「宮本顕治人殺し」発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 03:26 UTC 版)
1988年(昭和63年)の通常国会で衆議院予算委員長に就任。2月6日、予算委員会で質疑に立った日本共産党の正森成二議員が、「過激派への政府の対応は、泳がせ政策ではないか」との趣旨の発言をし、竹下登首相が「泳がせ政策などをとったことはない」と答弁した。 これに対し正森が、自由民主党本部放火襲撃事件後にワイドショーで当時同委員会委員長だった浜田が述べた発言(参照:#法相殴打事件)を引用したところ、浜田はその発言を認めたうえで「我が党は旧来より、終戦直後より、殺人者である宮本顕治君を国政の中に参加せしめるような状況をつくり出したときから、日本共産党に対しては最大の懸念を持ち、最大の闘争理念を持ってまいりました」と主張した。正森は激昂したが、浜田が正森の言う「泳がせ政策」発言を肯定したこともあり、正森は浜田とのやり取りを打ち切り、他の質問に移った。 しかし委員会終了間際、円ドル為替問題についての質疑中であった正森に、唐突に浜田が、 「 昭和八年十二月二十四日、宮本顕治ほか数名により、当時の財政部長小畑達夫を股間に……針金で絞め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね。私が言っているのは、ミヤザワケンジ君〔ママ〕(宮本顕治の誤り)が人を殺したと言っただけじゃないですか。 」 と発言(日本共産党スパイ査問事件を指す)。正森が発言の撤回を求めて抗議し、委員会室は一時騒然となった。 浜田本人は、この国会中継の審議の模様はNHK総合テレビで生放送されており、中継放送の終了時間を逆算したうえでの、自分の意見と共産党の意見は違うと印象づけるための確信的発言であると述べている。 この時、浜田を予算委員長に推薦した金丸信の妻・悦子は「バカ!あんたなんか死んじゃえばいいんだ」と号泣した。浜田は、自分の首と議事録削除阻止を狙っていたが、結局予算委員長を辞任した。NHKはこの模様を時間の関係上途中で打ち切って「大草原の小さな家」を再放送したことに対し、NHKには苦情の電話が殺到した。 後日国会議事堂の廊下で正森とすれ違った際に、浜田は「俺の首を獲りやがって」と発言したが、目は笑っていたという。
※この「「宮本顕治人殺し」発言」の解説は、「浜田幸一」の解説の一部です。
「「宮本顕治人殺し」発言」を含む「浜田幸一」の記事については、「浜田幸一」の概要を参照ください。
- 「宮本顕治人殺し」発言のページへのリンク