僧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 07:55 UTC 版)
僧(そう、梵: संघ Saṃgha)は、サンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと[1]。仏教の三宝の一つ[2]。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる[1]。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という[1]。衆あるいは和合衆と訳される[2]。
注釈
- ^ 「サンガとは、中国語で「衆」という意味である。「戒律を守る出家者(比丘)が一処に和合すること、これをサンガというのである。」原文:「僧伽、秦に衆という。多くの比丘、一処に和合する。これを僧伽となずく」(『大智度論 』)
- ^ 鑑真和上の戒や、その後の中国伝来の戒に繋がる真言宗や真言律宗、南都六宗の律宗、法相宗などは本来、具足戒を保持すべきである。チベット仏教も、主要四派のニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派は全て具足戒を授かるが、ニンマ派とカギュ派は妻帯を認め[3]、サキャ派は教団の法主が歴代世襲制であり、
- ^ 天台宗およびそこから派生した諸宗は基本的に具足戒を伝授されない。カギュ派も具足戒よりタントラの実践ヨーガを重視し、女犯戒や不飲酒を不問とするのが現状となっている。
- ^ この時、嵯峨天皇が授けた授戒の証明書である『光定戒牒』(国宝:弘仁14年4月14日付)が比叡山に残されている。
- ^ これらの戒を破れば大乗戒の「波羅夷罪」となる。[14]
- ^ 比叡山の結界内、または特定の寺院内に篭って、そこから外に出ることを禁止し、学問と修行の完成に尽力した。
- ^ インド仏教にはない、「終末思想」に基づく中国仏教独自の末法観を背景とした日本の緯書。最澄の死後の400年後に世に出て、出典の経名に誤りが多く誤字や脱字も見られるので、最澄に仮託されるも文献学的には「偽書」とされる。緯書としての性格から鎌倉仏教に与えた影響は大きく、法然(1133-1212)の『逆修説法』等をはじめとして、日蓮の『四信五品鈔』、親鸞(1173-1263)の『教行信証』、栄西(1141-1215)の『興禅護国論』に依用するところから、各宗派の宗学においては神聖視され、最澄の著作として疑うことを許さない。いわゆる緯書は時代の変わり目に出現し、中国では革命思想を生む切っ掛けともなったが、この書は本来の目的を離れて、日本仏教における戒律否定の大きな原因となった。
- ^ 浄土真宗には、開祖の親鸞が還俗したのを先例として、正式な僧はいない。現在、実質上は僧侶と呼ぶべき人々はいるが、浄土真宗では受戒はまったく行わず、形式上も、実践的にも僧侶ではない。
- ^ 特に男色の弊害を示す好例として、自らの男性遍歴を告白する文書を残した東大寺の僧侶・宗性をあげることができる[16]。
- ^ この版は明代の『大蔵経』に基づくもので、別名を『鉄眼版大蔵経』とも呼ばれる。
- ^ 巴: āraññika-bhikkhu, 阿練児比丘
出典
- ^ a b c 平川彰「僧」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館。
- ^ a b 「僧」 - 百科事典マイペディア、平凡社
- ^ a b c 四津谷 2003, p. 96.
- ^ 四津谷 2003, p. 97.
- ^ 宮元 2005, p. 87.
- ^ 中井英基「チベットにおける仏教々団主の相続形態」『一橋論叢』第63巻第6号、一橋大学一橋学会一橋論叢編集所、1970年、 82-101頁。
- ^ 小泉康一「結婚考:7.タイ―新旧結婚式比鮫」『ASIA 21 基礎教材編』第2巻、大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会、1992年、 98-102頁。
- ^ 小林 2000, p. 39.
- ^ 僧伽(修行者たちの集まり=僧)の本質 - ニンマ派高僧トゥルシック・リンポチェによる「37の菩薩の実践」
- ^ 恵谷 1976, pp. 40–44, 59–68.
- ^ 『梵網菩薩戒経』(四季社)、pp.21-23。『梵網経』(大蔵出版)、pp.75-76。
- ^ 『梵網菩薩戒経』(四季社)、pp.25-27。『梵網経』(大蔵出版)、pp.88-89。
- ^ 『梵網菩薩戒経』(四季社)、pp.30-31。『梵網戒』(大蔵出版)、pp.99-100。
- ^ 恵谷 1976, p. 46.
