かいけつ‐びょう〔クワイケツビヤウ〕【壊血病】
壊血病
壊血病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/15 03:43 UTC 版)
壊血病(かいけつびょう、英: scurvy、独: Skorbut)は、出血性の障害が体内の各器官で生じる病気でビタミンC欠乏状態が数週間から数カ月続くと症状が出現する[1]。成人と小児では症状が異なる。
注釈
- ^ 前述のように「ビタミンCを含まないものだけを数十日以上摂取し続ける」という状況で壊血病になるが、これが古代では発生しにくく(飢饉などではそうなる前に餓死する)、船舶においても古代から中世にかけては沿岸航海が基本であり、上陸の度に新鮮な食材を入手できるため、極度なビタミン不足に陥る状況は稀であった
- ^ 詳しくは「近世イギリス海軍の食生活」も参照なお便宜上「イギリス」とあるが、当時の海軍は大体このような食事であった。
- ^ 例としてインド航路を開発したヴァスコ・ダ・ガマの場合、インドとの交易に関わっていたイスラム商人の力を借りずに直接インドと交易するため、アフリカ大陸の沿岸を航海するにあたり、地理的にイスラムの影響が及ぶスワヒリ文明の土地に寄港せずインドを目指した。結果、1498年に140人の乗員で出発した一行は、翌年に帰還した際には半数以上が壊血病で死亡していた
- ^ キャベツを普通にゆでた場合、鉄鍋は元の量の1/5のビタミンCが失われるが銅鍋は2/3が失われる。
- ^ なお、乾物の例として残存ビタミンCが比較的多い煎茶は100g中に260mgのビタミンCがあるが、これはあくまで「乾燥時」のデータで、緑茶として飲む場合はこれよりはるかに少量の茶葉から出たビタミンCの一部を取ることになるので、実際の摂取は湯のみ1杯で6mg程度である
- ^ 「ナツメグ、ニンニク、芥子の種、乾燥大根、ゴム没薬」を混ぜた物を「タマリンドで味付けした麦湯」で飲む
- ^ なお、そのほかの組は次点が「リンゴ酒(柑橘類に比べると少量だがビタミンCがあった)」組で「歯肉の腐敗は残るが倦怠感と衰弱が少しよくなった」と悪化を食い止める程度の効能を認めている。あとは「硫酸にアルコールを混ぜた液」組がうがいにより口内が綺麗になったのを除くと効果が無かった。
- ^ ロブの場合は100mlにつき、作り立て時点で240mgで1カ月後には60mg(なお、レモンの生の果汁は100mlで50ないし80mgだが、ロブはこれを1/10程度に煮詰めてあるので元の果汁全部のビタミンCは500mgぐらいだった。)。スグリの瓶詰は原料のスグリが果汁100mlにつきビタミンC50ないし65mgだが、1か月後にはほぼ0に低下していた。
- ^ 前人未到の地でも食べられるものを見極められるように博物学者を連れて行った。
- ^ 塩漬け肉をゆでた際の油、壊血病と直接関係ないが銅鍋でよく茹でてあったため酢酸銅が溶けて栄養の吸収を悪くしていた。
- ^ 発酵で腐敗防止ができることから体が腐っていくような壊血病にも発酵する物が有効ではないかと考えられた、準備しやすいので海軍では期待していた。
- ^ ビタミンCが少しある。
- ^ 海軍とベルリンのシュトルヒ男爵が推していた食品で「時々スプーン1杯を水に溶かして飲むと予防と治療に効く」と男爵は言っていた
- ^ ランの仲間の根を入れた飲み物
- ^ 肉と野菜を塩味で煮詰めた膠のような塊
- ^ ただし、壊血病以外の死者は多数出ており、特に終盤バタヴィア港(現在のインドネシアのジャカルタ)でオーストラリアにつく前に起きていた座礁事故の本格修理に2カ月半もかかった際に、クックを含む73人がマラリアと赤痢にかかり「働けるものは士官も入れて20人ほど(クックの日記より)」という悲惨な状況に成り、これ以前に別件で死んでいた3人を合わせて95人中32人が死んだ。
- ^ クックは他に「悪い油を取らない」のもいいのではないかと考えバター、チーズなどを廃止するようにも進言した。
- ^ 厳密に言うとバッテンのいう治療法は「麦芽汁に即席スープ、ザワークラウト、砂糖、サゴ、スグリなど」を加えると壊血病を抑えられるとしている。バッテン自身は知らなかったが、ザワークラウトにはある程度(100g中10mgほど)、スグリには大量(同50ないし65mg)にビタミンCが含まれていた。
- ^ 前述のように船医のペリーの証言に基づく。なお、現在の観点で言うと麦芽汁はビタミンBが豊富にあるので脚気予防には有効だがビタミンCはほとんどないということが分かっている
- ^ クック自身も「高価すぎて多量に積めず単独ではなく補助用に使う」と述べている
- ^ このため後の歴史学者ジェームズ・ワットは仮の話であってもクックが麦芽汁を保証したことは「重大な過失」と評価している
- ^ 個々の艦に乗り組む、雑多な経歴の船医より格上。名門貴族に生まれたブレーンは、名門のグラスゴー医科大学に学んだ当時のエリート医師であった。もともと船医ではなかったが、西インド諸島艦隊司令長官のジョージ・ロドニー提督から個人的に依頼されて、近代海軍の「艦隊軍医長」に相当する職務に就いたもの。
- ^ 当時ブレーンが調べたところ1年間で1万2019人中、壊血病以外も入れて病気で1518人死亡し、これは軍艦3隻分の乗員であった。
- ^ 「毎日レモン果汁を2/3オンスに砂糖2オンスを加えて酒にいれたものを飲ませ、壊血病が出た時はレモン果汁を増やす。」というもの、重要なところは「病気になったら取らせる」ではなく「毎日とらせて予防」させたところにある。
- ^ このため19世紀初頭になるとイギリス海軍でのレモン消費量が年間5万ガロン(約1万1000リットル)になった。保存法も果汁はオリーブ油を塗った樽に固く栓をして密閉し、レモンそのものは塩に漬け紙でくるんで軽い木枠に貯蔵したり、海水やオリーブ油に漬け、船の上で絞って酒に入れるようになった。これにより完全ではないが壊血病を食い止める程度のビタミンCを残せるようになった。
出典
- ^ a b c d e ビタミン欠乏症,依存症,および中毒 ビタミンC MSDマニュアル プロフェッショナル版
- ^ バウン(2014) p.54
- ^ バウン(2014) p.53
- ^ 壊血病 日本血栓止血学会
- ^ バウン(2014) p.44
- ^ 石神(2011) p.52
- ^ バウン(2014) p.49-50
- ^ 石神(2011) p.111-114
- ^ バウン(2014) p.54-55・90-91
- ^ バウン(2014) p.86-101
- ^ ヘレナ・アトレー 『柑橘類と文明 マフィアを生んだシチリアレモンから、ノーベル賞をとった壊血病薬まで』築地書館、2015年、101頁。ISBN 978-4-8067-1493-4。
- ^ バウン(2014) p.112-115・137-140
- ^ バウン(2014) p.158・163
- ^ バウン(2014) p.164-167
- ^ バウン(2014) p.173
- ^ バウン(2014) p.176-179
- ^ バウン(2014) p.189-193
- ^ バウン(2014) p.186-188
- ^ バウン(2014) p.197-200
- ^ バウン(2014) p.203-204・225-226
- ^ バウン(2014) p.204
- ^ 石神(2011) p.143
- ^ バウン(2014) p.54・240
- ^ アトレー(2015) p.103-104
- ^ 石神(2011) p.53-54
- ^ 『ビタミンCの真実』 コラム「ビタミンの真実-8:日本でも壊血病はなくならない」より。
壊血病
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「ONE PIECEの用語一覧」の記事における「壊血病」の解説
植物性の栄養の欠乏が原因で発生する病気。気絶を繰り返す、歯が抜け落ちる、古傷が開くなどの症状を起こす。一昔前までは航海につきものの絶望的な病気だった。ヨサクがこの病気にかかっていたが、治療法を知っていたナミのおかげで事なきを得た。
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壊血病
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「エンデバー (帆船)」の記事における「壊血病」の解説
航海中の壊血病を防ぐことにクックは大きな業績を残した。柑橘類が有効であることは、その以前から知られていたのだが、柑橘類は常に入手できず、壊血病の原因はよく判っていなかったので、長期間の航海におけるきわめて危険な病気であった。 おもにデビッド・マクブライド医師の意見によって、海軍省の傷病委員会はクックに抗壊血病薬と信じられていた多くの食料を支給した。それらには、麦汁、濃縮オレンジジュース、ザワークラウトなどが含まれていた。麦汁にはほとんどビタミンCが含まれないので効果が無いことは現在は明らかで、濃縮ジュースは加熱によってほとんどのビタミンCが破壊されていた。ザワークラウトはビタミンCの有効な供給源であり、船内の食料として新しく導入されたものであった。 当時の船員は新しいものに抵抗することで知られており、はじめは誰もザワークラウトを食べる者はなかった。クックは一計を案じ、ザワークラウトを自分と士官にだけ供させ、所望する船員には少しだけ残すというようにした。上官がザワークラウトを賞味しているのを見ると一週間もしないで、船員らからの要求が盛り上がりザワークラウトを皆に出さざるを得なくなった (1769年4月13日のクックの日誌より)。 クックの壊血病に対する対応は基本的には経験的なもので、状況が許す限り多くの種類の食品を船内に持ち込むことを奨励し、上陸の際には食用可能な植物を採集した。クックは分配可能なものはすべて平等に分けさせたので、全乗員は同じ物を食べた (1770年8月4日の日誌でクックはこの習慣を他の司令官にも勧めている)。 壊血病は船内で2件発生し、天文学者のチャールズ・グリーン(英語版)とタヒチ人のトゥパイアが治療を受けたのだが、バタヴィアに到着した際に、病に苦しむ多くの乗員を載せてこの港に到着する他の船とは異なり「病人リストにただの1人もなし」とクックは誇らしく記録することができた (1770年10月15日の日誌)。 ところで、このエンデバーによる第1回航海では壊血病による死者はなかったものの、出港時の乗員94名中36名がその他の病気や事故で帰港までに落命している。
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