しょう‐みょう〔シヤウミヤウ〕【声明】
読み方:しょうみょう
《(梵)śabda-vidyāの訳》
1 古代インドの五明(ごみょう)の一。文字・音韻・語法などを研究する学問。
2 仏教の経文を朗唱する声楽の総称。インドに起こり、中国を経て日本に伝来した。法要儀式に応じて種々の別を生じ、また宗派によってその歌唱法が相違するが、天台声明と真言声明とがその母体となっている。声明の曲節は平曲・謡曲・浄瑠璃・浪花節(なにわぶし)・民謡などに大きな影響を与えた。梵唄(ぼんばい)。
せい‐めい【声明】
声明(しょうみょう)
声明は、すでに奈良時代に南都(奈良)の諸寺にある程度伝来していた。
平安時代になると、天台宗延暦寺の僧円仁(794-864)によって、中国で発達した「うたう念仏」といわれる声明の一種「五会念仏」(ごえねんぶつ)が伝えられ、わが国における声明発展の基礎を築いた。
日本における声明を大成したのは、良忍(1072-1132)である。
良忍は比叡山の下級僧である堂僧(常行三昧堂などの施設で声明に乗せて念仏を勤行する僧)をつとめ、親鸞の遠い先輩にあたる。のちに下山し、当時「聖」(ひじり)たちの一大拠点であった京都大原に入って来迎院を開創。各地の声明をほとんどすべて吸収しわが国の声明を大成したという。現在も大原は「魚山(ぎょざん)流」声明の本拠地として有名である。
良忍はまた融通念仏の創始者でもある。
多くの念仏聖の集まる大原で、声明のような音楽を採り入れた念仏芸能が成長し、後の踊り念仏のベースになっていったものと考えられる。後の六斎念仏などの念仏芸能の念仏歌詞には、「ゆうづうねんぶつ なむあみだぶつ」といった歌詞が含まれ、また曲調には「ユリ」「ソリ」「アタリ」などという声明由来の節回しが残されているという。
このように声明は、後の盆踊り音楽はじめ日本民謡の音楽の源流となったと考えられている。
声明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/16 17:34 UTC 版)
声明(しょうみょう、梵: śabda-vidyā[1])とは、古代インドにおける五つの学科のひとつで、サンスクリットなどの音韻論・文法学を指す[1]。
転じて、仏典に節をつけた仏教音楽を指す[1]。日本では、梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)・魚山(ぎょざん)ともいう。本項ではこの仏教音楽について主に記述する。
インドの声明
古代インドの学問分野(五明・ごみょう)の一つ。五明とは、声明(音韻論・文法学)・工巧明(工芸・技術論)・医方明(医学)・因明(論理学)・内明(自己の宗旨の学問、仏教者の場合は仏教学)の5種類の学問分野を指す。
チベットの声明
中国の声明
中国で仏教声楽を指した言葉として「梵唄」という語が用いられた。梵唄の成立の詳細は不明ではあるが、『法苑珠林』などの記述から魏の曹植に始まるというのが通説となっている[2]。
インドから仏教とともに仏教声楽ももたらされた。中国とインドでは言語も音楽文化もまったく異なるために、そのままの形で受容されることはなかったが、仏典を基にした歌詞や、梵語の音韻を活かした朗々とした音声など、漢語の声調を基調とした梵唄として発展を遂げた[2]。梁代に書かれた『高僧伝』には、経師と呼ばれる経文の読唱に長じ、梵唄を作曲する声楽専門の僧が名を連ねている。
日本の声明
日本の声明は陰陽五行説に基づいた中国の音楽理論が基礎となっている[3]。声明は宮・商・角・徵・羽という5音からなり、呂・律・中曲と呼ばれる音階、旋律に関する3つの概念に則ってパターン化されている。これらの概念は天台、真言など流派によって解釈が多少異なる。
儀礼の場において、呂曲、律曲は四箇法要や二箇法要などの場を飾るための曲として使われ、呂曲のほうが相対的に重要な地位を占めている。中曲は日本独自の様式であり、儀礼と儀礼の間をつなぐ、本尊に願いを伝えるなど、儀礼を進行させるための実用的な機能を持つ[4]。現存する日本語歌詞の声明のほとんどは中曲に属する。
歴史
754年(天平勝宝4年)に東大寺大仏開眼法要のときに声明を用いた記録があり、奈良時代には声明が盛んにおこなわれていたと考えられる。
