して無為に過ごした後、ダイヤモンドロック(英語版)を支配下置いているイギリス駐屯隊を攻撃した。ダイヤモンドロックの小規模な駐屯隊は6月2日陥落した。この時にフリゲート艦ディドン(英語版)が命令携えてやって来た。命令には、ヴィルヌーヴはシャルル・レネ・マゴン・ド・メディーヌ(英語版指揮下の艦船がさらに2隻来援するのを待ちしかるのちに、西インド諸島イギリスの植民地一月かけて攻撃し攻略するようにとあった。またその後全軍ヨーロッパ引き上げさせ、ブレストでガントームと合流して侵攻部隊を守るようにとも記されていた。他に、ネルソンがガントームの偵察のためエジプト向かったともあったが、実際にその時ネルソン艦隊バルバドスまであと2日位置におり、6月4日にはバルバドス入港したヴィルヌーヴ部隊召集し、北のアンティグアへと艦隊推し進めた6月7日ヴィルヌーヴ軽装備で護送されていたイギリス商船団を見つけて、翌日その一部の船を拿捕した乗員の話から、ネルソンバルバドス到着していたのを知り、これに憤慨したヴィルヌーヴ作戦の遂行をやめて、もう一度北東をめざし、ヨーロッパに戻ることを決めた艦隊出発したのは6月11日で、このことに関して艦隊乗艦していた陸軍士官のオノレ・シャルル・レイユ(英語版)はこう書いている。 我々は7000人から8000人もの部隊連れて海を制覇していたのに、たった一つの島すら攻撃できなかった。

※この「西インド諸島でのヴィルヌーヴ」の解説は、「トラファルガー戦役」の解説の一部です。
「西インド諸島でのヴィルヌーヴ」を含む「トラファルガー戦役」の記事については、「トラファルガー戦役」の概要を参照ください。

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