赤松克麿とは? わかりやすく解説

あかまつ‐かつまろ【赤松克麿】

読み方:あかまつかつまろ

[1894〜1955]社会運動家山口生まれ東大在学中新人会創立日本共産党創立参加弾圧にあい転向社会民衆党書記長となるが、国家社会主義転じ、のち大政翼賛会企画部長。


赤松克麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/13 03:25 UTC 版)

赤松 克麿(あかまつ かつまろ、1894年明治27年)12月4日 - 1955年昭和30年)12月13日)は、大正・昭和時代の社会主義運動家で、その後左翼活動家・国家社会主義運動家に転じた。衆議院議員


  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 13頁。
  2. ^ アンドレ・ヴィオリス著『1932年の大日本帝国』、大橋尚泰訳、草思社、2020年、pp.143-146


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赤松克麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 21:08 UTC 版)

国家社会主義」の記事における「赤松克麿」の解説

赤松克麿は、従来マルクス主義インターナショナル人類闘争歴史を「階級的」にのみ認識して、これを「民族的」あるいは「国民的」に捉えないことを指摘した。この主張によれば国際間には資本家労働者との「階級的利害不一致のみがあって国と国の民族的国民的利害不一致存在しないことになる。また「万国の労働者よ、団結せよ!」という『共産党宣言』のスローガンは、既存世界万国労働者団結すべき客観的条件欠如していることから実現不可能であるとも指摘したいずれの諸国労働者国家・国民という立場離れることはできないのだからナショナル肯定しなければならず、まずは一国において社会主義実現するナショナルという手順踏んでインターナショナル目指すべきと説いた。これが赤松の「国家社会主義」である。その後赤松日本主義提唱した

※この「赤松克麿」の解説は、「国家社会主義」の解説の一部です。
「赤松克麿」を含む「国家社会主義」の記事については、「国家社会主義」の概要を参照ください。

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