菊池大麓とは? わかりやすく解説

きくち‐だいろく【菊池大麓】


菊池大麓 きくち だいろく

菊池大麓の肖像 その1
安政2年1月29日大正6年8月19日 (1855~1917

東京生まれ数学者教育行政官。洋学者箕作秋坪(旧姓菊池)の二男幕末・明治初期に、2度イギリス留学しケンブリッジ大学数学・物理学を学ぶ。明治10年(1877)帰朝後東京大学教授となる。21年(1888)理学博士23年(1890)貴族院議員勅選文部省専門学務局長、文部次官経て31年(1898)東京帝国大学総長34年(1901)第1次桂内閣文相となる。35年(1902)男爵41年(1908)京都帝国大学総長その後帝国学士院長、枢密顧問官大正6年(1917)初代理化学研究所長。

キーワード 学者, 官僚
著作等近代デジタルライブラリー収載
  1. 論理略説. [1], [2], [3] / 菊池大麓著 同盟舎, 明15.12 <YDM8183>
  2. 職業教育論 / 菊池大麓訳 ; ジェ-・スコット・ラッセル文部省, 明17.5 <YDM48413>
  3. 平面幾何学教授条目 / 英国幾何学教授法改良協会編 ; 菊池大麓訳 博聞社, 明20.2 <YDM47817>
  4. 数理釈義 / ウィリアム・クリッフォ-ド著 ; 菊池大麓訳. 訂2版 博聞社, 明21.12 <YDM53191>
  5. 初等幾何学教科書 / 菊池大麓著 文部省編輯局, 明22.1 <YDM54575>
  6. 平面幾何学 / オラウス・ヘンリシ著 ; 菊池大麓, 森外三郎金港堂, 明25.7 <YDM54691>
  7. 初等平面三角法教科書 / 菊池大麓, 沢田吾一大日本図書, 明26.8 <YDM54601>
  8. 初等幾何学教科書. [1], [2] / 菊池大麓著 大日本図書, 明27,31 <YDM54574>
  9. 幾何学講義. [1], [2] / 菊池大麓著 大日本図書, 明30,39 <YDM54407>
  10. 幾何学小教科書 / 菊池大麓編 大日本図書, 明32.12 <YDM54414>
  11. 教科書国定ニ就テ / 菊池大麓述 文部省, 明36.7 <YDM50325>
  12. 菊池前文相演述九十九集 / 菊池大麓述 ; 田所美治大日本図書, 明36.11 <YDM50062>
  13. 幾何学初歩教科書 / 菊池大麓編 大日本図書, 明37.4 <YDM54421>
  14. 平面三角法小教科書 / 菊池大麓, 沢田吾一大日本図書, 明38.3 <YDM54776>
  15. 新日本 / 菊池大麓述 富山房, 明43.7 <YDM50575>

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

菊池大麓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/02 17:51 UTC 版)

菊池 大麓
人物情報
生誕 (1855-03-17) 1855年3月17日安政2年1月29日
江戸幕府 武蔵国江戸鍛冶橋(現・東京都中央区八重洲
死没 (1917-08-19) 1917年8月19日(62歳没)
日本 神奈川県高座郡茅ヶ崎町(現・茅ヶ崎市
国籍 日本
出身校 ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ
学問
研究分野 数学
研究機関 東京大学理学部帝国大学理科大学東京帝国大学理科大学
学位 文学修士(ケンブリッジ大学・1877年)
理学博士(日本・1888年)
称号 マンチェスター大学名誉法学博士(1907年)
グラスゴー大学名誉法学博士(1907年)
ラトガース大学名誉法学博士(1910年)[1]
東京帝国大学名誉教授(1901年)
京都帝国大学名誉教授(1913年)
学会 帝国学士院
東京数学物理学会
署名
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菊池 大麓

第16代文部大臣
内閣 第1次桂内閣
在任期間 1901年6月2日 - 1903年7月17日

在任期間 1912年5月8日 - 1917年8月19日

選挙区 勅選議員
在任期間 1890年9月29日[2] - 1912年5月15日
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菊池 大麓(きくち だいろく、1855年3月17日安政2年1月29日) - 1917年大正6年)8月19日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の数学者教育行政男爵理学博士

