ほっそう‐しゅう〔ホツサウ‐〕【法相宗】
法相宗
法相宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 14:39 UTC 版)
法相宗では、義林章巻二に、四真四俗(四勝義四世俗)の四重二諦を説く。
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法相宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 05:31 UTC 版)
唯識宗(法相宗)では、有空中の三時教の教判を立てて、解深密経などの説のように、〈有・空〉の二辺を離れて非有非空の中道の真理を完全に顕した教えを中道了義教とし、〈有・空〉に偏る教えを不了義教とする。その中道とは、いわゆる唯識中道のことであり、法相宗は唯識中道を説くことから、自らを中道宗とも称する。法相宗の教えは中道教とも呼ばれる。法相宗では中道は、教理の核心としての非有非空をも指す。
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法相宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 07:47 UTC 版)
詳細は「法相宗」を参照 法相宗の実質的な創始者は玄奘の弟子の基である。しかし、『仏祖統紀』などは、玄奘とナーランダー留学時の師である戒賢までを含めた3人を法相宗の宗祖としている。
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法相宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 01:35 UTC 版)
貞慶……藤原貞憲の子。勅諡号は解脱上人。 良遍……戒律の復興に尽力。
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法相宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
法相宗中興の祖といわれる解脱房貞慶は、荘園領主でもあり世俗勢力化した興福寺を出て南山城山中の笠置寺に隠遁し、海住山寺の再興に尽力したのちそこへ移った。戒律の復興につとめた貞慶は浄土宗を批判する『興福寺奏状』をあらわし、これは上述の法然弾圧の契機をつくることとなった。
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