藤田秀太郎とは? わかりやすく解説

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藤田秀太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/13 04:43 UTC 版)

藤田 秀太郎(ふじた ひでたろう、1875年 - 1960年[1])は、日本の眼科学者

経歴

福岡県に生まれる。1894年福岡県立尋常中学修猷館[2]、1897年第五高等学校医科[3]を経て、1902年7月東京帝国大学医科大学を卒業[4]河本重次郎教授の眼科に入局し助手となる[1]

1903年10月、函館にて開業するが、1906年3月、天津医学堂教授を経て、1907年5月、台湾総督府台北病院医長および台湾総督府医学校教授に就任[1]

1909年7月から1911年7月にかけて、台湾総督府からの派遣でドイツに留学し、ヴュルツブルク大学のヘス教授に師事[1]。その頃、同じくドイツに留学していた吉野作造と親交を深めている[5]

1917年1月、岡山医学専門学校講師および岡山県病院眼科医長に着任し、同年5月、岡山医学専門学校教授に就任。1921年5月、同校校長となり、1922年3月、同校が岡山医科大学に昇格すると、その初代学長兼教授に就任[1]

1923年5月から1924年5月にかけて欧州に出張し、1925年4月、依願退職。その後、福岡市内で開業している[1]

編著

  • 『簡明組織学』 朝陽堂、1901年

参考文献

脚注

  1. ^ a b c d e f 泉孝英 2012.
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員2頁
  3. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校編、1936年)183頁
  4. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名147頁
  5. ^ 吉野作造記念館だより 第9号 企画展「憧れのヨーロッパ」



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