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金子銓太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/09 21:59 UTC 版)

金子銓太郎
金子銓太郎

金子 銓太郎(かねこ せんたろう、元治2年1月15日[1]1865年2月10日) - 昭和12年(1937年11月18日[2])は、日本文部官僚教育者

経歴

東京府出身。1889年(明治22年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[1]一年志願兵として、1891年(明治24年)に陸軍歩兵少尉となり、1895年(明治28年)に陸軍歩兵中尉に昇進し、さらに日露戦争に出征して陸軍歩兵大尉に昇進した[1]。その間、大分県尋常中学校校長[3]大阪府第一尋常中学校校長[4]を経て、1899年(明治32年)に陸軍教授となり、さらに文部省図書審査官、大阪府視学官学習院教授を務めた[1]

その後、高知県立第一中学校校長[5]愛知県立第一中学校校長などを経て、1910年(明治43年)に第六高等学校校長に就任した[1]。その後、第三高等学校となり[6]、さらに静岡高等学校校長に転じた。

脚注

  1. ^ a b c d e 人事興信録 1918.
  2. ^ 『昭和十四年度版 日本人名選』、大阪毎日新聞社、1938年、p.1050。
  3. ^ 『官報』第3413号、明治27年11月12日。
  4. ^ 『官報』第3634号、明治28年8月9日。
  5. ^ 『官報』第6851号、明治39年5月4日。
  6. ^ 人事興信録 1921.

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。 
公職
先代
辻重忠
高知県立第一中学校
1906年 - 1910年
次代
大野徳孝
先代
山崎忠興
大阪府第一尋常中学校
1895年 - 1899年
次代
太田達人
先代
伊達行平
大分県尋常中学校
1893年 - 1894年
次代
武田安之助



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