先住民族の到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 19:09 UTC 版)
ミネソタにおける最古の人類の遺跡は、約9,000年前に遡るもので、1933年に発見された。この人類は、発見された場所がブラウンズバレーに近かったので「ブラウンズバレー人」と名付けられた。 この地域で持続的に生活したという最も初期の証拠はミラックス湖に近いブラドベリー・ブルックと呼ばれる場所から出てきたものであり、紀元前7500年頃のものとされている。その後、広範な交易のネットワークが地域に拡がった。「ミネソタ・ウーマン」と呼ばれる初期住人の人骨が、1931年にオッターテイル郡で発見された。放射性炭素による年代決定法によって、彼女はおよそ紀元前6600年にこの地域に来たとされた。彼女は以前はフロリダにのみ生息されるとされていた「ビジコン・パーバーサ」と呼ばれるカタツムリの一種の巻き貝を持っていた。 それから数百年後、ミネソタの気候はかなり暖かくなった。マンモスのような大型動物が絶滅し、先住民族は食生活を変えた。木の実、ベリー類、および山菜を集め、鹿、バイソンおよび鳥類といった比較的小さな獲物を狩った。この地域から見つかった石器は新しい食物資源に合わせて、より小さくまた特化したものとなった。また釣り鉤、漁網および銛のような漁労のための新しい技術を工夫した。紀元前5000年頃、スペリオル湖の湖岸に住んだ人々(ミネソタと現在のミシガン州、ウィスコンシン州およびカナダとなった地域)は、北アメリカでは初めて金属器を作り始めた。高い銅成分を含む原石をまず叩いて大まかな形にし、加熱して脆性を落とし、再び叩いて形を整え、再加熱された。端部はナイフや槍穂に使えるように鋭くされた。 先住民族が定着した考古学的証拠は紀元前3000年のこととされている。ミネソタ州南西部にあるジェファーズ・ペトログリフス遺跡には、古期後期および紀元前1750年から900年の間に刻まれた岩面陰刻がある。紀元前1000年ころに短期間住んだ居住地からは土器の破片が現れるようになった。紀元前700年頃、埋葬用マウンドが初めて造られ、この慣習がヨーロッパ人の到来まで続いた。州内にはそのようなマウンドが10,000個あった。 紀元前200年から西暦400年までにミシシッピ川の堤に沿ってホープウェル文化が栄えたと信じられている。西暦800年までにマコモがこの地域の主要穀物となり、トウモロコシは南の方で作られた。数百年内にミシシッピ文化が州内南東部に届き、大きな集落が形成された。ダコタ・インディアン文化はミシシッピ文化の人々から伝えられたものである可能性がある。 ヨーロッパ人が初めにミネソタを探検し始めたとき、この地域には主にスー族が住んでおり、オジブワ族(チッペワ族あるいはアニシナーベ族と呼ばれることがある)は1700年頃に西への移住で州内に入り始めた。これら種族の経済は主に狩猟採集活動に基づいていた。ロングプレーリー近くには小規模のホーチャンク族(ウィネバゴ族)もおり、彼らは1855年にブルーアース郡の保留地に移住した。
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