服部峻治郎とは? わかりやすく解説

服部峻治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 23:14 UTC 版)

服部 峻治郎(はっとり しゅんじろう、1890年(明治23年)12月18日 - 1983年(昭和58年)4月19日)は、日本の医学者小児科医医学博士。第14代京都大学総長[1]

略歴

概説

1890年兵庫県生まれ。京都帝国大学教授、同病院長を経て1951年京都大学総長に就任。その直後、昭和天皇の京都大学視察訪問に際し、学生が公開質問状を用意し「平和の歌」をうたって迎えた『京大天皇事件』が起こり、その責任をとって1953年辞任。1983年に92歳で死去[2]

年表

受章歴

主な受章歴は以下のとおり[3]

脚注

  1. ^ 歴代総長”. 京都大学. 2025年4月19日閲覧。
  2. ^ 20世紀日本人名事典、デジタル版 日本人名大辞典+Plus『服部峻治郎』 - コトバンク
  3. ^ 京都市名誉市民 服部峻治郎氏 - 京都市情報館、2022年6月8日閲覧




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