東京帝国大学(東京大学の前身)理科大学長・総長、文部次官大臣学習院長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、帝国学士院院長貴族院議員枢密顧問官を歴任した。

生涯

蘭学者箕作秋坪とつね夫妻の次男として江戸天神下(現・新宿区喜久井町)の津山松平家の下屋敷に生まれ、父の実家・菊池家の養嗣子となった。秋坪は蘭学者箕作阮甫の弟子で、つねはその阮甫の三女である。

慶応2年11月1日英国留学の為め出発の途中上海にて。後列向って右より外山捨八(正一)、林桃三郎(董)、福沢英之助、杉徳三郎、億川一郎、安井真八郎、岩佐源二。前列向って右より市川盛三郎、箕作奎吾、成瀬錠五郎、中村敬輔(正直)、レベレンド・ウィリヤム・ロイド、川路太郎(寛堂)、伊東昌之助(岡保義)。最前列箕作大六(菊池大麓)。

蕃書調所東京大学の前身)で英語を学び、1867年(慶応3年)に幕府派遣で、1870年(明治3年)に新政府派遣で、2度に渡り英国に留学した。2度目の留学ではケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで数学物理学を学び学位を取得した。ケンブリッジ大学を卒業した初めての日本人留学生となった[3]。帰国後の1877年(明治10年)、東京大学理学部教授となり、近代数学を初めて日本にもたらし、理学部における数学教育は外国人教師によるものでなくなる[4]。同大学総長、学習院院長、京都帝国大学総長、理化学研究所初代所長等を歴任し、1902年(明治35年)には男爵を授爵された。福澤諭吉とは知己の仲で、1874年(明治6年)には福澤に招聘されて明六社に参加、福澤がその後に設立した交詢社にも発足時常議員としてもその名を連ねている。1889年(明治22年)には帝国学士院の前身・東京学士会院会員に選任された。

英国留学中には高校大学を通じて相関係数で有名なカール・ピアソンと同窓で親友となり、帰国後ピアソンの編集した本を日本で翻訳出版している[5]。1884年には、グリニッジ子午線を経度0と決めた国際子午線会議に日本の代表として出席している。

菊池は数学者・教育者であるとともに政治的手腕もあった。1890年(明治23年)9月に貴族院勅選議員に勅任されると研究会に所属して、1912年(明治45年)5月に枢密顧問官に勅任されて議員辞職するまで22年間国政に参画した[6]。この間、文部省では専門学務局長から、1897年(明治30年)11月から翌年5月まで第2次松方内閣から第3次伊藤内閣にかけての文部次官となり、浜尾新西園寺公望外山正一の3大臣を補佐、1901年(明治34年)6月には第1次桂内閣文部大臣を拝命して翌年7月まで国政の枢機に携わった。1913年(大正2年)6月には京都帝大の名誉教授となっている[7]。 枢密顧問官は1917年(大正6年)8月に死去するまでつとめている。このほか帝国学士院でも1909年(明治42年)に第2代院長に選ばれ、死去するまでその任にあった。

1917年(大正6年)7月下旬より避暑で茅ヶ崎の別荘を訪れていたが、同年8月19日に新聞を読んでいる最中に脳溢血を起こし、医師による応急治療を受けたがそのまま死去[8]。墓所は谷中霊園

逸話

ケンブリッジ大学時代は数学で常に首席を占めていたため、他のイギリス人学生から嫉視されていた。あるとき大麓が風邪をこじらせて入院すると、イギリス人学生たちは示し合わせて大麓が欠席中の講義ノートを彼に貸さないことにした。それによっていつも2番目の成績だったブラウンという秀才を首席に押し出そうという企みだったが、当のブラウンは病院の大麓を毎日見舞って清書した当日のノートを彼に渡していたため、結局大麓の首位は動かなかった。大麓はその後ことあるごとに「ブラウンの高潔なイギリス魂ほど私を深く感動させたものはない」と当時を回想していたという[9]

