出奔とは? わかりやすく解説

しゅっ‐ぽん【出奔】

読み方:しゅっぽん

[名](スル)

逃げだして行方をくらますこと。逐電(ちくでん)。「親に逆らって郷里を—する」

江戸時代徒士(かち)以上の武士の失踪(しっそう)をいう。

「出奔」に似た言葉

出奔

読み方:シュッポン(shuppon)

(1)逃げて跡をくらますこと。逐電逃亡
(2)江戸時代徒士上の武士失跡すること。


出奔

作者伊藤野枝

収載図書定本 伊藤野枝全集 第1巻 創作
出版社学芸書林
刊行年月2000.3


出奔

作者宇江佐真理

収載図書余寒
出版社実業之日本社
刊行年月2000.9

収載図書余寒
出版社文藝春秋
刊行年月2003.9
シリーズ名文春文庫


欠落

(出奔 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/26 02:08 UTC 版)

欠落(かけおち・闕落)とは、戦乱・重税・犯罪などを理由に領民が無断で住所から姿を消して行方不明の状態になること。江戸時代には走り(はしり)などとも称された[1]武士の場合には出奔(しゅっぽん)・立退(たちのき)などと呼んで区別したが、内容的には全く同一である。


注釈

  1. ^ 中世以後における類似の現象として「逃散」があげられるが、逃散の場合は領主側との訴訟・交渉や宗教的要素と組み合わされ、かつ必ずしも実際の逃亡を伴わない(自宅に籠って抵抗する事例もある)など、その性格は大きく異なるものである。
  2. ^ こうした動きは「欠落」の語が誕生する以前の南北朝時代から見られ、松浦党一揆契状では、年貢未進や負物のない百姓の受け入れは認めること、下人は元の主人が要求すれば返却することが定められている。
  3. ^ なお、欠落者の妻子が届出・捜索に加わる事は封建的な家制度において敬う対象とされた夫や父親の罪を糾弾する不道徳な行為と考えられて認められず、また欠落者に犯罪の事実があれば妻子が縁坐する形で代わりに拘束された。
  4. ^ 文政6年の幕府評定所の決定では、欠落から60年を経た場合に永尋対象者は死亡扱いとされて人別帳から除かれた。
  5. ^ 欠落者の妻子には旧離の申請資格は無かったが、実務的には帳外が受理された時点で旧離と同様の扱いを受けた。
  6. ^ 欠落者の妻は帳外とされた後に10ヶ月の猶予期間を経て再婚する事が許された。
  7. ^ 本来であれば、没収した財産を清算する過程で債権者に支払われる性質(ただし、これも没収した領主側の意向により、そのまま債務の破棄を宣告して領主が没収した財産の全てを獲得する事も可能であった)のものであった。

出典

  1. ^ a b c d 黒田 2003, p. [要ページ番号].


「欠落」の続きの解説一覧

出奔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 01:37 UTC 版)

水野勝成」の記事における「出奔」の解説

天正12年1584年)の蟹江城合戦では家康旗本衆と行動共にする。勝成は伊賀者とともに真っ先乗り込み九鬼船二艘を乗っ取る。一益の子滝川三九郎一騎打ち。勝成は三入れるも二ヶ所入れられ双方傷を負い三九郎大手門逃げ込む。このとき服部保英(服部正成の甥)は勝成に属して武功をあげた。家康・信雄が羽柴秀吉伊勢国桑名睨み合う陣中において、父・忠重の部下を自らの不行状報告したとして斬り殺したことから、忠重は激怒し勝成を奉公構事実上他家への仕官禁止)として勘当したその後しばらく家康によってかくまわれ須賀口(清洲)の寺に引きこもっていたが、忠重の追及があり逃れた以後美濃尾張縁者の下を転々とし、遂に京都にいく。 京都では従者連れず闊歩し、南禅寺山門寝泊まりし、町に出て多く無頼の徒交わり清水では大いなる喧嘩始め多くの人を殺害する事件起こした天正13年1585年3月27日織田信雄肝煎り秀吉陣営入った勝成は、紀州雑賀攻め参加した同年四国征伐第2次四国征伐が行われることになると、仙石秀久家中としてこれに加わった9月1日、勝成は豊臣秀吉から摂津国豊島郡神田728石の知行授かっているが、間もなく知行捨てて中国地方逃亡し「六左衛門」と名乗るようになった秀吉から刺客放たれたという。勝成自身はこの時期行動記録残しておらず、詳細ななりゆき不明である。