平安時代初期に最澄・空海がそれぞれ声明を伝えて、天台声明・真言声明の基となった。天台宗・真言宗以外の仏教宗派にも、各宗独自の声明があり、現在も継承されている。源氏物語の中に度々出てくる法要の場でも、比叡山の僧たちによって天台声明が演奏されていた。
平安時代に中国から入ってきた実践的な仏教声楽は梵唄と呼ばれていた。また、インドの声明にあたる悉曇学という梵字の文法や音韻を研究する学問が盛んとなった。やがて、悉曇学と経典の読謡を合わせたものを声明と呼ぶようになり、中世以後には経典の読謡の部分のみを指して声明と称するようになった[5]。
声明は口伝(くでん)で伝えるため、現在の音楽理論でいうところの楽譜に相当するものが当初はなかった。そのため、伝授は困難を極めた。後世になってから楽譜にあたる墨譜(ぼくふ)、博士(はかせ)が考案された。なお、各流派により博士などの専門用語には違いがある。
しかし博士はあくまでも唱えるための参考であり、声明を正式に習得しようとすれば、口伝(「ロイ」とも言う。指導者による面授。)が必要不可欠であり、面授によらなければ、師から弟子への流派の維持・継承は出来ない。そのために指導者・後継者の育成が必須であった。
中世以前の声明は一般の日本人のみならず、僧侶にとってもその内容は理解し難いものだった。そのため、日本語の歌詞によるわかり易い声明が求められるようになり、講式という形式の声明が成立した。講式は既存の声明の約束事とは逸脱した音組織で成り立っていたため、新たな記譜方式を考案するに至った。講式は平曲・謡曲など邦楽の発展に大きな影響を及ぼした[4]。
戦乱や明治期の廃仏毀釈により、寺院が荒廃した。それにともない、僧侶が離散するなど、さまざまな条件が重なって、多くの流派が廃絶した。
流派
天台声明
天台声明は最澄が伝えたものが基礎となり、独自の展開をした。最澄以後は、円仁・安然が興隆させた。後に融通念仏の祖となる良忍が中興の祖として知られる。1109年(天仁2年)に、良忍は、京都・大原に来迎院を建立した。大原の来迎院の山号を、中国の声明発祥の地・魚山(ぎょさん)に擬して、魚山と呼称された。やがて、来迎院・勝林院の2ヶ寺を大原流魚山声明の道場として知られるようになった。また、後に寂源が一派をなして、大原には2派の系統の声明があった。のちに宗快が大原声明を再興するに至った。
湛智が新しい音楽理論に基づいた流れを構築した。以降、天台声明の中枢をなし、現在の天台声明に継承されている。融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗の声明は、天台声明の系統である。
- 大原魚山声明研究会
明治以降に、魚山声明正統の復興・伝承に尽力した大原魚山声明研究会主宰者の故天納傳中實光院住職は、1998年にチェコではじめて天台声明を紹介し、同時にプラハ・グレゴリオ聖歌隊との協力を薦めた。主宰者を失った大原魚山声明研究会の解散後、「魚山流天台声明研究會」[6]が、故天納傳中大僧正直伝の声明を伝える天台宗僧侶たちによって、新たに発足された。
魚山流天台声明研究會は「一人一切人一切人一人(=一人は全員のために全員は一人のために)」をスローガンとする「天台声明」を歌い継いでいる無伴奏男性ユニゾンとして、ヨーロッパでCD『遙声(ようせい)』[7]を発売、デビューを果たした。
真言声明
真言声明は空海が伝えたものが基礎となり、現在に至っている。声明が体系化されてきたのは真雅以降である。寛朝はなかでも中興の祖ともいえる。声明の作曲・整備につとめた。
四派
鎌倉時代までは多くの流派があったが、覚性法親王により、本相応院流・新相応院流・醍醐流・中川大進流の4派にまとめられた。このうち中川大進流は、奈良・中川寺の大進が流祖。
古義真言宗の声明は江戸時代にかけて衰微・廃絶した。本相応院流・新相応院流・醍醐流は明治中期ごろまでには廃絶した。現在では、中川大進流を継ぐ智山(ちざん)声明(京都・智積院)、豊山(ぶざん)声明(奈良・長谷寺)、南山進流(なんざんしんりゅう・高野山、京都・古義真言宗寺院)に分別される。
智山声明・豊山声明
- 智山声明・豊山声明(新義真言宗系声明) :真言宗智山派・真言宗豊山派、両派の声明は、もとは、中川大進流に由来する。頼瑜が醍醐の古流を採り入れた。1583年(天正13年)根来寺(和歌山県)が豊臣秀吉に焼き討ちされて衰微すると、智山・豊山の両派は、醍醐の古流をもとにして、一派を形成するに至った。特徴としては、豊山の「論議」・智山の「声明」と称される。