この留学中の1872年にはラグビーの試合に出場したことが記録に残っており、菊池が日本人初のラグビープレイヤーだったことも想像に難くない。

家族

栄典

帝大総長当時
位階
勲章等

著作

著書・編書
訳書

脚注

  1. ^ Catalogue of the officers and alumni of Rutgers College (originally Queen's College) in New Brundswick, N. J. 1766 to 1916. State Gazette Publishing Co., Printers, 1916. p. 377.
  2. ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。
  3. ^ Kikuchi Dairoku: the first Japanese graduate.
  4. ^ 公田藏「近代日本における函数の概念とそれに関連したことがらの受容と普及 (数学史の研究)」『数理解析研究所講究録』第1787巻、京都大学数理解析研究所、2012年4月、265-279頁、CRID 1050282810743929856hdl:2433/172764ISSN 1880-2818 
  5. ^ 丸山健夫著 『ナイチンゲールは統計学者だった! : 統計の人物と歴史の物語』 日科技連出版社、2008年6月、ISBN 9784817192738、101-104頁。
  6. ^ 『官報』第8670号、明治45年5月16日。衆議院参議院編 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』 1990年11月、117頁。
  7. ^ 『官報』第269号、大正2年6月23日。
  8. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)101頁
  9. ^ 本田靖春著 『現代家系論』 文藝春秋、1973年9月、40頁。
  10. ^ 文部大臣男爵菊池大麓君『立身致富信用公録 第5編』 国鏡社 明35.4
  11. ^ 『寺田寅彦の生涯』小林惟司、東京図書, 1995、p193
  12. ^ 美濃部達吉の妻多美について 吉田登、鐘華会高砂支部高崎文庫、2012年㋀26日
  13. ^ 『日英新誌』64号(1921年7月)p.13
  14. ^ 菊池泰二(きくちたいじ)  谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
  15. ^ 『長岡半太郎伝』板倉聖宣、朝日新聞社, 1973、p440-441
  16. ^ 東京帝国大学卒業生氏名録東京帝国大学、1926
  17. ^ a b c 「枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 大正ノ一」。
  18. ^ 『官報』第2237号「叙任及辞令」1890年12月11日
  19. ^ 『官報』第3764号「叙任及辞令」1896年1月18日
  20. ^ 『官報』第5312号「叙任及辞令」1901年3月22日
  21. ^ 『官報』第8243号「叙任及辞令」1910年12月12日
  22. ^ a b 『官報』第1517号「叙任及辞令」1917年8月21日
  23. ^ 『官報』第2205号「彙報 - 官庁事項 - 褒章 - 藍綬褒章下賜」1890年11月4日
  24. ^ 『官報』第2701号「叙任及辞令」1892年6月30日
  25. ^ 『官報』第3823号「叙任及辞令」1896年3月31日
  26. ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日
  27. ^ 『官報』第5593号「叙任及辞令」1902年2月28日
  28. ^ 『官報』第427号「叙任及辞令」1913年12月29日
  29. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

公職
先代
加藤弘之
教科用図書調査委員会会長
1915年 - 1917年
次代
小松原英太郎
先代
真野文二
震災予防調査会会長
1913年 - 1917年
次代
大森房吉
会長事務取扱
先代
(新設)
理学文書目録委員会会長
1901年
次代
山川健次郎
先代
加藤弘之
震災予防調査会長
1893年 - 1901年
次代
辰野金吾
先代
都筑馨六
文部次官
1897年 - 1898年
次代
小山健三
学職
先代
寺尾寿
田中舘愛橘
藤沢利喜太郎
山川健次郎
山川健次郎
山川健次郎
東京数学物理学会委員長
1897年 - 1898年
1895年 - 1896年
1893年 - 1894年
1890年 - 1891年
1888年 - 1889年
1886年 - 1887年
次代
田中舘愛橘
寺尾寿
田中舘愛橘
寺尾寿
山川健次郎
山川健次郎
先代
(新設)
帝国大学理科大学
1886年 - 1893年
東京大学理学部長
1881年 - 1886年
次代
山川健次郎
先代
(新設)
帝国大学工科大学長心得
1886年
東京大学工芸学部長心得
1885年 - 1886年
次代
古市公威
工科大学長
その他の役職
先代
(新設)
小石川区教育会会長
1905年 - 1917年
次代
田尻稲次郎
先代
田口卯吉
本郷区教育会会長
1904年 - 1909年
次代
辻新次
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
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1902年 - 1917年
次代
菊池泰二



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