法相殴打事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 03:26 UTC 版)
「自由民主党本部放火襲撃事件」も参照 1984年(昭和59年)9月19日に、自由民主党本部が成田空港二期工事に反対する新左翼の中核派に放火され、炎上した。浜田はいち早く駆けつけ消火にあたった。そこへ当時の法務大臣であった住栄作が酔っ払った状態で現れ、「マッチポンプな真似しやがって」と発言した。それに怒りを感じた浜田は、住を殴りつけてしまった。後に住は発言が不適当だったことを認め、浜田に謝罪した。 1984年(昭和59年)9月20日に、日本テレビのワイドショーにおいて、浜田は「(自民党本部放火事件の)責任はだれにあるというかというと、泳がしていた我々にあると思いますよ。『中核派』を泳がしていた。やっぱり法律違反で破壊するものを泳がした。そういう一つの政策の誤りがあるんじゃないですか」と「過激派の泳がせ政策」を認めている。 1984年(昭和59年)11月27日には、中核派によって木更津市の事務所に時限爆弾を仕掛けられるなど、激しい攻撃も受けた。
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