南山進流
- 南山進流(古義真言宗系声明) :大進上人を流祖とし中川寺を本拠地とする中川大進流(大和進流)がもとになった。貞永年間(1232~1233)に高野山蓮華谷・三宝院の勝心が、中川寺の慈業に依頼し、本拠地を高野山に移した。後に高野山の別名、南山を冠して、南山進流と称した。進流・野山進流とも称する。
脚注
参考文献
- 天納傳中 『声明―天台声明と五台山念仏の系譜』 春秋社、1999年、ISBN 978-4393970089
- 天納傳中ほか 『仏教音楽辞典』 法蔵館、1995年
- 岩田宗一 『声明の研究』 法蔵館、1999年、ISBN 978-4831862112
- 岩田宗一 『声明・儀礼資料年表』 法蔵館、2000年、ISBN 978-4831862129
- 岩田宗一 『声明は音楽のふるさと』 法蔵館、2003年、ISBN 978-4831862143
- 『声明大系』 法蔵館
- 『密教辞典』 法蔵館
- 澤田篤子「日本の仏教声楽における音組織について」『儀礼と音楽 I』、東京書籍、1990年、 ISBN 978-4-487-75254-6。
- 澤田篤子「仏教声楽:その成立と受容」『日本の音楽・アジアの音楽』第2巻、東京書籍、1994年、 ISBN 4000103628。
関連項目
外部リンク
声明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 19:14 UTC 版)
「出版バイアス」も参照 2004年の抗うつ薬パキシルにおける、否定的な試験結果のグラクソ・スミスクラインによる隠蔽は、出版バイアスの議論から、アメリカ合衆国連邦政府の法改正や、世界保健機関(WHO)による試験の登録制度の構築など、試験の事前登録制度の構築へと繋がっていった。2011年10月5日に、コクランも、試験の登録とデータの透明性を求める声明を行った。声明の内容は、選択的な出版によるデータの隠蔽が有効性や有害性の誤った認識をもたらし、危険な臨床的な実践に繋がり、そしてデータの公開は多大な利益をもたらすために、データが公開されること、およびそのための司法制度の導入を求めるものである。 出版バイアスを減らすための試験登録は1986年にサイムズが言及し、1997年にはアメリカ食品医薬品局(FDA)近代化法の下、登録制度(ClinicalTrials.gov)ができたが、利用されないことも多く、2004年のパキシルの不祥事をきっかけに議論が進んだ。すぐに、試験の事前登録がない試験に関する論文を掲載しないという医学雑誌編集者国際委員会の声明がなされ、オタワにて国際的な登録制度の構築するための会議が行われた。2005年8月世界保健機関による国際的な臨床試験の登録制度であるICTRP(International Clinical Trials Registry Platform)の設立や、2007年FDA改正法(FDAAA)における登録の義務付け、同様に最初の被験者を募集する前に登録をするという2008年の世界医師会によるヘルシンキ宣言改訂につながった。
※この「声明」の解説は、「コクラン (組織)」の解説の一部です。
「声明」を含む「コクラン (組織)」の記事については、「コクラン (組織)」の概要を参照ください。
声明
「声明」の例文・使い方・用例・文例
- こういう声明の含みは分るかい
- 警視庁長官から出された声明
- 共同声明
- 公式声明
- 公式声明を発表する
- その記者は市長の声明のことで市長とやりあった
- 声明は自明といえるほど平易だ。
- 彼の声明は報道関係者によって歪曲された。
- 本当はその声明は彼の個人的見解にすぎない。
- 彼らは共同声明に同意した。
- 彼の声明文は次の通りだ。
- 彼の声明は疑いの余地がない。
- 大統領は明日、声明を発表する予定である。
- 大統領はその件について声明を発表した。
- 総理大臣は、明日、声明を発表する予定です。
- 政府は次のような声明を出した。
- 政府の愚かな声明で物価がまた上がった。
- 首相は本日声明を発表する予定です。
- 首相は彼の声明に対して怒りを感じています。
- 最近の原発事故に関して、大統領は特別に声明を出した。
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