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出奔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 07:47 UTC 版)

伊達成実」の記事における「出奔」の解説

ところがその後伏見居た成実突如として伊達家出奔し角田城政宗の命を受けた岩出山城留守居役屋代景頼によって接収され成実家臣白根沢重綱らの内報受けた景頼が角田城急襲したともいわれる)、この際抵抗した成実家臣羽田実景30人余が討死し、成実家臣団解体された。なお、成実妻子角田城接収にあたり、景頼によって殺害されたというのは全くの誤りである。上記通り成実正室亘理御前既に他界しており、この時点で他に妻子存在したことを示す史料存在しない。 ただ、この事件について不明な点があまりにも多い。まず出奔の日付自体文禄4年1595年)秋から慶長3年1598年)までの諸説があり、出奔先も高野山相模国糟谷(現在の神奈川県伊勢原市)の両説があり、出奔の理由についても、家中での席次石川氏に次ぐ第二位とされた上に禄高少なくされたことへの不満が原因であるとする説、秀次事件への政宗連座避けるために嫌疑内容を自らが被って隠遁したとする説などがある。また軍記物においては秘密工作実行のために政宗の命を受けて出奔したと描くようなものもある(『蒲生軍記』)。 慶長5年1600年)、関ヶ原の戦いが起こると、成実上杉景勝から禄高5万石で家臣となるよう誘われたが、「本来ならば家臣筋の家に仕えるつもりはない」としてこれを拒絶した。また出奔中に大久保忠隣を介して徳川家康からも誘い受けたが、政宗奉公構により破談になったという。同年秋、伊達政景片倉景綱らの説得によって帰参し、7月白石城攻めにも石川昭光の軍に属して参加したといわれる

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出奔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 14:38 UTC 版)

鬼庭綱元」の記事における「出奔」の解説

秀吉綱元気に入り直臣として召し出そうとしているとの噂を耳にした政宗は、次第綱元を疑うようになり、ついに文禄4年1595年)、綱元政宗の命により良綱に家督を譲ることを迫られ隠居追い込まれた。この時、綱元与えられ隠居料はわずか100石に過ぎず加えて隠居料以外の収入得た場合には良綱が相続した茂庭氏本領5,000石をも没収するという条件付けられたため、憤激した綱元伊達家から出奔した。 この時、本多正信を介して徳川家康から誘い受けたものの、政宗奉公構により破談となる。綱元境遇にいたく同情した家康は、中白鳥毛槍虎皮の鞍覆・紫縮緬の手綱を贈り、また当座資金として関八州伝馬10疋の朱印状及び永楽銭200貫文与えた中白鳥毛槍現存し昭和48年1973年7月1日松山町から文化財指定受けている。 慶長2年1597年)、赦免され伊達家復帰する

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出奔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 17:47 UTC 版)

趙衰」の記事における「出奔」の解説

献公公子のうち、占いで吉と出た重耳(後の文公)に仕えた紀元前653年驪姫の乱策謀避けて出奔した重耳従いその後19年わたって諸国放浪した。狄での亡命生活中に叔隗(重耳の妾となった季隗の姉)を妻とした。叔隗は後の趙の礎を築く趙盾生んだ紀元前645年、晋で重耳の弟である恵公即位した恵公声名のある重耳帰国恐れて刺客送ってきたため、重耳とともに斉へ逃れた

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出奔

出典:『Wiktionary』 (2021/08/16 06:43 UTC 版)

名詞

 しゅっぽん

  1. 逃げ出して行方くらますこと。
  2. 江戸時代において、徒士 (wp)以上にある武士脱藩すること。

発音(?)

東京アクセント

しゅ↗っぽん

類義語

語義1:

参照

動詞

出奔

  1. 逃げ出して行方をくらます

活用

サ行変格活用
出奔-する

類義語


「出奔」の例文・使い方・用例・文例

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