アンダマン‐しょとう〔‐シヨタウ〕【アンダマン諸島】
アンダマン諸島
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アンダマン諸島(アンダマンしょとう、Andaman Islands)は、インド東部のベンガル湾に浮かぶ、インド、ミャンマーに属する島々。南の方にあるニコバル諸島と共に、インドの連邦直轄地域アンダマン・ニコバル諸島を成している。また数島はミャンマーに属す。
注釈
- ^ これが南アンダマン島の都市ポートブレアの名前の由来となっている。
出典
- ^ Provisional Population Totals Paper 1 of 2011 : Andaman and Nicobar Islands - Census of India
- ^ Kukreja, Dhiraj (1 September 2013). “Andaman and Nicobar Islands: A Security Challenge for India”. Indian Defence Review. ISBN 9788170621836 .
- ^ 木村(2001) 45頁
- ^ 木村(2001) 45-46頁
- ^ 木村(2001) 46頁
- 1 アンダマン諸島とは
- 2 アンダマン諸島の概要
- 3 歴史
- 4 住民
アンダマン諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 22:51 UTC 版)
「ハプログループD (Y染色体)」の記事における「アンダマン諸島」の解説
アンダマン諸島ではD1a2b-Y34537 が高頻度であり、特にオンガン系オンゲ族(23/23)、ジャラワ族(4/4)では100%を占めるが、言語系統の異なる大アンダマン人では0%(0/10)である。遺伝子分析により、アンダマン人は東アジア・東南アジアを祖先に持つ遺伝子が 31-75% 観察されている。
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アンダマン諸島
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「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の記事における「アンダマン諸島」の解説
アンダマン諸島では、1944年1月には既に、食糧の支給は所要量の60%しかなされず、所要量の40%は島外からの補給によるもので自給量は20-25%程度しかない状況だった。このため兵員による自給が促され、日課の中に農耕の時間が設けられていた。その後、1944年5月に独立混成旅団の兵員の増強があり、1944年11月には島外からの補給船が途絶えたため、食料事情はより深刻になった。 1945年に入ると兵士への主食の支給量は通常の1/3の量に減らされ、漁撈・農耕に兵力を動員して魚・野菜の採取増をはかったり、野生の鳥獣を捕えて食べたりするようになった。現地住民への主食配給の制限も厳格化されたため、島民に餓死者・栄養失調の者が増加した。軍用米が尽きてきたため、日本軍は、軍で使役していた現地住民約6千人を解雇して自給をはかるよう命じた。 1945年7月末に海軍民政部は島民に対して「8月以降米の配給を停止する」との声明を出し、混乱を阻止するため、「食糧庫を荒らす者、軍民を問わず農場に侵入する者は射殺してよい」と公示したが、実際に食糧を盗もうとして殺される者が相次いだ。このような状況下で、住民の離反も進み、中には禁を犯して島外への脱出を試みる者も出るようになった。
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アンダマン諸島
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「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の記事における「アンダマン諸島」の解説
1945年7月23日夜、上陸用の舟艇を盗んで島外へ逃亡しようとしたビルマ人の現地住民34人(女性や子供を含む)が日本軍に発見・逮捕され、独立混成第35旅団司令部(旅団長・佐藤為徳少将)の命令により、同月25日にポートブレアから所要4,5時間の無人島・タマグリ島に連行され全員が射殺された(第一タマグリ島事件)。また、1945年8月初旬には中アンダマン島で、海軍の舟艇と食糧を盗みラングーンへ逃亡しようとしたビルマ人9人が日本軍に逮捕され、海軍第12特別根拠地隊司令部(司令官・原鼎三中将)の命令により、全員がスチュワードサウンド (Stewart Sound) という場所へ連行され、殺害された(スチュワードサウンド事件)。 1945年8月初旬、海軍第12特別根拠地隊司令部は、南アンダマン島の約400人の住民を強制的に耕地のない無人島ヘブロック島へ移住させた。終戦後の1945年9月21日、この措置が戦争犯罪として問題視されることを恐れて救助に行ったところ、住民の餓死体が折り重なっているのを発見し、救助された生存者は11名のみだった(ヘブロック島事件)。
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