- ^ 『末法燈明記』(安居事務所)、[引用]p9、[末法燈明記原文]pp.176-205。
- ^ 松尾 2008, pp. 70–80, 95–96.
- ^ 『叡尊教団における戒律復興運動』、p21-41。
- ^ 東元 1982, pp. 52–54, 56.
- ^ 戒律の条項については、真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺HP [1]を参照した。
- ^ 「蓄髪」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
- ^ 「仏在王舎城。(…)爾時六群比丘。留髪令長。仏言。不応留髪令長。若留者突吉羅。若阿練児比丘長至二寸無罪。」(『十誦律』巻第三十七)
- ^ 「復次仏住舎衛城。広説如上。爾時世尊四月一剃髪。世人聞仏剃髪故。送種種供養」(『摩訶僧祇律』十八)
僧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 11:26 UTC 版)
「北条時宗 (NHK大河ドラマ)」の記事における「僧」の解説
日蓮(にちれん) 演:奥田瑛二 日蓮宗の開祖。立正安国論を著し、繰り返し他宗や幕府を批判するため、よく迫害を受けている。 時宗の母涼子は公然と幕府を批判する彼に関心を持ち、しばしば彼のもとを訪れて意見を通わせていた。 執権である北条長時を無視して北条時頼に直訴を行ったことで面子を潰された北条重時と長時親子の憎しみを買う。 平頼綱と初めてあった際、彼を「偽りを生きる者」と看破し、以降頼綱から激しい憎しみを向けられる。 頼綱の主導で幕府に処刑されかかるも、涼子や祝子の説得を受けた時宗により寸前のところで助命された。 無学祖元(むがく そげん) 演:筒井康隆 円覚寺開祖。南宋出身。時宗に寿命が残りわずかであることを伝えた。
※この「僧」の解説は、「北条時宗 (NHK大河ドラマ)」の解説の一部です。
「僧」を含む「北条時宗 (NHK大河ドラマ)」の記事については、「北条時宗 (NHK大河ドラマ)」の概要を参照ください。
僧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 03:25 UTC 版)
通常ゴンパには5,6歳から出家し、僧となるための修行を行う。ゴンパの中には畑や小さな牧場が備わっている所もある。僧の地位は高く、食べることには困らないが、出身の家の裕福さによって、ゴンパ内での地位も影響を受けるというのが実情である。出家した僧の住居はゴンパの近くに出身の家が負担して用意する事が多い。ゴンパには僧の他に用務員のような人もおり、僧の身の回りの世話をしている。 僧の妻帯は認められておらず、農業生産性の低いこの地方の人口抑制手段であったとも言われる。中には、成人してからや老人になってから自分から求めて出家する人もいるし、成人してから還俗して結婚するものもいる。また、ラダックにも化身ラマ(トゥルク)制度が息づいている。
※この「僧」の解説は、「ラダック」の解説の一部です。
「僧」を含む「ラダック」の記事については、「ラダック」の概要を参照ください。
僧
僧
僧
「僧」の例文・使い方・用例・文例
- 厳しい服従が尼僧たちに課せられた
- 僧服
- わんぱく小僧
- ドルイド僧たちは深い森の中で儀式を行った。
- その司式僧が葬儀を執り行った。
- 苦行僧が木の下で瞑想していた。
- 写字室では僧侶たちが写本を書き写していた。
- 彼は僧帽筋がよく発達している。
- その絵は山に籠って修行した修行僧を描いたものだ。
- その絵は山に籠って修行をした修行僧を描いたものだ。
- それは山に籠って修行した修行僧を描いたものだ。
- 門前の小僧習わぬ経を読む。
- 彼女は腕白小僧に腹を立てている。
- 彼は僧侶に近い禁欲生活をしている。
- 彼はよく近所の腕白小僧たちをののしったものだ。
- 尼僧はお祈りをして十字を切った。
- 当時は修道僧達が修道院でよくテニスをしていた。
- 村人はみなかわるがわる僧にあいさつした。
- また僕をかつごうとしているのかい、このいたずら小僧め。
- その僧は子供たちの遊びに参加した。
- >> 「僧」を含む用語の索引
- 僧のページへのリンク