日本共産党スパイ査問事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 01:02 UTC 版)
日本共産党スパイ査問事件(にほんきょうさんとうスパイさもんじけん)[注釈 1][1]は、治安維持法下の1933年(昭和8年)に、東京府東京市(現東京都)で発生した日本共産党中央委員であった小畑達夫が死亡し、同じく中央委員であった大泉兼蔵らが負傷した事件である。
|
注釈
- ^ 日本共産党リンチ殺人事件、日共リンチ殺人事件、スパイ査問事件、スパイリンチ事件、リンチ共産党事件などと呼ばれることがある。昭和51年10月5日の参議院予算委員会では呼び名について公明党の小平芳平から質問があり、稻葉修法務大臣の回答により「共産党リンチ事件」として扱われた。質問者であった小平芳平も質問中は「共産党リンチ事件」の名称を使用している。当時総理であった三木武夫は、自民党内の総務会では「共産党リンチ殺人事件」と呼ばれていたとしている。一方、当時の共産党は「スパイ調査問題」の名称を用いた。また、衆議院会議録情報 第078回国会 法務委員会 第1号 昭和51年10月8日 安原美穂法務省刑事局長の答弁で宮本顕治らに係る治安維持法等被告事件と表現されており、単に治安維持法等被告事件とよばれる場合もある。
- ^ 宮本顕治「スパイ挑発との闘争-1933年の一記録-」(『月刊読売』1946年3月号「“赤色リンチ事件”の真相」に掲載され、その後『宮本顕治公判記録』に収録)では「小畑の死因を、最初の鑑定書は、脳震迫であるとしたが、事実、かれが暴れだした時、なにびとも脳震迫をひきおこすような打撃を加えていないのである。そうして再鑑定書は、脳震迫とみなすような重大な損傷は身体のどこにもないこと、むしろショック死(ショックの定義についてはショックを参照)と推定すべきであるとした。そして、裁判所もついにこの事件を殺人および殺人未遂事件として捏造することが不可能となった」としている。
- ^ 兵本達吉は『日本共産党の戦後秘史』において、当時は未必の故意の判例が確立されていなかったため、検察は宮本顕治を傷害致死罪でしか起訴できなかったという。現在の刑事裁判ならば、「極刑をもって断罪する。」という赤旗の声明からみても、未必の故意による殺人罪に問えるケースであったとしている
- ^ 日本共産党中央委員会幹部会委員長不破哲三は、2000年7月20日の「日本共産党創立78周年記念講演会 日本共産党の歴史と綱領を語る」において、復権証明書に「要するになかったことにしようということが書かれたわけであります。」と説明している
出典
- ^ a b c d e f 昭和51年1月30日、衆議院予算委員会、稻葉修法務大臣答弁
- ^ a b c d e 昭和51年1月30日、衆議院予算委員会、安原美穂政府委員答弁
- ^ 「日本共産党の研究」立花隆
- ^ 昭和51年10月1日 衆議院予算委員会
- ^ 立花隆『日本共産党の研究(二)』〈講談社文庫〉講談社、1983年、224頁、「大泉の主張の力点は、自分はスパイとして党活動をしたのだから、治安維持法違反に問われるべきではないというところにあった。」
- ^ 1940年4月18日公判・冒頭陳述。所収、「スパイ査問事件と復権問題の真実」『文化評論』1976年4月臨時増刊号。
- ^ 昭和51年10月5日、参議院予算委員会 稻葉修法務大臣答弁
- ^ a b c d e f 「スパイ査問事件と復権問題の真実」『文化評論』臨時増刊、1976年4月、新日本出版社、p.77
- ^ 中野文庫 - 大赦令
- ^ 中野文庫 - 政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件(昭和20年勅令第730号)
- ^ a b 昭和51年05月19日 衆議院法務委員会
- ^ 不破哲三日本共産党創立78周年記念講演会 日本共産党の歴史と綱領を語る2000年7月20日
- ^ 衆議院会議録情報 第077回国会 予算委員会 第3号 昭和51年1月30日 共産党 不破哲三の質問
- ^ 民社党教宣局『歴史を偽造する日本共産党―リンチ事件をめぐる9つの嘘』、1976年10月、pp.68-69
- ^ 『宮本顕治公判記録』新日本出版社 ISBN 4-406-00408-4
- ^ 1976年2月2日の成田知己委員長談話また、当時のしんぶん赤旗に一部を除いてほぼ全文掲載された。「資料日本社会党四十年史」 ASIN B000J6Q07M 所収
- ^ 『昨日の同志宮本顕治へ』 新潮社、1978年11月
- ^ 「日共リンチ殺人事件言論裁判 日共、判決目前でダウン 『宮本リンチ殺人事件』の事実認定恐れ取り下げる」思想新聞、1989年1月5日
- ^ 『日本共産党の七十年 党史年表』新日本出版社、1994年、p.254,p.353
- ^ 『日本共産党の七十年 下』新日本出版社、1994年、p.75
- ^ 第112回国会 予算委員会 第7号議事録
- ^ 『日本共産党の七十年 党史年表』新日本出版社、1994年、p.345
- 1 日本共産党スパイ査問事件とは
- 2 日本共産党スパイ査問事件の概要
- 3 判決
- 4 脚注
- 日本共産党スパイ査問事件のページへのリンク