西インド諸島でのヴィルヌーヴ
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「トラファルガー戦役」の記事における「西インド諸島でのヴィルヌーヴ」の解説
ヴィルヌーヴは5月14日にマルティニークのフォール=ド=フランスに到着し、それから2日間をかけてグラビーナ率いるスペイン艦隊と合流した。再補給の後、ヴィルヌーヴはこの地に腰を落ち着けてガントームの到着を待った、ガントームがいまだにブレストに封鎖されているのをヴィルヌーヴは知らなかった。当初は、カリブ海のイギリス植民地に、命令のないまま大規模な攻撃を仕掛けるのには乗り気でなかったが、ついにマルティニーク総督のルイ・トマ・ヴィラレー・ド・ジョワイユーズ(英語版)に説得されて、2週間もの間停泊して無為に過ごした後、ダイヤモンドロック(英語版)を支配下に置いているイギリスの駐屯隊を攻撃した。ダイヤモンドロックの小規模な駐屯隊は6月2日に陥落した。この時にフリゲート艦ディドン(英語版)が命令を携えてやって来た。命令には、ヴィルヌーヴはシャルル・レネ・マゴン・ド・メディーヌ(英語版)指揮下の艦船がさらに2隻来援するのを待ち、しかるのちに、西インド諸島のイギリスの植民地を一月かけて攻撃し、攻略するようにとあった。またその後、全軍をヨーロッパに引き上げさせ、ブレストでガントームと合流して侵攻部隊を守るようにとも記されていた。他に、ネルソンがガントームの偵察のためエジプトに向かったともあったが、実際にはその時ネルソンの艦隊はバルバドスまであと2日の位置におり、6月4日にはバルバドスに入港した。ヴィルヌーヴは部隊を召集し、北のアンティグアへと艦隊を推し進めた。6月7日にヴィルヌーヴは軽装備で護送されていたイギリスの商船団を見つけて、翌日その一部の船を拿捕した。乗員の話から、ネルソンがバルバドスに到着していたのを知り、これに憤慨したヴィルヌーヴは作戦の遂行をやめて、もう一度北東をめざし、ヨーロッパに戻ることを決めた。艦隊が出発したのは6月11日で、このことに関して、艦隊に乗艦していた陸軍士官のオノレ・シャルル・レイユ(英語版)はこう書いている。 我々は7000人から8000人もの部隊を連れて海を制覇していたのに、たった一つの島すら攻撃できなかった。
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