金子金陵とは? わかりやすく解説

金子金陵

読み方かねこ きんりょう

江戸後期画家江戸生。名は允圭、字は君璋、別号日南亭南蘋派学び、のち谷文晁師事した花鳥人物能くし、渡辺崋山の師として有名。文化14年1817)歿。

金子金陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/21 09:04 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
牡丹遊狗図 絹本着色 江戸時代中期 静嘉堂文庫

金子金陵(かねこ きんりょう、男性、生年不詳 - 文化14年2月8日1817年3月25日))は、江戸時代後期の日本の画家である。渡辺崋山椿椿山の師として知られる。名を允圭、字は君璋、通称を平太夫。号は金陵・日南亭など。江戸の人。

経歴

金陵は、旗本である大森勇三郎の家臣であり、谷文晁の下で画を学んだとされるが沈南蘋風の画風は諸葛監から学んだともされる(『古画備考』)。花鳥画を得意とした。

崋山の『退役願書稿』によれば、崋山ははじめ白川芝山に入門したが授業料が払えず2年で破門されてしまう。崋山17歳の文化6年、大森勇三郎の妻が田原藩主である三宅家の出身であることを縁に金陵に入門したという。崋山の『寓画堂日記』や『謾録』にも金陵についての記述がみられる。椿椿山や滝沢宗伯も金陵の弟子であった。

芝伊皿子長応寺(1902年(明治35年)北海道に移転)に葬られる。

関連項目

出典




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金子金陵」の関連用語

金子金陵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金子金陵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金子金陵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS