無産者新聞とは? わかりやすく解説

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むさんしゃ‐しんぶん【無産者新聞】

読み方:むさんしゃしんぶん

大正14年1925創刊日本共産党合法機関紙佐野学渡辺政之輔らが参加相次ぐ弾圧昭和7年(1932)廃刊、「赤旗(せっき)」に統合された。


無産者新聞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/20 06:33 UTC 版)

無産者新聞の立ち売り(1926年)

無産者新聞(むさんしゃしんぶん)は、1920年代から1930年代前半にかけて発行されていた日本の政治新聞。『赤旗』(せっき)が発行されるまでの、労働者階級の立場に立った唯一の新聞だったとされる[1]

概要

1925年(大正14年)9月26日創刊。表向きは「無産者新聞社」を発行元とする合法機関紙であったが、実際の発行元は日本共産党再建ビューローだった[1]主筆にはソビエト連邦から帰国した直後の佐野学が就任した。

当初は半月刊で、旬刊週刊、週5日の発行に変化した[1]労働者農民党の門戸開放や中国への不干渉を主張したが、1929年(昭和4年)8月に発禁処分を受け、238号で廃刊。

1930年(昭和5年)の三・一五事件では、無産新聞記者の肩書で佐野学、門屋博、是枝恭二、水野秀夫、北浦千太郎らが逮捕、起訴されている[2]

その後は『第二無産者新聞』として続刊され、1932年(昭和7年)、96号をもって『赤旗』に吸収された[1]

外部リンク

脚注

  1. ^ a b c d 『昭和史事典』毎日新聞社〈別冊1億人の昭和史〉、1980年5月、370頁。 
  2. ^ 徳田球一ら共産党幹部三十五人有罪に『東京日日新聞』昭和5年4月29日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p158 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)



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